『窓越しに見えるのは』
スマートフォンから顔を上げて窓の外を見るとさっきまで晴れていた空には灰色の雲が立ち込めており、降り出した雨と干しっぱなしの洗濯物が視界に映った。慌ててサンダルをつっかけ、ハンガーをまとめて抱えて家の中へと戻る頃にはごうごうと音が鳴るほどの豪雨が窓を叩いていた。やっちまった感に駆られていたけれどちょっぴり湿り気を帯びる程度で済んだのはまだ良かったほうだと内心胸を撫で下ろす。
天気予報アプリの雨雲レーダーが赤みがかっているのを見ながら雲を覗き込むのと、稲光が走ったのはほとんど同時だった。遅れることわずか数秒の轟音は地響きすら巻き起こす。洗濯物の次は家じゅうのコンセントからプラグを抜きに走ることとなった。
『赤い糸』
縁切りで有名な神社へ行ってみた。ご利益はあるけるどやり方が少々手荒いと噂の神様は届いた願いをふむふむと読むと、手にしたハサミで赤い糸もそうでない糸もまとめてジャキジャキと断ち切っていた。確かに手荒だったけれど、そうでもしなければあとに控える山と積まれた願いを片付けられないのかもしれない。人の願いに際限がないのも考えものだ。お疲れ様です、と声を掛けると神様はチラとこちらに視線を向けて頷き、そしてまた縁切りに勤しんでいた。
『入道雲』
ヒマワリでできた迷路に足を踏み入れてからけっこうな時間が経過している。俺の行く手を先々で阻む身の丈を越すほどに巨大なヒマワリの花を見上げて睨みつけるも花は太陽のことばかり気にしてこちらに目もくれない。周りからは家族連れやこどもの声が和やかに聞こえてくるのだが、致命的に方向感覚が鈍い俺には心の安らぐ材料に成り得なかった。
「あ、いた」
聞き覚えのある声のする方を向くと見知った顔。迷路に行ってみようと誘ってきた友人は一向に出口に現れない俺を探しにきてくれたらしい。ちょっと涙腺が緩むぐらいには安心してしまった。
「もう一生出られないかと……」
「ごめん、方向オンチがここまでとは思ってなくて……」
頼もしい背中の後をついてヒマワリの立ち並ぶ道を進んでいくとどれだけ望んでもたどり着けなかった出口が見えてきた。ここまで来られたのは先導してくれた友人のおかげだ。
「君は俺の命の恩人であると言っても過言ではない」
「完全に言い過ぎだけど、どういたしまして」
開けた視界には青い空にもくもくと湧き上がる入道雲がこちらを見下ろしていて、右往左往する人間たちを面白そうに観察しているかのようだった。
『夏』
ある年の7月に世界が終わるという噂が広まったことがある。その当時小学生だった私は成人する前に世界が終わるかもしれないということを同級生たちとよく話題にしていた。どこに逃げればいいか、どこに隠れればいいかをカウントダウンの差し迫る中でみなと考え、そういった話し合いのできないひとりきりの布団の中では涙ぐむことさえあった。
そしていよいよ迎えた世界の終わりの年の7月1日。緊張感の漂う毎日は一日また一日と日を重ね、結局何も起こらないまま7月31日を終えるという形で幕を閉じた。何も起こらず肩透かしを食らった私は無事に成人して年を食っておじさんになっていったけれど、いまだに7月になると何かが起こってしまうのではないかと少しだけ胸にざわめきを覚える。
図らずも今年の7月は同窓会がある。懐かしい噂話は話題に上がるだろうか。それとも、みなそんなことはとうに忘れてそれぞれの生活に没頭しているだろうか。いずれにしても楽しみなことである。
『ここではないどこか』
母が亡くなったときに父に訊ねた。母はどこへ行ってしまったのかと。父はここではないどこかへ行ったのだと言い、また母に会いたいとこぼした私に生きているうちには会えないのだと諭した。だからと言ってただ生きているだけでは会えないとも言った。
「おまえの生き方を母さんはここではないどこかからちゃんと見ている。だから、母さんに見られても構わないぐらい自信を持ってしっかり生きなさい」
父さんも同じようにしっかり生きるから、と震える声は強い目をして私の肩を強く抱いた。
あれから何年も経って父は天寿を全うした。父は立派に生き抜いたから、今ごろは母に労ってもらっていることだろう。私はいまだに道の途中にいる。父と母とに見守られながらしっかりと生きねばと気持ちを改めた。