『鳥かご』
鉱山の調査から帰ってきた親方の手に提げられた鳥かごの中にはぐったりとしたカナリアがいた。
「もうこの山はダメかもしれん」
親方は鳥かごを僕に渡すと首を振って深く溜息をついた。長年栄えている鉱山で作業員が倒れて亡くなったのは昨日の話。有毒ガスが沸いたのかもしれないという親方の予想はカナリアが衰弱したことと親方が肌身で感じたことで確信となったようだ。作業員の中の下っ端でカナリアの世話を任されていた僕はいつかはここで働くものとばかり思っていた道が閉ざされつつあることと、いつも煩いぐらいに囀っているカナリアがまったく鳴かないことに戸惑っていた。鳥かごから小さく黄色いからだを手のひらに乗せる。ほのかな温かみを感じて声をかけるけれど、その熱は失われつつあった。
『友情』
男だけど家には化粧道具が山ほどある。きっかけは動画サイトでどこにでもいそうなおじさんがヘアバンドを巻き、よくわからない手順を踏んでウィッグを被る頃には二次元から出てきたかのような美少女に変貌しているというショート動画を見かけたからだった。おじさんよりも女性寄りな顔をしている自分ならさらにかわいくなれるのではないか。見様見真似を続けるうちにそれぞれの化粧道具の役割や自分に合う色味がわかるようになり、変身系な動画に加えてコスメ系の配信も見るようになり、写真投稿から動画投稿、そして配信へと段階を踏んでそこそこのレイヤーへとなっていった。
レイヤーとして活動している子に気になっている人がいる。彼女とはオンラインから知り合ってオフラインでもコラボ企画に誘ってもらったり誘ったりとレイヤーとしてはツーショット写真もたくさん撮ってきた。今日もそんな企画でスタジオにいる。
「はい、じゃあもうちょっと寄ってみようか」
カメラマンに乗せられてふたりの距離感が縮んでいくけれど、どこかを境にそれ以上は近づかせてくれなくて壁を感じている。学生だった頃に見たクラスの女の子たちは距離感近めだったけれど、一分の隙もなくかわいい彼女を想う気持ちがただの友情だったならもう少し近づくこともできたのだろうか。
「いいねぇ、仲良し女子って感じだよ~」
顔を寄せて微笑みながら、本当の女の子たちを羨ましく思っていた。
『花咲いて』
学校から持ち帰られた小さなプランターにはアサガオが植えられている。発芽や双葉と本葉の観察を経て伸びた葉っぱにはあちこちにつぼみらしきものがあり、こどもたちは毎朝ラジオ体操帰りにそのつぼみを眺めたり、いつ開くのかと話しかけたりキッズカメラで写真に収めたりと楽しみに観察を続けていた。
昨晩から雨がよく降り、近所の広場でのラジオ体操が中止となった朝。リビングで体操を終えたこどもたちが軒先のアサガオの様子を見るために玄関を開けた途端に喜色ばんだ声を上げた。キッチンの手を止めて見に行った先には薄青色のアサガオが一輪、こちらに向かって微笑むように咲いていた。こどもたちはドタドタとカメラを取りに家を駆け回る。次第に明るくなっていく雨上がりの空から強い日差しが差し込んで、テレビの天気予報が梅雨明けを知らせていた。
『もしもタイムマシンがあったなら』
歴史上に実在した人物をキャラクターに起用したゲームにハマり、それまで読み流し、聞き流していた歴史の教科書や授業に俄然熱が入るようになった一学期。
夏休み初日に電車やバスを乗り継いで向かった先はかつて大きな合戦のあった古戦場跡。観光案内所でもらった名だたる武将の陣地跡が記載されたパンフレットを片手に山登りにも似た行程を経て目的の場所にようやくたどり着いた。
「何にもないなぁ……」
古戦場跡が見渡せるような小高い山には簡単な説明の書かれた看板と豊かな自然が残るのみ。けれど想像力を掻き立てればあの人もこの人も表情をキリリと引き締めて戦に向けての会合を開いていたように思えてきた。私が今まさに立っているこの場所で。
「タイムマシンはよ!」
ひとりの歴女の心からの叫びは誰の耳に届くでもなく豊かな自然に吸い込まれていき元の静けさに戻っていった。
『今一番欲しいもの』 (アンパンマン)
顔が濡れて力が出ない。
いつもみんなを困らせて悪さをする彼にいつもぼくは注意をしている。言ってもわからない場合はちょっと懲らしめることもしばしば。そのために彼からは目の敵にされてしまっている。
力が出ないぼくの体を彼は日頃の憂さ晴らしも込めて痛めつけることに躍起になっていた。彼と仲良くしようと思っているけれど、みんなを困らせる彼と仲良くなるにはどうすればよいのだろう。彼が痛めつけることに飽きたとき、仲良くしようだなんて思ってくれるだろうか。
遠くから唸りを上げて走る車のエンジン音が思考に沈んでいたぼくの耳に入ってきた。戦車のようにも見える車のハッチが開くと、見知った彼女が叫んで今一番欲しかったあれを投げつけてくれる。あれはぼくの力の源。あれはぼくの新しい思考。
気がつけば彼は空の彼方に飛ばされており、ぼくはそれまでの沈んだ思考を思い出せなくなっていた。彼に困らされていたみんながよかったよかったと安心しているのを後ろから眺めていたぼくは、ほんの少しだけ立ち止まって後ろを振り返っていた。