アイツと私は幼馴染だった。
小学生の頃は、毎日一緒にいて一番の親友だった。
中学に入る頃、アイツの両親が離婚した。
丁度、そのあたりだろうか…少しずつ疎遠になっていったのは。
私は県内で一番の進学校を目指し、毎日遅くまで塾に通った。
アイツは中学生活も程々に、毎晩バイクに跨り夜の街を徘徊していた。塾の帰り道に、バイクの集団の真ん中辺りに陣取ったアイツと何度もすれ違った。
必死に机にかじりついた甲斐あって、私は志望していた高校に合格した。
アイツは中学卒業と同時に、職人の道を選んだのだと同級生から知らされた。
私が都内の大学への進学を決めた頃、アイツは地元で父親になる準備を始めていた。
成人式に出席するために地元に戻った時、アイツは颯爽と紋付袴姿で現れた。他人行儀なスーツの私も主役の一人であるはずなのに、どこか脇役だと感じてしまった。社会の波に揉まれたアイツの佇まいに魅了されてしまっていたのだ。自分の金で大人になったアイツを尻目に、親の金で大学生活を謳歌する己を少し恥じた。アイツは2児の父親となっていて、夏頃には3人目が生まれるのだと、嬉しそうに話していた。
大学卒業後、私は地元の地方銀行に就職した。
長男ということもあり、結果的に両親の強い意向に逆らえず、言われるがままにそれを受け入れた。そんなことは言い訳で、4年という猶予を与えられながらも、恥ずかしいことに自分で自分の夢を見い出すことが出来なかっただけなのだ。
一方、アイツは独立し、会社を興していた。
春が2度過ぎた頃、突然アイツが私の職場にやってきた。
「お前に担当して欲しい」
そう言うなり、書類をドカりと目の前に積み上げた。
どうやら自宅を兼ね備えた3階建ての鉄骨造3mm以下の自社ビルを計画しているらしく、資金調達の為に銀行に借り入れを申請し、その計画はほぼ終わりを迎えようとしていた。にも拘らずアイツは、半ば強引に私を担当者にしてくれと銀行側に訴えたのだった。
私はアイツが集めてきた資料を貪り読んだ。
家族構成5人、資本金、従業員数…ふと所得の欄で指が止まった。
銀行員である私の所得と同程度の額に胸をなで下ろしたのも束の間に、従業員の給与欄と手厚く充実した福利厚生費に驚きを禁じ得なかった。アイツの経営理念が滲みでた塊がそこにはあった。
アイツの人懐っこい笑顔が不意に思い出された。
私は襟元を正し、アイツの用意した書類と向き合い直した。
大した奴だと素直に思った。
そして、全力を尽くし手助けしようと心に誓った。
生まれて初めて自分の意思で動き出した瞬間だった。
書類の不備はなかったが、一つだけ懸念材料が見つかった。
減価償却期間の対応年数の欄だ。
鉄骨造3mm以下は19年であるのに対し、返済計画を見るときっちり19年で完済する計算となっていた。それは最強の保険である団体信用生命保険も19年で切れるという事を意味するものだった。
額が額だけにアイツに進言した。危うい…と。
しかし、帰ってきた答えは、それで良い。と言うものだった。
真っ直ぐで律儀なアイツらしい金の借り方だと、得心した。
時は流れ、アイツは見事にやり遂げた。
お互い40を幾つか過ぎ、私も中間管理職になっていた。
アイツの会社は順調に業績を伸ばしていた。
最後の支払いを終えた夜、私とアイツはサシでたらふく飲んだ。
19年間の戦いを労い、朝まで互いに称えあった。
その数日後、夜中にアイツのスマートフォンから電話があった。
受話器を取ると、アイツの奥さんからの電話だった。
私は私では無い物体となって、ただがむしゃらに車を走らせた。
道順など覚えていない。裸足、パジャマ姿の私は、ベッドに横たわるアイツにしがみつき、目や鼻や口から大量の液体をばら撒きながら、この世のものでは無い言葉らしきものを叫んだ。
どれほどの時間が経過したのかさえ覚えていない。
我に返り、後ろを振り返るとアイツの奥さんが、子供達が、従業員達が、泣き疲れ、目を腫らし呆然と佇んでいた。
私はフラフラとその場を離れた。
どのようにして家にたどり着いたのか覚えていない。
告別式で、アイツが1年前から大病を患っていた事を知らされた。
決して恵まれた環境にあった訳では無いのに、アイツは自分の命を燃料に巧みに船を操り、そして荒波を越えていった。
光を失った真っ暗な海は、再び私を一人置き去りにした。
——— 羅針盤 ———
ヤバい。
正月が私を甘やかしたせいで体重が3kg増えちゃった。
脱衣所から飛び出しリビングにいる両親に泣きつくと、ママは牛飲馬食が原因と宣い、パパは鯨飲馬食が原因だと斬り捨てた。
ひどくない?
牛と馬と鯨に例えるなんて…こちとら花も恥じらう乙女ですよ?
しかも…いつの間にか、牛か鯨かの正誤の論争に発展しててさ…いい加減にしてくれないかな?どちらが正しい、正しくない、とか関係ないから!あたしに言わせれば両成敗よ!
終わったことをグダグダ言っても仕方がないカルビ…かもね。
過去を振り返っても戻ってこないミノ…もの。
動き出シマチョウ…しましょう。
明日に向かって歩く、でも明日から…
だって今から皆で、今年ハツ外食なんだもん。
牛、豚、鳥、鯨、みんなおサガリ!
ジョウロース三枚、もとい…女王様のお通りよ!
あたしが全部まとめて平らげちゃうハラミ…からね。
——— 明日に向かって歩く、でも ———
ただひとりの君が集まって、僕らの世界があるのです。
——— ただひとりの君へ ———
ソファーに腰かけ、Instagramをぼんやり眺めていたら、
「手のひらの宇宙」と題した一枚の画像が目に止まった。
大事そうに手のひらにのせられたエコー検査の写真。
なるほど、これからどんどん大きくなるであろうお腹を、現在も膨張し続けていると言われている宇宙に見立てたのか!
決して珍しい表現方法ではないけれど、なんだかほっこり。
そんな折、パパがお風呂からあがってきた。
「お?何見てんの?インスタ?」
と聞かれたから、上記の写真を見せて、更に私的見解を述べた。
「ん〜、違うんじゃない?」
「へ?」
「だから、お腹を宇宙の規模に見立てた訳では無いんじゃない?」
「えー、じゃあパパの見解は?」
「無限の可能性って意じゃない?親目線だとそうなる」
「パパもそんな感じだった?」
「ん〜俺たちの時代のエコー写真ってのは、今みたく鮮明には見えなくってな〜。宇宙を感じるってよりは…豆かな〜」
「まめ……」
「しょうがないだろ。命の息吹を感じられる程の画素数が無かったんだよ当時は。そもそも俺は情緒的ではないし、完全なるノンフィクション人生だから。脚色していない嘘偽りのない感想だ」
「手のひらの豆…」
「いやいや、色々な才能の芽が出てるだろ?インスタの宇宙の奴と同じなんだって!根本的には」
「………」
「豆は明日の出荷に備えます。お休みなさい」
バタンッと強めにドアが閉まる音がした。
——— 手のひらの宇宙 ———
彼女の左肩を凮が解放してくれたから、意気地無しの俺は剥き出しとなった地点を目掛け、ただただ一目散に左手を伸ばせば良かったんだ。
§
何と間の悪い人なのだろうこの男は。
ついさっき縮毛矯正したばかりだから、今宵の私の行動は大幅に制限されている。髪も綺麗に結えないし、髪も洗えないし、何より頭に圧をかけられない。出来ることなら優しく髪を労りたい。
内心はとても嬉しい。
ずっとずっと待ち望んでいたから…
でも、、、なんで今日なの!今日なのよ?
ひどいよ神様、酷すぎる。
でもでもでも、このチャンスを逃したら、この男は多分…再び長い長い冬眠に入ってしまう。いや、間違いなく。
冬眠ならまだしも、永眠してしまう可能性だって大いにある。
それだけは避けたい。
どうする私、どうする?どうする?どうするぅぅぅぅぅう!?
いやいやいやいや、730日も待ってたんじゃない!この時を!
たったの¥47.000-よ。安いものじゃない。
いいわよ!わかったわよ!くれてやろーじゃないの5万円!!!
§
不意に左肩に重みを感じた。
見ると潤んだ瞳がそこにはあった。
——— 風のいたずら ———