『秋恋』
体育祭のときにひと目見た先輩のことが忘れられず情報を集め、接点を探し、体育館裏での告白まで漕ぎ着けた。
「好きです!」
「ごめん無理」
踵を返して去ろうとする先輩の前に駆け寄って立ちはだかり退路を塞ぐ。一言だけで告白を終わらせるなんてあんまりだと思ったのだ。引き下がれば先輩は行ってしまう。どうにかして会話を続けなければならない。
「なんでですか!せめて理由を!」
「えっと、話したことないから」
「今話してるじゃないですか!」
「……付き合ったところで来年卒業するし」
「会えない時間は愛を育みます!だから大丈夫です!」
「受験勉強で恋愛してる場合じゃない」
「息抜きにはいつでも付き合います!」
すると先輩はその言葉を聞いて大きくため息を吐いた。
「君の言う好きですってなんなの。話すってこういうことじゃないでしょ。それに待ってるだけでも大丈夫とか息抜きだけでもとか、君のやりたい恋愛ってこういうことなの?」
言われて何も言えなくなった。先輩はその場に留まってくれていたけど、付き合うことに前向きという雰囲気ではないことだけは明らかだった。
「君は全部一方通行すぎる。こっちの状況や都合も考えずに突然呼び出して一目惚れしたから付き合ってって、その段階でも無理なのに、断られかけたらなんでも大丈夫としか言わない。そういう人と俺は絶対に付き合いたくない」
言って先輩は私の側をすり抜けて行ってしまった。涙が滲んで来たのは先輩に言われたことのどれもがその通りだったから。振られた悲しさよりも自分の浅はかさと後悔が大きく、私はしばらくその場から動けなかった。
『大事にしたい』
付き合い始めのときに恋人のことは大事にしたいと思うのだけど、次第に相手の欠点ばかりが目につくようになり、嫌いになって別れてしまう。
「適応力、というか合わせてあげる気がないんだね。それか理想が高すぎる」
恋人のいないフリー状態になるとおつかれ会を開いてくれる友人は毎度毎度ストレートに胸に刺さる言葉を浴びせてくれる。言い返せないままジョッキを傾け、ならば自分が悪かったのかと思ってみる。思ってはみるけれど。
「でも欠点やだなーと思いながら付き合うのしんどいじゃん!」
「前も言ったけどさぁ、付き合う前にもうちょっと観察眼発揮しなよ」
今言われるまでそのアドバイスを忘れていたのでぐうの音も出なくなった私はジョッキをさらに傾けるしかなくなった。やれやれ顔で友人もジョッキを傾けたのでふたりともの手元に酒が無くなる。すると頼む間もなく次のビールを店員さんが運んできた。
「ビールでよかった?」
「あ、うん。ありがと」
先んじて頼んでいた友人の気配りに感心せざるを得ない。
「……毎回おつかれ会開いてくれてありがと」
「いえいえ」
おつかれ会の度に思うことは、友人は自分のことをもしかしたら好きなのではないかということ。けれど自分みたいな恋愛も長続きしないやつはめちゃくちゃいいヤツである友人に釣り合いはしないし、きっと迷惑ばかりかけてしまうだろうから、その方向に話を振ったことはない。
「おつかれ会ももう結構な回数やってんね」
「う、うん」
「次はいい恋愛にしなよ」
「ど、努力します」
言ってジョッキを傾ける友人もそういう方向に話を振ってはこないから、ただの自惚れの可能性もある。どちらにしても、自分にはもったいないぐらいのいい友人を大事にしたいと、今はそう思っている。
『時間よ止まれ』
駅へと向かう道のりを指先だけを繋いで生活の灯りやマンションの通路の規則的な明かり、街灯の下を過ぎながらゆっくりと歩く。楽しかった記憶はあるのに何をしていたかというとなにをするでもなかった時間は君がいたから成り立っていた。また会えるに違いないのだけど、別れに向かうこの時間が名残惜しい。
駅が近づくにつれて列車が行き交う音も聞こえてくる。乗るはずだった列車はゆっくり歩いていたせいでずいぶんと前に駅を発っていた。
「時が止まればいいのにね」
ふたり以外の時が止まれば残るはきっと楽しい時間だけ。列車の時間も明日やってくる仕事の時間も気にせずにふたりだけの時が過ごせたらどれほどよいことだろう。改札を渡る前、列車の時間の迫る頃に想像の中にだけ存在する時間を分かち合ったふたりはじゃあねとまたねに想いの丈を乗せて手を振って別れた。
繋いでいた手のぬくもりは指先からすぐ逃げてしまう。時よ止まれと思いながら指先をそっと握り込んだ。
『夜景』
夜道を走る車が電灯の下を通る度に窓には暗い景色とそれを見るともなく見つめる自分の顔が現れては消える。運転する父も助手席の母も後ろに乗る私も何も話さず、今さっきまでいた街から逃げるために離れる最中だった。
夜逃げをするのは初めてではない。だから最初の時は友達ともう二度と会えないかもしれない悲しみで泣いては怒られていた。今の私はまたも夜逃げに踏み切るしか無くなった親に恨みのようなものを募らせ、おかしな時期に転校してきた自分に優しくしてくれた人や、邪険に扱ってきた人のことを思い出し、その人たちとももう二度と会えないのだろうと諦めを抱いた。
遠ざかっていく街はあたたかな生活の灯りがいくつも点っていてきれいだった。どうして遠ざからなければならないのだろう、と最初の夜逃げのときに思ったことをまた思ってしまった。
『花畑』
昼間は太陽の方を向いて咲くひまわりの花が夕方になるとどの花も同じ方を向いて俯いているのがなんだか怖い。こどもの時からそう思っていたから、今でもひまわり畑が苦手だ。
苦手なのに、私はご近所のひまわり畑の前を通ってお母さんに頼まれた回覧板を回しにいかなければならない。今はまさに夕方で、昼間の暑さを忘れさせるような涼しい風が吹いている。西へと沈む夕焼け色の太陽がふっと姿を消したから、重たげな頭を項垂れさせるひまわりたちは遠目にもその姿を夕闇に翳らせていた。
ひまわりの前を通るときに思ってしまう。視界に入らないように俯きがちに歩く私のことを、項垂れたひまわりたちは覗き込みに来ているのでは、と。自分で思いついた想像なのにいよいよ怖くなってきた私は、急いで前を通り過ぎて回覧板を郵便受けに入れ、来た道を引き返す。そして下を向いたままひまわりの前を走り去る作戦に打って出た。ふいに視線を感じた気がしたけれどそれはきっと、たぶん、絶対に、気のせいに違いなかった。