秘密だといわれると、それがなにか気になって知りたくなる。
秘密は、なにかしら理由があって、隠していることだ。その理由はいろいろあるが、その一つに”なにかを守るため”があると思う。
そのなにかは、自分の尊厳のため、他人を傷つけないためなどがある。
秘密だといわれると気になってしまう好奇心は誰しもがあると思うが、知った後はその情報を自分の中でどう処理すればいいのかわからないこともある。
だからといって、秘密のままだとその秘密をもっている人や、秘密の存在はわかっているにも関わらず隠されている人のなかには、心のどこかにモヤモヤを抱えながら日々を過ごしている人がいる。
秘密は、それをもつ人の人間性に深く関係する。その秘密が、人を弱くもするし、強くもする。
秘密はいつのまにか、自分の一部になっている。それが、その人の考え方をつくり、やがて生き方になっていく。
秘密を、解放したいという思いがあっても、できないときは、別の方法で気分を紛らわすしかない。
秘密にすることで生じていた爆発しそうな気持ちを、あるとき、昇華できていると気付けたらいいなと思う。
その秘密によって、導かれた生き方を誇れる日がきたらいいなと思う。いや、必ず誇れる日がくると信じている。
_____________誰も知らない秘密__________________。
わたしは夜が好きだ。
それは、闇がわたしを包んで隠してくれるから。
夜明けは新しい一日にバトンを渡す。
子どもの頃は、夜寝るのが惜しかった。そろそろ寝ないとね。お母さんに言われる度に、まだ遊びたいと駄々をこねていた。
早く目が覚まして、早く遊びたいと思いながら眠りについた。
しかし、今はすっかり変わった。朝起きたときに、カーテンから明るい光が差しているのをみると、朝が来たことを知る。
そして、今の自分の状況を思い出して、また今日が始まることに対する絶望感を感じてしまうときさえある。なにかしらのストレスを抱えたまま処理しきれないときは特にそうだ。
目の前の景色、特に自然は、同じ瞬間はない。自然は常に変わり続けている。
そして、観測者が目の前の景色をどう捉えるかは観測者によって異なるため観測者によってその“見え方”も変わる。
どんなに美しい景色でも、観測者の気持ちが沈んである場合、その景色は綺麗だと理性では理解しているが、心から綺麗だと思えないことが起きる。視界に入るのも嫌になってしまう景色になるかもしれない。
わたしは、夜が好きなので、夜明けはすきではない。
東の空から顔を出す太陽は、わたしにとっては眩しすぎる。
しかし、最近夜明けのころに空をみていると、水色の空にかかっている雲のなかに、ピンクに染まっているものを見つけた。
このピンクは、まだ顔を出していない朝日の光を雲が浴びて、染まったからできたんだろうと思った。
水色の空にピンクの雲がかかって、お互いが素敵な色を引き立てている。
夜明けはあんまり好きになれない。けれど、この水色とピンクが同じ空に浮かんでいるのをみるとき、なぜかわからないが、心が凪のように静かで、ほっこりとした気持ちになる。
どうやらわたしという観測者は、この景色がすきらしい。
わたしにとってこの景色は、夜明けが少し楽しみになる景色だ。
_________静かな夜明け__________________________。
包み隠さず、全て話すことができたらいいなと思う。
わたしは、だれにも言えない過去がある。
それを覚えているだろう人はいるが、わたしはその過去を口に出せない。
その過去は、何年も前のことだけど、昨日のことみたいに思い出せる。寒い夜の日、張り詰めた空気、恐怖のにおい。曖昧な部分は多く、ゆめうつつのような記憶だけれど、一部夢ではありえないくらい鮮明に思い出せるから、現実なのだと思い知らされる。
たまに抱えきれなくなって言っちゃおうかと思うこともある。
しかし、わたしはこのことを話すことに対して、抵抗がある。
言葉に出して未だに現実味のない事実を認めてしまうこと、聞いた人にどのように思われるか気にしてしまうこと、わたしが話したことがこの出来事を覚えている人に伝わって傷つけるかもしれないことが、大きな抵抗となっている。
この一連の出来事は、きっと忘れることはできないと思う。一時的に忘れていても、わたしの魂が存在する限り、常にその出来事はわたしと共にある。
思い出して辛くなったときには、一人の空間をみつけて、自分の心へ声に出して語りかけてみる。返事は返ってこないけど、心に秘めているよりはいい。
そして今、内容は伏せているが、文章でわたしの思いを表出することができている。
このように、完全に解決できる問題ではないものは、わたしなりに今できることをやっていくことができたら、百点だ。
今できることをやる、それだけに集中することが今の目標だ。
わたしの思いが、巡り巡って、いつかだれかが暗い場所からあかるい方向へ一歩踏み出すための道しるべとなったらいいなと思う、寒い夜の日。
「もし私がひとつの心がこわれるのを止められるなら生きるのもむだではない。【Emily Dickinson】」
_____ heart to heart ____________________________。
諸行無常という言葉がある。
この言葉は、この世の全ての現象は耐えず変化していくことを示している。
花はこの代表例の一つだ。
わたしが花束を贈るのは、主に大切な人の誕生日だ。
お母さんに花束をプレゼントすると、いつも喜んで受け取ってくれることがうれしい。
花束を眺めたあとは、少し勿体なさそうに花束の包装をきれいにとって、花瓶に花をきれいに生ける。
花束で渡したときには、開ききっていない花がある。毎日少しづつ開いていって、何日か経ったとき、ふと花をみると、きれいに満開の花を咲かせており、うれしい気持ちになる。
また、それと同時に、これからは徐々に花はしぼんでいってしまうことにに気づき、花との別れが近づいてきたことに対し、悲哀の気持ちに浸る。
花は、花が美しいのは、耐えず変化していることが理由の一つだと考える。最も花が美しく咲く時間は、あっけないくらい短い。
昨日はあんなきれいに咲いていたのに、今日の朝みてみると、しぼみ始めていることはざらにある。
しかし、だからこそ、この一瞬一瞬の瞬間の花の美しさを心に刻みつけるように、真剣に向き合うことができるのだと思う。
諸行無常は、切なく悲しいことのように思うこともあるが、実は今を楽しむ重要な鍵なのかもしれない。
永遠の花束は、永遠に美しい状態の花束であるとする。しかし、永遠に美しいと、その美しさを感じる心が麻痺してしまうのではないかとわたしは思う。
変化はもともと美しいものをより美しく際立たせるものだ。
変化を怖がるのではなく、しっかりと味わって、美しいものをたくさん心に刻んでいきたい。
___________________________________永遠の花束__。
わたしにやさしくしないで。
やさしくされると、依存してしまうから。
依存したら、離れ離れになることが怖くなるから。
人はひとりでは生きていけないと言うけれど、依存せずに自立して生きろとも言う。
この矛盾に最近気がついた。
大切な人と過ごす時間はかけがえのない時間だ。
しかし、この時間を積み重ねていけばいくほど、その人がいなくなったときの悲しみは、大きく深くなる。
自分以外の他人のために何か行動をすることで得られる喜びや幸せは、何よりも大きいと聞いたことがある。
だから、自分の喜びや幸せを感じ取って、善く生きるためには、自分以外の他人の存在が、必要なのだ。
幼い頃、わたしをかわいがってくれた人が、もうすぐ遠くへいかないといけないと話してきた。
わたしはそれをどうしても受け入れられなくて、泣いていかないでといった。しかし、その人はそれはできないと話した。
わたしはこのとき初めて、やさしくわたしの成長を見守ってくれてきた人が自分の前からいなくなる“怖さ”を知った。
それから、だれかにやさしくされる度に、自分がその人に依存することが怖くなった。
そのため、ある程度までは心を開くが、その先は誰にも立ち寄ることができない結界を張っていた。
わたしは今、だれかに心を開くことを意識してやっていきたいと思っている。
いつか大切な人が目の前からいなくなったときでも、悲しむ心と自立する精神をバランスよく保てたら理想だ。
やさしくしないでと願うのではなく、自立した心を持ち、何事にも一喜一憂しない“心の強さ”を持った上で、人のやさしさにふれたいと思った。
__________やさしくしないで_____________________。