『星座』
空を廻る星々を読み、星の囁く未来を解き、それを王への助言とするひとが私の祖母だった。星読みにかけては右に出るものがいないと称えられて重用されていたのだが、それを妬んだ者がある日、祖母に毒を盛った。祖母の命は助かりはしたものの目は塞がり声は失われて星読みとしての責を果たせなくなってしまった。後釜についた新たな星読みが毒を盛った首謀者とも噂されたが本当のことはわからない。
目が塞がり声を失っても祖母には星の動きが解っているようだった。どうして城に戻らないのかと星空の下で問うたことがある。祖母は私の手をとり指で文字を書き、おかげで隠居の身になれたと笑ってみせた。もしかすると祖母は毒を盛らせたのではないかと疑いを持ったりしたが、それを問う機会は失われてしまったので今となっては誰にもわからない。
祖母が手のひらに記したいくつもの言葉はやがて教えとなり、導きとなった。稀代の星読みの弟子は城の一角で今宵も星座を見上げ、星が淡々と囁く未来のことを読み解いている。
『踊りませんか?』
生きるのが嫌になって山のふもとの樹海に入り分けたのが昨日の話。枝から吊り下がったロープの下に崩れた人や草や蔦に侵された人を見かけるたびにあんな死に方はしたくないと心の底から思い、早々にこんなところに来るんじゃなかったと後悔した。しかし一度入った者をやすやすと解放してくれる気はないらしく、一昼夜を彷徨い歩いても先々で物言わぬ人と会うばかり。私は樹海に囚われたままだった。
「帰りたい……。」
私の荷物はふところに入れた遺書だけだったので限界が来るのも早かった。暗い森で重くため息を吐いて蹲ったとき、耳に聞こえてきたのは楽しげな囃子。ふらふらと引き寄せられた先で見たものは妙にデフォルメされたタヌキらしきものが腹太鼓を叩いて音頭を取り、二重の輪になって踊っているさまだった。荒んだ心にかわいいという感情が自然と芽生える。
草むらの陰から呆然と様子を見ているうちに一匹のタヌキと目が合った。とてとてと歩く姿もとてもかわいい。
「あのう、もしよければなんですけど、一緒に踊りませんか?」
声までもがかわいいその一匹、いやその子は輝くような笑顔をこちらに向けてくれたので知らず涙が溢れた。輪に加わった私は他の子たちにも温かく迎え入れられて、しばしの時を幸せに過ごした。自分が飢餓の極限であったこともふところの遺書のこともここが樹海であることも何もかもを忘れて歌い踊りながら意識を手放していった。
『巡り会えたら』
河のほとりで舞い踊るひとを夢に見た。踊りを嗜む身であるので同じ流派だということは判ったけれど、あんな振り付けは師匠や大先生の踊りを何百と見てきた中のどこにもなく、目を奪われるものだった。
目が覚めてからは誰も知らない踊りに夢中になった。見様見真似で踊りを再現しようと躍起になったり、古い書物を漁ってあの踊りやあのひとに繋がるものがないかを探したり。師匠や大先生にも尋ねてみたところ、なぜか悲しい顔をされた。
あれは死者の踊りなのだと大先生は語る。自分と同じように河のほとりで踊るひとを夢に見ると踊りに取り憑かれ、踊りきった暁にはぱったり倒れてそのまま戻ってこれなくなってしまうのだと。
「河のほとりにいたひとは私に似ていたでしょう?」
大先生は涙をひとすじ流してあれは私の娘なのだと言った。
その話を聞いても私は踊りを止めなかったし止められる人もいなかった。どうしてと問われる声にはどうしてもと答えるほか無かった。
一心不乱に舞う中に河のほとりの幻が見えてくる。河を挟んでふたりの踊りが重なって一糸乱れぬ同調となったとき、ありがとうとさようならの声が聞こえた。気づけば河のほとりにいたのは私ただひとり。滔々と流れる河は私に踊っておくれと囁いていた。
『奇跡をもう一度』
月の無い空を窓から覗いては星がひとつ降るたびにふたりで小さくはしゃいでいた夜があった。その興奮からなかなか寝付けなくなって空が明るみ始めた頃に寝入ってしまった私は次の日の朝に慌ただしく母に起こされても夢か現か分からないままに時を過ごした。
あのとき一緒にいた子は誰だったのだろう。ひとりっ子の私に弟妹は増えることなく、月がいくつも欠けては満ちてこどもだった私は大人になった。あの頃の私に近いぐらいの齢のわが子は今夜流星群が訪れるというニュースに目を輝かせてまだ明るい窓の外を見ては早く暗くならないかとしきりに気にしている。
今夜は新月。こどもを寝かしつけるつもりが寝入ってしまい、目を覚ました私が見た光景は窓辺から空を見つめるわが子と見知らぬこども。星がひとつ流れるたびに小さなふたりは小さくはしゃいで次に星が降るのを今か今かと待ちかねていた。あのとき一緒にいた子だ。振り返ったその子は星のように微笑んで手招きをした。
『たそがれ』
夕方のサイレンが街に鳴り響く中を自転車に乗って家路を急ぐ。ジョギングやウォーキングそして犬の散歩をする人たちとすれ違いながら近所の公園を通りがかるとこどもたちはまだ駆け回って遊んでいた。早く帰らないと人さらいが来るよ、と小さな頃は脅されていたな、となにげなく思い出していると夕焼け色の光を浴びて男女が抱擁を交わしているのを視界に捉えてしまった。人の逢瀬をじろじろ見てはいけないと思いながらも目が離せなかったのは絵画のように美しい光景だったから。
昼と夜との境目に男と女はしばしの間言葉も交わさずただ抱擁していたが、男がまどろみに呑まれて瞳を閉じるとその体は正体を失くして光の粒となり、それもやがては徐々に光を失って消えていく。残る女は寂しげに笑みをこぼしたあとに顔をあげ、そうして自転車に乗った自分と目が合った。
この世のものではない人だ、と直感的に思った。慌てて道を変えて自転車を急いで走らせるけれど、人と一向にすれ違わない。公園が近くにあるはずなのにこどもたちの声が聞こえてこない。家に帰り着いてもいい距離のはずが延々と見覚えのある道を走らされ続けているようだった。
それがふと収まったのは視界の端に映り続けていた夕焼けがついに光を失ったとき。自転車に跨ったまま立ち尽くしているとワン、と犬の吠える声がした。振り向いた先には光る首輪を身に着けた柴犬がおり、リードを引いた人がすみません、と謝りながら街灯が照らす見慣れた道の先に消えていった。