『ココロオドル』
南洋にほど近い国で採掘されたという青みがかった透明な石は削られて磨かれて輝きを得ると人を惑わす宝石となった。石に魅入られたひとはあの石は私のためにある、となりふり構わず思わせられる。夜会で石を身に着けた人は親友と思っていた人に命を奪われ朝を迎えることは叶わなくなった。舞台で石を身に着けた人は乱入した観客によって命を奪われ、セリフを発することなく倒れ伏した。石を奪い取った盗賊団の頭領は戯れに石を身に着け、配下の盗賊によって団もろとも壊滅させられた。
人を流れ国を流れ、石は不気味なほどに輝いてショーケースの中に収まっている。歴史を知るものは近づくことをも恐れたが、何も知らない年若い少女は毎日熱心に通りがかっては石をガラス越しに見つめていた。何も持たない私だけど、あの石があればなにか変われる気がする。そんな思いを日に日に膨らませていた彼女はある時、いっとうお気に入りのフリルのワンピースを着てバールを手にショーケースの前に立っていた。振りかざしたバールを躊躇なく振り下ろすとショーケースは派手な音を立てて辺りに散らばり、彼女と石を隔てるものは跡形もなくなった。ガラスを踏み越えて歩み寄った彼女はうっとりした目で青みがかった石を手に取り、頬に寄せる。どうしてこんな簡単なことをもっと早くにしなかったのだろう!フリルのワンピースの胸元に付けられた大きな石の嵌まったブローチは、傍目から見れば不釣り合いではあったが、胸震え心躍らせた彼女は満足そうに頷いて石をひと撫でした。遠くから大勢の足音が聞こえてくるにもかかわらず、彼女は楽しげに笑ってみせると石とともにその場を走り去ったのだった。
『束の間の休息』
私の中に蠢く心臓は刺されても潰されても時を置けばまた元通りに動いてしまうので、夜眠り朝目覚めるように私は死んでは生きてを繰り返している。難儀な体に造られてしまったものだ。
きょうは人体実験の代用として致死量の見極めに参加した。外傷で死ぬのは痛いものだが一瞬で終わる。薬物で死ぬのは苦痛が長く続きがちとなるので嫌な予感はしていたが、点滴の滴下を何千何万と受けるさなかには予想通りに様々な反応に苦しめられた。
ようやく意識が遠のいたとき、何にも苦しまない時間がひととき訪れる。人ではない私が感じるこれは人が感じることはできるものなのだろうか。人になることのできない私はふとそんなことを思いながら、もう目覚めなくなることをほんのりと願いながら安寧に包まれていった。
『力を込めて』
両手に渾身の力を込めてぎりぎりと締め付け続けるとやがてぽきりと乾いた音がして相手の体が力無く崩れた。復讐のすべてが終わったと同時に生きる目的を失った私はその場で動けなくなり、呆然と手のひらを見つめる。私に残されたものはひとを殺める感触やそれらのひとが今際に投げかけた恨み言の数々。遺志の込められた言葉は確かな呪いとなり、時には耳鳴りに、時には悪夢となって現れては私を苛ませ続けていた。
私の復讐は私が消え去ることでしか終わることができないのか。ふと湧いた灯火のような答えに突き動かされて、途方に暮れていた私はようやくその場から立ち上がる。私を苛ませ続けていたもののすべてが無くなることに希望を憶え、末永く続くようにと願われた呪いすらも儚く消えることを思うと自然と笑いがこみ上げてきた。
自決用にと母から渡されていた形見の剣が永い時を越えていま正しく使われる。鞘を払った私は渾身の力を込めて柄を握りしめた。
『過ぎた日を想う』
豪奢なドレスや華美な装飾を纏い、臣下には優しく微笑み、国や世間のことなど何一つ知らずに過ごしてきた。狭く幸せな世界が終わりを告げたのは父と母が民衆に弑逆されたとき。騎士のひとりと数人の臣下とともに城を離れる時に見た光景は、掲げられた旗のすべてが燃やされ、窓のいたるところから火を噴く有り様だった。
それまでの暮らしが民衆からの過度な搾取で成り立っていたことを知った私はおのれの無知を恥じ、煤けたドレスとくすんだ装飾品、名前も身分もすべて捨てて、国からさらに遠くへと逃げ去った。共にいた家臣たちはひとり離れふたり離れ、まだ若者と言ってもよいぐらいの騎士だけがついてきてくれた。
「奥さん、今日も精が出るねぇ」
隣に住むおじさんが畑仕事に勤しむ私に声をかけて行商へ向かっていく。くわを握る手にはまめやシワがたくさん増えた。昔付けていた指輪はもう細すぎて入らないだろうなと詮無いことをいまさらに思う。あれから王国は滅び、民主政の国が興ったと風の噂に聞いた。滅ぶべくして滅びた国を幾度か夢に見たけれどもう戻ることは叶わない。
大きくなったおなかを撫でて、夫の帰りを待つ生活は幸せと言ってもいいはずだった。けれど胸の奥に時々物悲しい風が吹くのを止める術は未だに見つかっていない。
『星座』
空を廻る星々を読み、星の囁く未来を解き、それを王への助言とするひとが私の祖母だった。星読みにかけては右に出るものがいないと称えられて重用されていたのだが、それを妬んだ者がある日、祖母に毒を盛った。祖母の命は助かりはしたものの目は塞がり声は失われて星読みとしての責を果たせなくなってしまった。後釜についた新たな星読みが毒を盛った首謀者とも噂されたが本当のことはわからない。
目が塞がり声を失っても祖母には星の動きが解っているようだった。どうして城に戻らないのかと星空の下で問うたことがある。祖母は私の手をとり指で文字を書き、おかげで隠居の身になれたと笑ってみせた。もしかすると祖母は毒を盛らせたのではないかと疑いを持ったりしたが、それを問う機会は失われてしまったので今となっては誰にもわからない。
祖母が手のひらに記したいくつもの言葉はやがて教えとなり、導きとなった。稀代の星読みの弟子は城の一角で今宵も星座を見上げ、星が淡々と囁く未来のことを読み解いている。