『1000年先も』
人から仙人となるための修行を重ね神通力を授かった。同じように仙人となった仲間がいたのだが、ある日突然にこう言った。
「好きな女ができたんだ」
色欲を制して気に変じることは基礎的な修行のため、それを解放することは人に戻ることを意味する。
「これまでの修行が意味を為さなくなるぞ。本当にそれで良いのか」
「それでもいいさ。俺にとってはこれから先のことに本当の意味がある」
そうして人に戻った彼は思いを寄せていた女と夫婦となり子を成し、老いていった。足腰が弱りきり床に伏せがちとなった彼が小声で私を呼ぶ。別れた頃と見た目の変わらない私を見て、彼は少し笑った。
「俺の選んだ意味がお前には解ったか?」
「いいや、正直わからない」
「だろうな」
お前は昔からそういうやつだった、としわがれた声が言う。
「だから、頼みがある」
「なんだ」
「お前が俺の意味を解するまで、俺の血筋を見守ってほしい」
そんなことをしてなんの意味がある、と言おうとしたが、彼の最期の頼みだということを察して黙って頷いた。
「……もう少し長く生きたければ、私なら力をやれる」
「いいや、必要ない」
「玉蝉は要るか?」
「いらない。人として死にたいんだ」
そのようなやり取りをした数日のちに、彼は息を引き取った。
彼のことをうまく解ってやれないままに彼の血筋の見守りが始まる。彼の子は旅先で出会った女に惚れて頼み込んで婿入りした。彼の孫は流行り病に倒れて幼くして亡くなった。そのきょうだいは悲しみを胸に医者になった。医者の子は親に嫌気が差して悪たれになったが、連れ添いに子が出来たとわかると更生して真面目に働いた。連綿と、彼の息吹は途切れず続いていく。百年後にも、千年を越えても。
私が長く仙人として生きることと、彼が人として生き、人を残したことは、同義だったのかもしれない。彼はそれを教えようとしてくれたのだろうか。知らず涙が落ちた。
「私は、まだまだ未熟だな」
ようやく解ったか、と空耳が聞こえる。
この先も修行を重ね、そして人の営みを見届けよう。人の手に負えない厄災が迫るならば、仙人の矜持に賭けて守り尽くそう。彼に恥じない生き方を見せるために。
2/4/2024, 2:08:42 AM