わをん

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4/8/2024, 3:09:25 AM

『沈む夕日』

草むらに入ってしまった野球のボールを探すうちに刺すような西日はいつの間にか薄れてあたりは夕闇に染まり始めていた。外野のほうを気にせず試合を続けていた仲間たちは帰ってしまっただろうか。じわじわと悲しく寂しい気持ちになって目が熱くなってくるけれど、同じ草むらで同じようになにかを探す人影が見えたので慌てて涙をこらえる。誰かがいるとことにほんのりと励まされて何度も探した草むらをもう一度掻き分ける。
「……あった」
何度も探したはずの草むらから泥で汚れたボールが現れた。
「あったよ!」
人影に呼びかけてからまだ仲間たちがいるかもしれないホームベースへと走り出した。仲間たちは帰ってなんかいなかったけれど、みな驚いたような顔をしている。監督にいたっては心配と焦りの入り混じったような顔で僕の肩を掴んだ。
「おまえ、今までどこにいたんだ!」
「えっ、ボールを探しにあっちの草むらに」
「あの草むらもみんなで何度も探したんだぞ」
試合が終わってちょうど夕日の沈んだ頃に僕がいないことに気付いたチームのみんなはそれから1時間をかけて周辺を隅々まで探したが見つからず、親と警察に連絡をするかどうかというところまできていたそうだ。そんなところに僕が突然現れたので監督は今日一日でどっと疲れた様子だった。
みんなに心配されたり小突かれたりしながら家へと帰る途中にちらとあの草むらを見やった。けれど、もうずいぶんと暗くなっていて誰がいたのかもわからなかった。

4/7/2024, 1:48:23 AM

『君の目を見つめると』

遠い昔に戦場で拾った幼子は今や私の右腕となり命令あらば躊躇いなく人を斬るようになった。
「息子よ」
「はい、父上」
親子と言うには歳の離れた間柄ではあるが私を父と呼ぶ青年は慕うでもなく厭うでもなく無感情に私を見つめる。そう育てたのは私自身だ。過酷な経験を積ませ、知る限りの知識と技術を授けた。そのせいで私と同じような目をしている。赤の他人であるのに私によく似させてしまった。
「不憫なやつよの」
息子はわずかな戸惑いを見せる。私の言ったことを理解できないようだった。

4/6/2024, 6:37:17 AM

『星空の下で』

昔も今もこの先もずっと星のことを想っている。
月の見えぬ空を埋め尽くすほどに星が輝いている。私の生きる前から輝く星は私の死ぬまでを見つめ続けるだろうか。それとも今見えている光はとっくの昔に滅びた星の光で、私が見届けているのは星の輝きの終わる瞬間なのだろうか。
空に星の流れるさまは人の生きて死ぬを思い出させる。永遠というものはありもしないが、永遠を乞い願う心ならいくらでもある。時は止まらない。夜はいつか明ける。たとえどれほど願っても、ひとつの星は空に流れ続けない。
人の見上げる空に星は輝く。銀河を征くのは夢のまた夢。月に乗るのも夢まぼろし。けれど星に手を伸ばし続ければいつかは手に取ることも叶うだろう。眠りの中で砂糖菓子のように甘い星を頬張りながら宇宙を漂う夢を見ている。

4/5/2024, 4:17:51 AM

『それでいい』

近所の自治会の剣道教室に通っていたことがある。講師を勤めていた先生は普段はまあまあ優しそうに見えるけれど、道着と袴を身に着けるときは厳しい先生だった。竹刀を雑に扱ったり、試合ではないときに竹刀でチャンバラごっこをやった時には泣くほど怒られたものだ。
剣道は物に対する姿勢、所作に対する姿勢、そして相手に対する姿勢に気を配るものだ。剣の振りがおろそかになっていることをよく叱られていたが、竹刀の扱いにも慣れてくると耳にタコができるほどに聞かされていたことがある日にわかるようになった。竹刀の振り方も蹲踞も礼も身を入れるとまったく違うものになる。
「それでいい」
初めてそれを実践できたとき、先生が満面の笑みで褒めてくれたことが今でも忘れられない。

4/4/2024, 4:11:39 AM

『1つだけ』

給食に出てくるシュウマイと八宝菜には厳しい掟がある。それはシュウマイとグリンピースは必ずセットであること。そして、一人につき一つのうずらのたまごが入っていること。
「はい、全員自分のお皿確認してくださーい」
担任の教師の号令で各自のシュウマイと八宝菜のチェックが入る。配膳を担当した給食係たちは緊張感を漂わせながら自らの皿をチェックしていた。シュウマイは目視で確認できていたが、八宝菜は配膳係の技量が問われる。もし全員均一に配られていない場合は給食係にそのしわ寄せがいくのだ。
「先生」
一人の生徒が挙手をして、うずらのたまごが入っていないと主張した。悲壮感で怯えた目をする給食係たち。教師はその生徒のもとへと歩み寄り、優しげな目をして尋ねた。
「先生もチェックをするけど、いいかな?」
今度は挙手をした生徒が怯えた目になった。教師がマイ箸を取り出して皿をつつくと、ないはずのうずらのたまごが野菜の山から発見される。
「たまごはひとりにつき1つだけだからね」
項垂れる生徒。ほっと胸を撫で下ろす給食係たち。教師は颯爽と自席に戻り、声高らかに宣言する。
「それではみんなでいただきましょう。いただきます」
「「「いただきます」」」

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