『あの頃の私へ』
拝啓、若かりし私へ。
ちゃんと自炊してますか。お化粧落として歯みがきしてから寝てますか。水分ちゃんと摂ってますか。ジムに入会してウェアも一式揃えたのに一度も行かずに退会したりしてませんか。チートデイを毎日やってませんか。あなたのやってきたどれもこれもは十年後に一気にしわ寄せが来ます。頼むからちゃんとやってください。私より。
それはそれとして、今好きな人がいるでしょう。もし違ったら読み飛ばしてもいいですが、そうだったら今すぐ想いを伝えてください。想いを伝えなかった私はもう想いを伝えられなくなってしまい、とてもとても後悔しました。どんな結果になるかはわかりませんが、伝えなければ想っていないのと同じなのです。しわ寄せのことよりも、ちゃんとしてほしいことです。どうかなにとぞ、よろしく頼みます。私より。
『逃れられない』
自分の命を粗末にした罰をずっと受け続けている。この世はつらく世知辛い。私を悩ませるすべてを捨て去って来世へ旅立とうと吊り下げた縄に首を掛けた。運が良ければ気を失ってそのまま御陀仏。悪ければ窒息の苦しみと首への痛みが長く続く。私は後者のほうだった。垂れ流し、掻き毟り、のたうちながらなんとか死ねたのも束の間、気がつけばまた縄を首に掛けるところから始まっている。一人で死んだがために誰にも見つけてもらえなかった体はすでに朽ち果てているというのに死の先には来世も安寧も無く、ただ繰り返されるばかり。どうしたら、どうすれば。悔恨を降り積もらせながらまた縄を手繰らされ首を掛けさせられている。
『また明日』
入学してからもうそろそろ2ヶ月。慣れたような慣れてないような感じだけれど友達はできたし、毎朝ちゃんと通えている。部活の仲間もできたし同性ながらもかっこいい先輩にも出会えた。
「じゃあ、また明日ね」
明日もがんばろうと思える成分はいろいろなもので構成されているけれど、先輩からの言葉がけっこうな割合を占めているように思える。
ある日に上級生の教室へ続く渡り廊下で制服姿の先輩が誰かと話しているのを見かけた。遠目にも険悪なムードを感じとったので隠れながら様子を見ていると、話していた相手がどこかへ去って取り残された先輩は泣いていた。その日の部活に先輩は来なかった。
次の日に部活に顔を出した先輩を見て、昨日の夜は先輩をずっと心配していた私は心から安心した。先輩がいれば昨日あまり楽しくなかった練習も筋トレもちゃんと楽しくなっていたことにも安心した。
部活を終えてそれぞれ帰路につくときに先輩のもとへと駆け寄った。
「先輩!」
「あら、おつかれさま」
「また明日!」
思ったより大きな声が出て注目の集まった中、先輩はなんだかいつもより微笑んでこう返してくれた。
「うん、また明日ね」
小さく手を振る先輩と、特に何も起こらなかったなという雰囲気の中で明日もがんばろうという気が湧いてくる。先輩にも同じような気が湧いていたらいいなと思いながら、遠ざかる背中を少しの間見つめていた。
『透明』
思いの丈を言葉にすることで勝手に涙が出てくるとは思わなかった。好きだと告白された方は言葉に驚いた上に目の前で泣かれておろおろと困っていたけれど、そろそろと私に近づくと小さく返事をくれた。滲む視界から相手の目元にきらりと光る雫が見える。頬を伝った涙は透明で美しく、顔をべしょべしょにして泣くこちらとの対比がおかしかった。
「なんで笑ってるの」
「なんでそんなにきれいに泣けるの」
ハンカチを持っていない私たちはそろそろと近づいて抱き合うと、互いの肩口に目元を寄せた。互いの涙の匂いが感じられるかのようだった。
『理想のあなた』
おふくろから薪集めを頼まれてのらりくらりとやる気なく拾っていたら足を滑らせて泉に落っこちた。すると泉の女神様とやらが現れた。
「あなたが落としたのは真面目な男?それともろくでもない男?」
「俺のこと言ってるのなら、ろくでもない方だな」
「あなたは正直者ですね。ではこちらの真面目な男をどうぞ」
残されたのはずぶ濡れになった俺と、ほとりに立つ俺とそっくりの男。ふと思いついて言ってみる。
「今日からお前は俺の代わりに働いてくれ。俺は俺でのんびり暮らすからよ」
俺と同じ声でわかったと返事をした男は俺の代わりに、薪を拾い集めると村へと帰っていった。これはいいものを寄越してくれたものだ。今ごろ家にいる親父もおふくろもいつもよりよく働く倅に驚いていることだろう。
働かなくてもいいのだから、都へ行こうとその日のうちに村を立った。都には村にはないきれいな人や物がわんさとあり、最初は華々しい都にいられるだけで心躍ったが、田舎者にはことごとく冷たい街ということが段々とわかって心は冷えてしまった。
数年ぶりに帰った家の戸を開け放つと中には親父とおふくろがいた。どちらからも怪訝な顔をされる。
「あんたは、どちらさまだい?」
「誰って、あんたの倅だろうがよ」
「倅は薪拾いに出ているが、俺の倅はあんたみてえな顔をしちゃいねえ。叩き出されたくなかったらとっとと出ていってくれねぇか」
有無を言わさず追い出され、村人からも不審な目を向けられる。もう一人の俺を探し出して問い詰めねばならぬ。あの泉のある山へと向かった。
泉へとたどり着いても薪拾いをしている男は見つからなかった。親父はどうして俺のことがわからなかったのだろう。そのことが気になって水面を覗くと、そこには見知らぬ男の顔があった。驚いてもっと近くで見ようと身を乗り出して、泉へと落っこちた。以前は難なく陸へと上がれたのにいつまでも岸に近づけない。
「おい!女神様!助けてくれねぇのか!」
呼べど騒げど助けは来ない。底へ底へと引っ張られているかのように体が重くなっていく。口に鼻にと流れ込む水で息ができず、声も出せない。朦朧とした視界に人影が映った気がして目を凝らすと、それは薪拾いの格好をした俺の姿だった。
「言われたとおりにあなたの代わりをしています。どうぞご心配なく」