わをん

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『たった1つの希望』

「お前は一族のたった1つの希望だ」
小学中学高校と続けてきた野球でいい成績を出せたおかげでその分野では有名な大学に入れることになった。正月の親戚一同の集まりで大げさかつ、やたらと重い言葉を無責任にかけられて期待という名のプレッシャーが圧しかかる。酒呑みばかりの宴会場となった広間から抜け出して縁側でぼんやり座り込んでいるとおずおずと近づいてくる人影があった。
「……元気ない?」
小学生ぐらいの男の子だ。親戚の多い家なので誰かはわからないけれど見覚えはあった。
「元気はあるけど、いろいろ言ってこられてちょっと疲れた」
「元気があるなら、キャッチボールしよう」
ここにいるよりはマシかと思い、連れ立って近くの広場まで行くことになった。
最近野球クラブに入ったというその子は本当はお父さんとキャッチボールがしたかったらしい。が、大人たちは大人同士で忙しい。同年代のこどもたちはキャッチボールに興味はなく、手持ち無沙汰にしていたところちょうど見つけたのが俺だということだった。小さな野球グローブとお父さんが嵌めるはずだったゴワゴワのグローブでのキャッチボールが始まる。
「おにいちゃん、ちゃんと投げてよね?」
「……いくぞー」
夏の全国大会に俺が出ていたことは知らないのだろうかと思いつつ軽めに投げたつもりがその子にとってはなかなかの速球だった。
「おにいちゃん、投げるの上手いね!」
それで評価が上がったのか、遠目に見ても顔つきが変わったのがわかる。続いて投げられたボールはあの年頃にしてはなかなかのものだった。
「ナイピッチー」
試合でもなんでもないキャッチボールの最中には今日だけでなくほうぼうで言われた無責任な言葉が思考の片隅にも登らない。ボールを投げて投げ返すのが楽しい。そればかりだった。その子の親が迎えに来るまで続いたキャッチボールの終わりは、ありがとうございましたと野球クラブらしい礼儀正しさで締めくくられる。
「野球、がんばって続けろよ。俺もがんばって続けるから」
「うん!またやろうね!」
今のところ一族のたった1つの希望であるところの俺だけど、もう10年ほどしたら2つめの希望が現れるかもしれない。

3/3/2024, 1:56:16 AM