『窓から見える景色』
王城の窓から見える景色はいつだって退屈だった。剣の稽古も魔法の勉強も極め尽くし、城にある書物の形をしているものはすべて読み尽くした。手を付けられていないものといえば私が成長して王権を譲られ、国を治めるのみとなる。しかし父も母もまだまだピンピンしているので当分先の話であろう。
「なにか大事件でも起こらないだろうか」
窓の外を頬杖ついて眺めていたとき、ぼそりとこぼした言葉を聞き届けたかのように空の果てに黒い染みが現れた。黒雲渦巻き、雷鳴轟いてなにやら禍々しい気配をひしひしと感じる。
「……これは、大事件だ!」
急ぎ軽装に着替え手近にあった剣を掴み、まだ何も知らぬ様子の父の元へと馳せ参じる。
「ちょっと偵察に行ってきます!」
街へ行くときの常套句なので父は今日も行先は同じだと思っていることだろう。気を付けるのだぞ、とのんきな言葉を背にして城門を抜け、強化魔法をこれでもかと重ね掛けする。門兵たちはただならぬ様子に声を掛けようとしていたが、そのときにはもう風より速く走り出していた。
『形の無いもの』
秋空が高く広がる下を我が家の犬が元気に歩く。暑くて長い夏がようやく過ぎてくれたので火傷しそうなぐらいに熱々のアスファルトや体力を奪いにくる直射日光に煩わされることなく、のんびり悠々と歩けることにありがたみすら感じてしまう。
あたりの匂いを思うさまに嗅いで情報収集に忙しくしていた犬は地面から中空へと鼻先を向けた。空の高いところには冷たい風が吹いていて、入道雲ばかりだった空には巻雲が細く散らばっている。もしかすると犬には秋の匂いが確かにわかっているのかもしれない。
などと思っていると、道の向こうから仲良しの犬が歩いてくるのが見えてきた。夏場はあまり遭遇していなかっただけに犬の喜びはひとしおだ。ぶんぶんとしっぽを振りリードをグイグイと引っ張る犬に慌ててついていく途中、鼻先を掠めた秋の匂いに少しだけ振り返った。
『ジャングルジム』
小さい頃からスカートを履かされていた。公園のジャングルジムにみんなが登っていたから親が見ている前で登ろうとしたら強く腕を引っ張られたので泣いてしまい、親は公園に連れて行ってくれなくなった。
いろんな反発と猛反対を経て家を出て、反動のようにパンツスタイルの服しか着ない大人になった。飲み会帰りに夜の公園を通りがかったときにふと昔の記憶が蘇り、今なら誰にも気兼ねなくジャングルジムに登れるのかと気がついた。
カバンを置いてジャングルジムをよじ登る。小さい頃に憧れて、親からやめなさいと切り捨てられたもののことがいくつか思い浮かんで胸にもやを形づくる。見てみたかったてっぺんからの景色は平坦ないつもの世界よりも少しだけ見晴らしが良かった。
ジャングルジムに登れなかったときのことをまた思い出す。どうして腕を引っ張ったりなんかしたの、とそのとき言葉にできなかった怒りや悲しみが口をついて出て、自分の中に根深く残るトゲの在処を見つけたような気持ちになった。
『声が聞こえる』(His Master's Voice)
ラッパ型のスピーカーから今は亡き兄の声が流れてくると、うずくまって眠っていた犬は耳をそばだて首を傾げてとことこと傍へと寄ってきた。
「懐かしい声だろう」
兄の声が犬の名前を呼ぶたびに彼は不思議そうにしながらもしっぽを緩やかに振っていた。ふいに視線を上げたのでつられてそちらを見てみるけれど、そこには変わり映えのしない我が家の一角があるばかり。犬は緩やかにしっぽを振って頻りにクンクンと鳴いていた。
『秋恋』
体育祭のときにひと目見た先輩のことが忘れられず情報を集め、接点を探し、体育館裏での告白まで漕ぎ着けた。
「好きです!」
「ごめん無理」
踵を返して去ろうとする先輩の前に駆け寄って立ちはだかり退路を塞ぐ。一言だけで告白を終わらせるなんてあんまりだと思ったのだ。引き下がれば先輩は行ってしまう。どうにかして会話を続けなければならない。
「なんでですか!せめて理由を!」
「えっと、話したことないから」
「今話してるじゃないですか!」
「……付き合ったところで来年卒業するし」
「会えない時間は愛を育みます!だから大丈夫です!」
「受験勉強で恋愛してる場合じゃない」
「息抜きにはいつでも付き合います!」
すると先輩はその言葉を聞いて大きくため息を吐いた。
「君の言う好きですってなんなの。話すってこういうことじゃないでしょ。それに待ってるだけでも大丈夫とか息抜きだけでもとか、君のやりたい恋愛ってこういうことなの?」
言われて何も言えなくなった。先輩はその場に留まってくれていたけど、付き合うことに前向きという雰囲気ではないことだけは明らかだった。
「君は全部一方通行すぎる。こっちの状況や都合も考えずに突然呼び出して一目惚れしたから付き合ってって、その段階でも無理なのに、断られかけたらなんでも大丈夫としか言わない。そういう人と俺は絶対に付き合いたくない」
言って先輩は私の側をすり抜けて行ってしまった。涙が滲んで来たのは先輩に言われたことのどれもがその通りだったから。振られた悲しさよりも自分の浅はかさと後悔が大きく、私はしばらくその場から動けなかった。