わをん

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2/4/2024, 2:08:42 AM

『1000年先も』

人から仙人となるための修行を重ね神通力を授かった。同じように仙人となった仲間がいたのだが、ある日突然にこう言った。
「好きな女ができたんだ」
色欲を制して気に変じることは基礎的な修行のため、それを解放することは人に戻ることを意味する。
「これまでの修行が意味を為さなくなるぞ。本当にそれで良いのか」
「それでもいいさ。俺にとってはこれから先のことに本当の意味がある」
そうして人に戻った彼は思いを寄せていた女と夫婦となり子を成し、老いていった。足腰が弱りきり床に伏せがちとなった彼が小声で私を呼ぶ。別れた頃と見た目の変わらない私を見て、彼は少し笑った。
「俺の選んだ意味がお前には解ったか?」
「いいや、正直わからない」
「だろうな」
お前は昔からそういうやつだった、としわがれた声が言う。
「だから、頼みがある」
「なんだ」
「お前が俺の意味を解するまで、俺の血筋を見守ってほしい」
そんなことをしてなんの意味がある、と言おうとしたが、彼の最期の頼みだということを察して黙って頷いた。
「……もう少し長く生きたければ、私なら力をやれる」
「いいや、必要ない」
「玉蝉は要るか?」
「いらない。人として死にたいんだ」
そのようなやり取りをした数日のちに、彼は息を引き取った。
彼のことをうまく解ってやれないままに彼の血筋の見守りが始まる。彼の子は旅先で出会った女に惚れて頼み込んで婿入りした。彼の孫は流行り病に倒れて幼くして亡くなった。そのきょうだいは悲しみを胸に医者になった。医者の子は親に嫌気が差して悪たれになったが、連れ添いに子が出来たとわかると更生して真面目に働いた。連綿と、彼の息吹は途切れず続いていく。百年後にも、千年を越えても。
私が長く仙人として生きることと、彼が人として生き、人を残したことは、同義だったのかもしれない。彼はそれを教えようとしてくれたのだろうか。知らず涙が落ちた。
「私は、まだまだ未熟だな」
ようやく解ったか、と空耳が聞こえる。
この先も修行を重ね、そして人の営みを見届けよう。人の手に負えない厄災が迫るならば、仙人の矜持に賭けて守り尽くそう。彼に恥じない生き方を見せるために。

2/2/2024, 11:36:57 PM

『勿忘草(わすれなぐさ)』

かつて私の恋人だったひとは川で溺れて亡くなった。春爛漫のさなかに行われた葬儀では長い冬から解き放たれて喜びに満ち溢れている世界と、愛した人を亡くして深い悲しみに沈む私や遺族との対比を思わざるを得なかった。
あなたを忘れずに生きることが修道女になって冥福を祈り続けることならよかったけれど、私の父はそうさせてはくれず、いつまでも独り身でいようとする私を見合いで嫁がせることに決めた。家のためを思えば最善だということはわかっている。
けれど、忘れないでという呪いじみた言葉は私を戸惑わせる。あなたではない人を愛することができるのか。あなたではない人と子を成して幸せに生きることができるのか。忘れないでと言ったあなたの分まで生きることは、あなたを裏切ることの連続ではないのか。
眠れないままに夜が更けて、私の嫁ぐ朝がやってくる。

2/2/2024, 3:32:01 AM

『ブランコ』

サーカス小屋の高い梁。そこから垂れるふたつのブランコにスポットライトが当たり、ドラムロールが鳴り響く。長い間信頼し合っていると思っていたブランコ乗りの相棒は、知らぬ間に私から心を離して年若い男を追いかけている。舞台の上では仮面のように笑顔を貼り付けてはいるが、鬱陶しがられていることは他の団員にも知られるほどに明白だった。
ブランコで逆さまに揺れながら思ってしまう。今夜ここで飛び移ってくる相棒の手を離したらどうなってしまうだろう、と。思っただけで本当にそうするつもりは無かったのだ。スポットライトの光で何も見えないまま、観客の悲鳴だけが耳に響いた。

2/1/2024, 3:56:51 AM

『旅路の果てに』

長い長い旅の終わりに待ち受けていた魔王をついに打ち倒した。けれど喝采も勝鬨も上がることはない。共に戦った仲間は物言わぬ骸となり、ただ一人生き残った僕も倒れたが最後、起き上がることができなくなった。体からじわじわと血が抜けていくのがわかる。傷を癒やすことも仲間を生き返らせることも今の僕には叶わない。
かつて立ち寄った村々のことを思い出す。みな一様に不安の中で暮らしていたが、今はもう何にも怯えなくてもいいのだと教え広めたかった。旅の始まりとなった城下町で暮らす母親にただいまと言いたかった。勇者からただの街人になったその時に、仲間のひとりに言おうとしていたことはついに言えずじまいになってしまった。後悔の涙にまみれながら、意識が遠のいていく。

1/31/2024, 3:40:31 AM

『あなたに届けたい』

買ったもののまったく手を付けてくれないおもちゃが家にけっこうあるというのに、ペットショップで新しいおもちゃをまた買ってしまった。ちなみに戦績はあまりよろしくない。
喜ぶかどうかわからないものをなぜ買ってしまうのか。それは、ねこがどこからか狩ってきた虫や小動物らしきものをわざわざ持ってきてくれることに通づるものがある、と思う。喜ぶかどうかは関係なく、持ってきてくれたことが自分には嬉しい。掃除は少し嫌だけれど。
新しいおもちゃと保険のちゅーるを手に家路を急いだ。

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