『列車に乗って』
車窓の景色は高層ビルの立ち並ぶ大都市から鉄橋を渡るに連れてのどかな田園風景になっていく。肩が抜けそうになるぐらいにいろんな冊子で重たくなったショッパーバッグを眺めつつSNS上の戦利品報告やコスプレイヤーの写真を見ながら始発駅から終点まで乗り、また乗り換えて遠い家路を進む。
夕闇が迫り街灯がぽつりぽつりと光る田舎の風景は私の故郷によく似ていてほんのりとあたたかな気持ちになる。夜の闇を背景に電飾で飾られた地方都市はきらびやかだが、競争率が激しそうだ。都会にしかないものがあり、田舎にしかないものがある。それらを行き来できる今がとてもありがたいもののように思う。けれど、
「コラボカフェ、うちの近くにもできないかなぁ……」
SNSに写るのはイベントのオフ会で盛り上がるネット上の友達。時々、いやわりとしょっちゅう都会住まいを羨ましく思う。
『遠くの街へ』
もうすぐ街に着く。お母さんとよく買い物に来ていた街で僕は今日お母さんとさよならをする。
僕の家にはきょうだいが6人いて、僕が一番年上で、昨日は僕の誕生日だった。お母さんとお父さんとが突然に話し始めた内容をあまりわかっていなかったけれど、わかって頂戴と言われたのをうんと頷いたからそうなってしまったようだ。
待ち合わせの場所にはぶっきらぼうなおじさんが立っており、こちらをじろじろと見てなにかの書類を確認すると重たげな革袋をお母さんに手渡した。ここに来るまでずっと泣いていたお母さんはその時にようやく泣きやんで、僕を抱きしめて僕の手を離し僕を見送った。
「これからどこへ行くんですか」
「……遠くの街だよ」
「僕、この街から先へ行ったことがないんです」
楽しみだなぁとつぶやくとおじさんはふ、と笑って歩き出す。おじさんの歩幅は大きく速く、付いていくのが大変だった。
『現実逃避』
地震と津波に火事、そして犠牲者の数を知らせる報道から逃れたくてイラスト投稿サイトばかりを見ていた時期があった。SNSもネットも自粛の姿勢が広まった。それが落ち着いた次には脱原発やがんばろうの文字が並ぶ中、そこだけがいつも通りに思えたのだ。ブックマークの履歴は私の心が守られた証だった。
『君は今』
娘のバレエの発表会を見たのはずいぶんと昔。同じ年頃、背格好のみんなとよちよちと群舞を踊るさまはひよこの集まりのようで可愛らしいものだった。仕事の休みが合わず、年に一度の発表会を見ることができないでいたのだが今年は十年ぶりに機会に恵まれた。
ひよこだったあの子はバレリーナらしい姿勢の良さと所作の美しさを叩き込まれてソロパートを踊るまでに成長していた。灰色のひよこがましろい羽をまとった白鳥になり、目の前のステージでライトを浴びて優雅に羽ばたいている。そんなイメージが浮かぶとともに涙が溢れて止まらなくなった。妻が隣から忍び笑いとともにハンカチを渡してくる。
万雷の拍手の中、立ち上がって娘の名を呼べば白鳥は満面の笑みでこちらに手を振ってくれた。ハンカチがいくつあっても足りなかった。
『物憂げな空』
天気はただの空模様なので良いも悪いもないと言う人の言い分はわかるのだが、くもりや雨などの気圧が低くなるような日には体調やメンタルがすこぶる悪くなるので自分にとっては良いも悪いもありまくる。今日のような曇り空はまさに天気の悪い日だ。早めに痛み止めを飲んで自衛に徹する。
職場で年かさの女性にあなたの健康状態に問題があるんじゃない?と言われたことは今でも思い出す。実際にそうなのかもしれないが、その時に思わず発した言葉はしばくぞだった。可能なら本当にしばいてやりたかったが怯えて引きつった顔をさせてしまい、挙げ句にその人は職場を去ってしまったので未遂に終わった。悪いことをしたと思っているが言い逃げされたとも思っている。
空は未だ晴れない。ろくでもない思い出やろくでもないことばかりが頭に浮かぶ時間をひたすらに耐えるしかない。