最後に顔を合わせたのはいつだっただろうか。
静かな夜。寝返りをうつ深夜。ため息でさえ大きく響く。雨も降らないと判断するほどの静寂だった。太陽が顔を出すまでにはしばらくかかる。上階であることと部屋の電気も消していることを理由にカーテンを開けている。
夜が明ける。大きな窓が部屋を明るく染め上げる。浅いまどろみに痛む頭を抑えて起き上がる。休日といえど、あまり遅く起きたくはない。あらかじめ考えていた予定を思い出しながら、ケトルに水を注ぐ。
今の時間、あなたが仕事をしていることを知っている。仕事中にスマートフォンを見ないことも。サイレントモードにしていて、通知音も鳴らないようにしていると言っていた。
だから、たった一言メッセージを送る。あなたが見ないことを分かっていて、わたしは紙飛行機に似たアイコンに指を乗せる。吹き出しとともに表示されたのは送信時間のみ。既読の文字はない。
ほっと息をつく。頭がふわふわしている自覚はある。そういうときに、同じことを繰り返している。自嘲するような笑みに声はない。明るい部屋にはそぐわない。
当たり障りのない、体調を気遣うメッセージも送る。その吹き出しが表示されたら、最初のメッセージを長押し。送信取消の項目を選択する。
ごめんね、誤字があったから送り直した。
最後にそう添えて。
会いたい、に既読がつくことはない。
その距離を許し、許された
僕の呼び掛けに応えるきみは眩しかった
僕の名前が特別なものになったあの日
きみも同じように思ってくれただろうか
あなたの声を覚えている。
わたしは好き嫌いでしか判断できないから、昔も今も好きだと言うことしかできない。
あなたは、昔を否定するかもしれないけれど。
曲はいまより単純なものだったかもしれない。楽器が、音が増えた。あなたの技術が高くなったのだろう。努力の過程を知る術がないから間違っているかもしれない。けれど、きっと今の曲のほうが、わたしの知らない技術を使っているのだろう。
ことばもいまよりずっと拙かった。語彙が増えた、表現に余韻がある。そしてそう感じるわたしの感性も高まったのだと信じたい。
あなたの表現の変化がその声にもあらわれている。あなたの声自体は変わらないけれど、あの頃とは違うのだと感じる。振れ幅が大きい。
知っている人なのに、知らない人みたいだ。
だから驚いたのだ。あなたがあの頃の歌を、あの頃のまま歌うから。
そして、あの頃のように、わたしと目が合うと笑みを深くして、歌い続ける。
目が合った、なんてよくある勘違いかもしれない。
それなのにあなたは言うのだ。あの頃からのファン、最初のファンとあの頃と同じところで目が合って嬉しかった、と。
わたしはあなたの歌にとらわれている。この先もとらわれ続ける。あなたの思いがのっているから、わたしはそれを無碍にできない。
きっとあなたはわかっている。質が悪いと思っていることでさえも。
それでもあなたは続けるのだろう。
そして、わたしは彼女の歌に、彼女自身にとらわれるのだ。
仕事を終え会社を出るとすっかり暗くなっている。建物の中にいるうちに日は沈み、帰宅する頃の空は闇色だ。少し前までは薄手のコートでも問題なかったが、すっかり寒くなってしまった。マフラーを巻き直す。
夏の夜とは異なり、どことなく寂しさを感じる。冷たい空気によるのかもしれない。
このまま真っ直ぐ帰るのは何となく躊躇われた。
乗り換えもしないのにターミナル駅で途中下車する。定期券の範囲内なのをいいことに改札の外に出た。
昼休みに眺めていた記事がイルミネーション特集だった。
駅前では電飾が輝いている。駅舎を出てそれを眺める。写真を撮っている人も少なくない。撮影を頼まれればそのたびに了承する。
明るい場所であれば気分も変わるかと思った。ベンチに腰を下ろす。コートがあるからマシだが、寒空の下のベンチは尻から冷えていきそうだ。コーヒーショップで飲み物を買うのだったかと考えるも、長居するつもりでもないと脳内の自分が首を振る。
イルミネーションは綺麗だ。しかし、ひとりだからだろうか、虚しさは消えない。かといって、人を呼ぶあてもない。SNSへの投稿もそんな気分ではない。着いたときに写真を撮ったのを最後にスマホは鞄にしまわれている。
――隣にあなたがいればいいのに。
気が付けば単純なことだった。呼び出せる距離ではないから、端から考えないようにしていた。
メッセージアプリを開き、先程撮った写真とともにメッセージを送る。
イルミネーションは綺麗だ。
あなたと見られたら、もっと綺麗に映るだろう。
何かが欠けているような感覚。少しの空虚。吹き込む秋風がそれを思い出させる。
天高く馬肥ゆる秋というだけあって、過ごしやすい時期だ。酷暑も過ぎ去りその暑さを忘れ、食べ物も美味しい。食べ物はいつだっておいしいが、秋の誘惑となれば白旗を上げるばかりだ。
仕事は忙しいが、休日が潰れることはない。休日は行楽を楽しみ、食を楽しむ。充実している。
そんな中にあってふと冷たい風にさらされると、秋に高揚していた気分がすっと落ち着く。落ち着くだけなら良いが冷めてしまうこともある。そうすると、自分を俯瞰する自分がいる。
楽しんでいたことを思い、そして、分かち合うひとがいないことに気付かされる。
そのひとに別れを告げたのは自分だというのに。