『たまには』
仕事終わりにたまには酒を飲むのもいいかと街へと繰り出した。繁盛している酒場のテラス席で適当に頼んだ料理が届くと同時に見知らぬ男が前の席に腰を掛けた。
「やぁ、景気はどうですか」
会話をする気分ではないので答えずに酒に手を伸ばすと男は通りがかったウェイターに酒を頼んだ。
「ひとりで飲むのは味気ないでしょう」
やがて届いた酒を手元の樽に無理やりかち合わせて乾杯をした男は勝手気ままにべらべらと喋りだした。
「街を騒がせている連続殺人犯の話を知ってます?
切り裂きジャックの再来なんて雑誌なんかには書かれてますが、なんとも鮮やかな手口ですよねぇ」
食事をするところで話題にするには適さないにも関わらず男は嬉々として話し続けた。テラス席にいた他の客が一斉に離れていく。
「さっきも二つ隣の通りに警察が群がってたんで話を聞いてみればなんとまた同じ手口の犯行ときたもんだ!まさかの遭遇ですよ!俺はなんてツイてるんだろうと思いましたね!」
あらかた食事は食べ終わった。現場には野次馬たちも集まり始めている頃だろう。
「……二つ隣の通りの被害者は死んだのか?」
「え?えぇ、警察が言ってました。酷いやられ方だって」
「じゃあ、今日はもう打ち止めだ」
立ち上がって小銭をテーブルに投げてやる。跳ねる小銭を男は慌てて右手で押さえた。男の脇に周って口元を押さえ、その右手に“仕事”にも使った汚れたナイフを突き立てる。
「次は相手を見て酒をたかるといい」
首ごと頷いた様子を確認したので振り返らずに店をあとにする。飲み直したい気分だったが警察の数が増えてきたのでそうもいかなかった。
『大好きな君に』
墓参りには年に6回ほど行っていた。正月、春分、盆、秋分、君の命日、君の誕生日。今日はそのどれでもない日だけれど、報告したいことがあった。
君の命を奪った通り魔は有罪判決となり懲役刑が確定した。けれど模範囚になったとやらで刑期は短くなり、判決よりも早く社会に帰ってきた。それを許すことができなかった私は興信所などを頼って居場所を突き止め、何も言わずに後ろから刺した。事切れたのを確認してから自分で警察へ出向き、刑務所で服役した。
「これで思い残すことなくそちらへ行けます」
真新しい線香と真新しいろうそくに火をつけて手を合わせる。墓石は何も語らない。
生きる気力はすでに失われてしまった。立ち上がってからどこへ行こうかと考える。海がいいだろうか。山がいいだろうか。
『ひなまつり』
おまじないガチ勢の友達からメッセージが届いた。
『もうすぐひなまつりだからひな人形買いに行こう!』
やることが突飛なのはいつものことだし、巻き込まれるのも面白いので出かけることにする。
財布にお札を多めにいれて心の準備は万全。家具屋や高級なおもちゃ売り場へ行くのかと思いきや、やってきたのは100円均一の店だった。
「百均にはなんでもあると言っても過言ではないね!」
「いや過言だろ」
しかし百均が季節ものにめっぽう強いのは事実。ミニマムなひな人形や飾り物がバリエーション豊富に取り揃えられていたのだった。女二人キャッキャウフフとなりながらひな人形やひな壇やぼんぼりなどをあれもこれもとお買い上げる。
「で、ひな人形とおまじないとどんな関係があるんですか」
「ひな人形はね、恋愛運アップに効くらしいよ!」
「ほう……。詳しく聞かせてもらおうか……」
近くのコーヒーショップでフレーバーガン盛りを頼み、片や限定フラペチーノを頼んでおまじないをご指南いただく。ひな祭り当日までにひな人形を飾り、当日にはひな祭りっぽいもの、たとえばひなあられや菱餅、あるいはひなケーキを食べる。そしてその日の夜に感謝を込めてひな人形を片付けるとよいとのことだった。
「えっ、それだけ?」
「ネットで見ました!」
フラペチーノをずずずとすする友達は自信満々だ。
「けどこういうことするにも何かしらのご利益ないとやらないってのもなんだかなってなっちゃうよね!」
「それな〜」
指南のお礼にフラペチーノ代を奢って別れ、家に帰る。ひな人形を飾るにはあまりにも埃っぽい部屋をまずは掃除し、どうにかスペースを作って設置してスマートフォンで写真を撮る。と、タイミングよくガチ勢からメッセージが届いた。
『ひな壇設営できたよ!当日はひなパーティしようね!』
写真付きのメッセージに先ほど撮った写真を付けて返信し、ひな壇を眺める。季節のものを飾るのもいいものだなぁと思いつつ、恋愛運アップという単語は頭をチラつき続けるのだった。
『たった1つの希望』
「お前は一族のたった1つの希望だ」
小学中学高校と続けてきた野球でいい成績を出せたおかげでその分野では有名な大学に入れることになった。正月の親戚一同の集まりで大げさかつ、やたらと重い言葉を無責任にかけられて期待という名のプレッシャーが圧しかかる。酒呑みばかりの宴会場となった広間から抜け出して縁側でぼんやり座り込んでいるとおずおずと近づいてくる人影があった。
「……元気ない?」
小学生ぐらいの男の子だ。親戚の多い家なので誰かはわからないけれど見覚えはあった。
「元気はあるけど、いろいろ言ってこられてちょっと疲れた」
「元気があるなら、キャッチボールしよう」
ここにいるよりはマシかと思い、連れ立って近くの広場まで行くことになった。
最近野球クラブに入ったというその子は本当はお父さんとキャッチボールがしたかったらしい。が、大人たちは大人同士で忙しい。同年代のこどもたちはキャッチボールに興味はなく、手持ち無沙汰にしていたところちょうど見つけたのが俺だということだった。小さな野球グローブとお父さんが嵌めるはずだったゴワゴワのグローブでのキャッチボールが始まる。
「おにいちゃん、ちゃんと投げてよね?」
「……いくぞー」
夏の全国大会に俺が出ていたことは知らないのだろうかと思いつつ軽めに投げたつもりがその子にとってはなかなかの速球だった。
「おにいちゃん、投げるの上手いね!」
それで評価が上がったのか、遠目に見ても顔つきが変わったのがわかる。続いて投げられたボールはあの年頃にしてはなかなかのものだった。
「ナイピッチー」
試合でもなんでもないキャッチボールの最中には今日だけでなくほうぼうで言われた無責任な言葉が思考の片隅にも登らない。ボールを投げて投げ返すのが楽しい。そればかりだった。その子の親が迎えに来るまで続いたキャッチボールの終わりは、ありがとうございましたと野球クラブらしい礼儀正しさで締めくくられる。
「野球、がんばって続けろよ。俺もがんばって続けるから」
「うん!またやろうね!」
今のところ一族のたった1つの希望であるところの俺だけど、もう10年ほどしたら2つめの希望が現れるかもしれない。
『欲望』
憤怒・嫉妬・強欲・暴食・怠惰・色欲・傲慢
厚顔無恥の丸裸
自分が悪いわけじゃない
すべて悪魔のせいにして
素知らぬ顔で生きている
鏡に映すまでもない
たわけた人の浅はかさ
淀んだ目が見る夢の先
悪魔がほくそ笑んでいる
道理に悖る生き方は
誰も彼もが目を逸らす
一人誰にも看取られず
独り死ぬのが道理だろう
どうして私を見てくれない
私はどうしてかわいそう
死ぬその時まで私ばかり
私わたしの一生涯
欲望は薬 欲望は毒
用法用量適量が肝要
悪魔は隣でいつも見ている
いまかいまかと待ちかねている