M.E.

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3/13/2025, 1:55:46 PM








わたしたちは、この世界に生まれ落ちたとき、“こころの色”は透明だった。何色にも染まっていなかった。

すくすく成長して、”ものごころ“がついてきたころ、透明だった“こころの色”は色をつけ始める。

この世界で生きていくなかで、たくさんの人と関わり、たくさんのことを教えられ、たくさんのことを学ぶ。

その過程のなかで、わたしたちは出来事から自分なりの解釈をする。その解釈が、“こころの色”となる。



“こころの色”は、一度色を塗ってしまったら、大きな色の変化は起こせない。

わたしの”こころの色”はいつのまにか濁っていた。これまで歪んだ解釈をしていたからだ。歪んだ解釈は、”こころの色“となってわたしとともにあった。

この歪んだ解釈は、固定観念や常識という言葉として、この世界を蔓延っている。これにより、自分もこれに従って生きていかなければと思い、自分の行動が制限されている。つまり現代の日本は、生きにくい世の中である。この解釈は急には変えられない。





ところで、人生の転機はいつだろう?この質問に対して、私はこう答えたい。人生の転機は、経験をしてきた全ての時間だ。大きな出来事はあっても、それは「”特出したら“このときだ」というものしかない。

”こころの色“は少しづつしか変えられない。だからこそ、丁寧に色を塗り直していくことができるし、きっとその過程の全てが世界と自分をつなぐ架け橋になるから。



“こころの色”は、もう透明に戻すことはできないけれど、透明だったら、気がつくことができなかった大切なこともあるから。




”透明じゃないこころの色“は、わたしたちを苦しめるときもあるが、幸せにするときもある。

そして、それは人生を豊かにすると信じて生きていきたい。





______透明____________________________________。

3/12/2025, 3:18:01 PM









『終わりは始まり』という。

終わったことはあるけれど、その代わりに始まるものもあると。





終わりと始まりは、対義語である。しかし、始まったものが終わるとまた始めることができる。

このように考えると、それぞれの感情も終わりと始まりがあるのではないかと思う。



例えば、幸せという感情だ。自分にとって苦しくて辛い出来事があり、これまで通りの生活が送れなくなったとする。

「わたしはなにもできない、一歩を踏み出すのが怖い」と人に話す。

こんなわたしの話を聞いて「これはできているんだし、なにもできないことはないよ」と、ノートにまとめながら重い話にも笑顔でそう答えてくれる人。

「あなたの思いつくアイデアは面白いから、それを大切にしてほしい。」といってくれる人。

人がわたしと真剣に向き合って、紡いでくれた言葉にジーンと心が温まる。状況はなにも変わっていないのに、世界がキラキラしてみえる。

この景色は、わたしがこれまで通りの生活を送っていたら見ることのなかった景色だと思う。



これまでの幸せは終わった。しかし、これまでの幸せが終わった後、気がつかないうちに新たな幸せが始まっていた。

わたしは幸せになりたいと思っていたけれど、もう幸せなんだ。もう幸せになっていたんだなと思った。



この世界は、常に変化し続けているけれど、常に終わり、始まっているといえる。

無数にある幸せを見失いそうなときは、次のことを思い出したい。





「幸せは、終わりと始まりを繰り返して、かたちを変えながらわたしのすぐそばにある。」









____終わり、また初まる、_____________________。

3/11/2025, 3:14:22 PM








星は、地球から遠く離れたところにある。

星は、手を伸ばしても届きそうにない。

わたしは、星が”思い描く夢“に似ていると思う。



星と同じように、夢を描いても、現実では雲を掴む
ような感覚しか残らないときがある。

こんなの到底届くことはないと、諦めてしまうことが多い。

わたしはこんな出来事をよく体験する。散歩をしていて、折り返し地点に到着し、現在地から家まで2kmほどある。2kmはちょっと遠いなと思いつつ、たまに鼻歌を歌ったり、道端に咲いている雑草を観察したりなど、楽しみながら黙々と歩いていく。そうこうしているうちに、気がついたら家の近くだった、という体験である。

この出来事は、わたしに教えてくれた。わたしの思っているほど目標までの距離は遠くないことを。そして、楽しみながら進んでいくと、気がついたら目標に近づいていることを。



達成できそうにないくらい大きな目標を立て、夢を思い描いたときに、こんなの絶対できないと諦めてしまうことがある。

しかし、目標を達成するんだという熱い想いは抱きつつ、楽しみながら目標に向けて進んでいけば、気がついたら目標にかなり近づいていて、達成間近だってことがあるかもしれない。そうしたら、絶対できないと簡単に諦める必要はないと気づくだろう。

半信半疑でも、いつか星に、”想い描く夢“に、辿り着く日が来ると信じて。






________星___________________________________ 。

3/10/2025, 3:20:18 PM










わたしは、願いがひとつ叶うならば、『誰かの希望になること』を願いたい。



これが欲しいとか、ここに行ってみたいとか、数えきれないほどたくさんの願いがある。そのなかで、わたしにとっての一番の願いは、この願いだ。

わたしはこれまでの人生で、嬉しいこと、楽しいこともたくさんあったし、悲しいこと、苦しいこともたくさんあった。そして、それは今も変わらない。



わたしは、悲しい、苦しいことがあったときに、自分を否定し、暗い気持ちになってしまう。どんどん自分の殻に閉じこまっていになっていき、そこはかとない不安を感じる。

人から嫌われるのが怖くて、これまで人の顔色をみて行動してきた。しかし、全ての人から好かれることは不可能に近い。

それなら、自分らしく堂々と生き抜こうと決めた。

そして、わたしの苦しみ、悲しみが、誰かの希望になるような、そんな生き方が、わたしにとっての一番の幸福であり、願いだと思った。

誰かに、わたしの苦しみ、悲しみを癒してもらうのではない。誰かに、わたしの苦しみ、悲しみについて話したあと、わたしの話を聞いた誰かの苦しみと悲しみに、わたしの体験を合わせて、自分にも希望を見出せたら、わたしもその苦しみと悲しみを“希望”に変えることができるのではないかと思う。




『誰かの希望になること』




今日もこの願いを強く願う。



 



________願いが1つ叶うならば___________________。

3/9/2025, 3:18:11 PM









最近は寒いので、ほぼ毎日浴槽に湯を張る。

湯を張った浴槽に入ったとき、身体が冷えていて、温度が熱く感じるため、ゆっくり足から入る。

心臓よりも少し下あたりまで湯に浸かったとき、全身が温まる瞬間が訪れる。

その瞬間、時間がゆっくりと進んでいるような気がする。

自分の身体の半分以上を占めている水分と、身体の外にある水分が、“共鳴“して、自分と世界の境界線が消えかけているような感覚を憶え、しばらくするとまた境界線が引かれ直される。

境界線が引かれ直されたあと、この世界の素晴らしさや厳しさ、喜びや悲しみについて思いを巡らせる。

巡らせた思いの内容は毎日異なるが、浴槽を出るときには毎日必ず同じ終着点に辿り着く。





「嗚呼、なにはともあれ今日もいい湯だった。」









________嗚呼___________________________________。

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