何かが欠けているような感覚。少しの空虚。吹き込む秋風がそれを思い出させる。
天高く馬肥ゆる秋というだけあって、過ごしやすい時期だ。酷暑も過ぎ去りその暑さを忘れ、食べ物も美味しい。食べ物はいつだっておいしいが、秋の誘惑となれば白旗を上げるばかりだ。
仕事は忙しいが、休日が潰れることはない。休日は行楽を楽しみ、食を楽しむ。充実している。
そんな中にあってふと冷たい風にさらされると、秋に高揚していた気分がすっと落ち着く。落ち着くだけなら良いが冷めてしまうこともある。そうすると、自分を俯瞰する自分がいる。
楽しんでいたことを思い、そして、分かち合うひとがいないことに気付かされる。
そのひとに別れを告げたのは自分だというのに。
ふと空を見上げると、雲間から一筋の光が差していた。
そして、私は一歩踏み出した。
おとぎ話をしよう。きみが眠りにつく前に。
昔、あるところにお姫様がいたんだ。きれいな髪でかわいいお顔立ちのお姫様だよ。仕草もとても美しい。
うん? きみはもちろんかわいいよ。きみよりかわいいかは、どうだろうね?
話を戻すよ。お姫様は、ある王子様と婚約していたんだ。大人になったら結婚しましょう、という約束だよ。
けれど、その約束は果たされなかった。王子様が、お姫様とは別の女の子と結婚したい、と言い出したんだ。
そう、よく知っているね。おうちとおうちの約束だから、王子様のお父様である王様と、お姫様のお父様である公爵様がお話合いをしたんだ。お姫様は、公爵家のお姫様だったんだよ。
さいごには、王子様とお姫様は結婚しないことに決まった。王子様はお姫様より別の女の子が良かったし、お姫様だって他の女の子と結婚したいと言うような王子様は嫌だったのかもしれない。
お姫様はずっと人に囲まれていたけれど、王子様との婚約がなくなってからは、まわりに人がいなくなった。
お友だち? お友だちではなかったと思うよ。お姫様と近付くことで、お姫様のおうちや、王様たちからいいお話を聞きたかっただけだと思う。いいお話については、もう少し大きくなったらお話しよう。
お姫様はひとりぼっちだった。だから、のけ者にされていた騎士も近付くことができた。
のけ者の騎士もいるんだよ。仲間はずれだったんだ。
その頃の騎士は、お姫様が好きだったわけではないけれど、お姫様のことを、とても美しいと思っていた。お姫様のお家の力があれば、偉くなることができるとも考えた。
そんな理由で、お姫様に近付いた。
騎士は、お姫様と会う機会を得た。何度かお姫様と会ううちに、お姫様のことが好きになってしまった。
そうすると、騎士はお姫様に会えなくなってしまった。
お姫様が嫌がったわけでもないし、公爵様に断られたわけでもない。騎士は好きだと思ったから、お姫様のお家と縁付こうとしたことを恥じた。
しばらくお姫様と会わない日が続いた。けれど、ある日お姫様から呼び出された。騎士はその呼び出しを断れなかった。お姫様の立場が上だったからだ。
久しぶりに会ったお姫様は、とても美しかった。けれど、悲しそうな顔をしてみせた。そう、わかりやすく悲しいと、あえて表現していた。
騎士の話を聞いたお姫様は言った。
わたくしを使えばよろしいのよ。わたくしを好いてくださる方のためなら、わたくしの家の力を使うことを厭わないわ。
わたくしもあなたとともにいたいの。
お姫様は騎士と結婚し、ひとりの娘を産み、幸せに暮らしている。
彼女が願った理想郷。完成された世界。
わたしはそれを受け入れられなかった。彼女にとっての理想郷に発展が見られなかった。
完成した社会、世界はどのようなものなのだろうか。人は、社会は、世界は成長を、発展をする余地はないのだろう。
それは確かに理想かもしれない。
ただ、わたしにはそれが受け入れられない。
扉の向こうの冷蔵庫の音、浴室乾燥の音。そして目の前のパソコンの稼働音。それ以外は静かな部屋に突如響いた電子音。スマートフォンを見ればメッセージが届いていた。
『今日行っても良い?』
部屋の状態を確かめたのは一瞬。了承の返事を送る。すぐに既読がついたのでそのまま画面を開いていると絵文字だけ送られてきた。ふっと息を吐いて同じように返す。この画面を通して、同じように笑顔でいるといい。
ふたりだけの合言葉。
変わらぬ愛を、いつまでもあなたに。
いつだか、願いを込めた言葉。
ふたりを繋ぐ愛言葉。