アカサキオキ

Open App
8/29/2024, 3:00:57 PM

 今夜はずっと隣にいてよ。

 そう言った君の顔を見て、考えることもなく頷いていた。ひとりにしたくなかった。君が消えてしまいそうだった。君の願いだったけれど、むしろ君に願いたかった。
 ひとりにしないで。

 影を落とした顔に気付かないふりをして、君の手を握る。空いた手では先程まで過去の映画を放送していたテレビを消す。音の消えた室内は、今の自分たちには少し明るすぎる。照明のリモコンに持ち替えて部屋を橙に灯す。
 手を繋いでしまうと、どうにも離すのが惜しまれる。手に動きがあったことで離すと思われたのかもしれない。絡め合った指に、手に力が込められる。離す気がないことを示すようにこちらからも力を込めれば、甲を撫でられた。

 照明を落としきった部屋。ひとりで寝るには十分だが、ふたりでは少々狭く感じる大きさのベッド。そこでふたり静かに横になる。手は離してしまったが、その代わり抱き合っている。今夜は少し君が小さく見える。
 今夜は月が出ていなかったような気がする。街灯が消えてしまえば、途端に真っ暗になってしまうような夜。人の声も聞こえてこない、虫も鳴いていない静かな夜。
 どうして君は寂しさを覚えたの?

 その問いに答えはないが、そもそも問いかけてもいない。お互いに口を開かずに寄り添う。今の君に必要なのは、そばにいることだけ。自分が隣にいることを感じてもらえればいい。今夜ばかりは言葉ですらも無粋だ。心を繋ぐために言葉を紡ぐのはまた明日からにしよう。今はただ、君のそばにいたい。

8/29/2024, 3:34:08 AM

 君はいつも前以て連絡してくれない。同じマンションに住んでいるから、突然玄関の呼び鈴が鳴る。インターホンのカメラに映るのは案の定君だった。
「今日は何?」
玄関を開け、気怠げに尋ねれば君はいつものように出かけよう、と言う。出掛けるにもそれだけの身支度まではできていない。部屋に招き入れる。
「どこに行くつもり?」
それに君は笑って答えた。答えがないならと君の服を見ながら自分の服を決める。服と鞄、アクセサリーを決めて洗面所に向かった。
 身支度を整えて戻れば、君は慣れたように寛いでいる。実際慣れているだろう。いつも当日やってくる。だから君の好むお茶を置いているし、君に本棚見ていいよ、と言っている。君を招けるよう部屋は片付けてある。

 君と出掛けるのは嫌いじゃない。家を出てふたりで歩く。よく晴れた日だが暑すぎることもなく快適な気温。湿度も高くない。であれば、屋内で過ごすことはなさそうだ。
「前日までに伝えておこう、とか思わない?」
「出かけたくなるのが当日だから」
「大変不本意ながら用事があるときもあるんだよ」
わかっているよ、と君は笑う。そのときはひとりで出かけるだけのことだと。知っている。
「君みたいにフットワーク軽くないんだ」
「用事がなければ断らないくせによく言う」
確かに君の誘いを断ることはほとんどない。自分の予定がある日を君に伝えているのも事実だ。
「世界は君の知らないことばかりなんだから」
引きこもっているつもりはないが、自分の世界が閉ざされていることには気付いている。そこに希望が見出だせないのにその中に閉じこもっていることも。
 だから君は家の中から出してくれる。世界が広いことを教えてくれる。そこまで考えていないかもしれないけれど。
 君に甘えている。君が連れ出してくれる現状に甘んじている。それでも、君は何も言わないから、いつも、君を迎える準備と外に出る準備だけしている。

8/28/2024, 3:30:45 AM

 放課後、人の少なくなってきた校舎。吹奏楽部の練習の音が聞こえる。部活動に参加しない生徒は帰宅し、部活動中なので人の出入りがほとんどない昇降口でひとり、空を見上げていた。
 小雨であればそのまま帰宅の途についただろうが、そうするには少し強い雨。当然手元に傘はない。
 教室はもう鍵が掛けられている。図書室に向かうことも考えたが、おそらく直に止むだろう。空の様子から推測する。十数分のために図書室へ行くことすら億劫な自分に脳内で苦笑する。

 ――小説や漫画ならここで好きな人が通りかかる等のイベントが起こるのだろうな。
 時間を潰せるようなものも持たず、軒先から雨の降る様を見ている。好きな人はおろか、気になる人もいないので通りかかる人は友達がいいところだ。彼らも帰宅しているか、部活動中かのいずれかだから、こんなところで出会すはずもない。
 たとえば、好きな人とふたり、雨が止むのを待っているとしたら、どのような会話があるのだろう。折り畳み傘を持っていることを隠して、その時間を過ごすこともあり得るのだろうか。
 雨が止むまでの僅かな時間。空想に耽ってみる。

8/26/2024, 11:31:59 PM

 いつしか、私の人生となるもの。私の軌跡。
 胸を張れるようなものではないかもしれない。
 最後の頁に、幸せだった、と認めたい。

 最初にそう書かれたしっかりとしたノート。何らかの書籍だと思い手に取ったが、どうやら誰かの日記らしい。読むわけにもいくまい、と思いつつも、書庫にあるのだから読んでもいいのではないか、と心が揺れている。見知らぬ人の人生を覗き見てみたい。
 誘惑に負け、更に頁を捲っていく。見知らぬ誰かの日々が描かれている。その日印象的だったできごとが克明に、そしてそのときの感情が鮮明に。
 読み返したときに辛くなりたくない、と最初の方に書かれていたが、人との別れについて書かれてもいた。怒りを覚えたできごとも書かれている。書いているうちに、悲しいことも記そうと考えたのかもしれない。

 唐突に、白紙の頁が続く。その後はいくら捲っても何も書かれていなかった。
 そこで書くのをやめたのだろうか。やめざるを得ないできごとがあったのか。

 この人は、幸せだったのだろうか。


 その後、その人に倣って日々のことを認め始めた。とはいえ、毎日ではない。印象に残るできごとがあった日、そのときの気持ちをまた思い出したい。そんなときに。だから、日付は飛び飛びだ。それも自分という気がしてならない。そんな自分を受け入れられるのも、あの見知らぬ人の日記によるのかもしれない。あの日記も毎日ではなかったのだ。
 私の人生、私の軌跡。幸せだった、で締めくくりたい。
 あの人に出会わせてくれた日記帳に感謝を。
 私の日記帳は、その隣に置いておこう。もしかすると、誰かが何かを勝手に感じるかもしれない。

8/23/2024, 3:19:14 PM

 小高い山の上に展望台が設置されている。春には桜が楽しめる。夏は緑が生い茂り、秋には紅葉が見られ、流石に雪は降らないので葉の落ちた木々が冬であることを示す山。その展望台からは湾が見える。海はすぐそばにある。

 古代より旅の歌も詠まれてきた。歌碑もある。海を渡ってきた人、これから海を渡る人が訪れた。彼らもこの海を見ていたのだろうか。勿論、街並みは大きく変わり、自分の知る港は彼らの知らない港だろう。見える景色は異なっているだろうが、果たして海の様子は変わったのだろうか。答える人はいない。
 展望台のベンチに腰掛け、ぼんやりと空と海を眺める。幸い過ごしやすい気温だ。鞄から飲み物――ペットボトルの水――と先程購入したハンバーガーを取り出す。晴天の下の食事はより美味しい。鳥の声が響き、土と草の匂い。そこに見えてはいても、風は強くないから潮風のような香りはしない。

 しばらくこの景色を見ることはない。見えている方向とは違うものの、自分もこの街を離れ、海を越える。だから、長らく海を見てきたであろうこの場所を訪れた。ずっとここにあり続けたからこそ、自分にとって身近なこの場所へ。
 旅立つことに対する気持ちの整理。ここで抱いた海の向こうへの希望を忘れないために。
 すぐには行けなくなる海への憧憬を今ここで満たして。

Next