リバーシ。
正方形の盤の上に並べられた石。表裏にそれぞれ黒と白が塗られている。プレイヤーは交互に盤面へ石を置いていく。相手の石を自分の石で挟んだときは、相手の石を裏返すことで、自分の石にする。そして、最終的に盤上の石が多かったほうが勝ちとなるゲームだ。
ルールこそ簡単だが、戦術は数多く生み出されているらしい。有名だという戦術も知らない。極めようとしているわけではない自分にとっては未知の領域である。
黒の石を置く。盤面上ではこちらが優勢に見えるが、隅を取られている。残っている隅はこちらがとりたい。
四隅を取ることに失敗こそしたものの盤面の石の数はほぼ同数。隅を取られている分、残りの配置を考えないと一気に形勢が変わりかねない。
少しずつでも白を裏返して黒の石に変える。できるだけ相手方の取れる石が少なくなる場所を選んでいく。はじめからもう少し考えておけば良かったのだろうが、ある程度できあがらないとイメージできないのは良くない点かもしれない。白を黒に、黒を白に裏返してゲームは進む。
盤上に石が敷き詰められたとき、黒色の石が僅かに多かった。
翼を持っているとしたら、どうする?
その問いに答えを持たなかった。鳥になりたいと思ったことはないし、空を飛べることが自由だと思ったこともなかった。
質問を受けて、今一度考えてみる。
人間には脚があるし、その他の移動手段も選べる。鳥の足が長距離の移動に向いているとは思えない。ペンギンの場合は泳ぐことに特化しているという。そう考えると、創作における有翼種の発達というのは少し興味深い。脚も使えて翼も使えることが多いように感じる。
閑話休題。
空を飛びたい、という気持ちがなかったわけではない。恐らく最初は空を飛ぶことこそが目的であり、その先を考えられなかったのだと思う。そのうちに成長し、自由という名の不自由に縛られてしまったのかもしれない。
まるで籠の中にいるみたい。そう言ったのは誰だったか。思い出すことはできないが、否定できなかったことは覚えている。翼を持っていても籠の中にいるならどこにも行けない。そんなことはわかっている。拗ねたような口調だったかもしれない。確かその人は少し笑った。
目の前の人物はあのとき話した人ではない。同じ答えでも問題はない。問題ないはずなのに、違和感を覚える。あのときと何か変わっただろうか。思い当たる節もない。
地に足がついている方が落ち着く。
何となく、そう返した。自分はきっと鳥になれない。そのようなふるまいもできない。
けれど、自分らしくそこに立っていたい。
楽しかった時間ももう終わり。街は急速に賑わいを失くしていく。煌々と輝いていたネオンは消え、人々は一斉に帰路に着いた後。静寂の中にあなたとふたり、今日を見送る。
月のない夜。明かりの消えた街でふたりきり。空には無数の星が瞬いている。
もうすぐ世界が終わる。有識者の見立てでは一週間もないという。一ヶ月前の情報から経過日数を鑑みるとそうなるが、元となる見立てが改められたとは聞いていない。一ヶ月前までは何度か変わっていたのだが、計算のぶれもなくなったということだろうか。
一定の時間になると明かりが落ちるようになったオフィス街。終電もだいぶ早くなった。普段通りに過ごしたい人と静かに終わりを待つ人との間で少々揉めたそうだが詳しくは知らない。とある街では自棄になった人が集まっているという噂もある。秩序を保ちつつも、やはり混沌としているのだろう。
約一ヶ月前からお互いに何も言わずに一緒に過ごしている。夜には家に帰って家族と過ごしているが、日中は共にいる。何をするでもなく、繁華街近くの公園でふたり、時の流れに身を任せる。移り変わる空、通りかかる人々、街の様子を眺めるだけ。以前の自分に伝えたら、贅沢な過ごし方と言いそうだ。
いよいよ今日が終わってしまう。帰らなければならない。正直に言えば、離れ難い。それが難しいこともわかっている。
だから、明日の約束をしよう。今日の別れの前に。
また明日、あなたに会うために。
窓に叩きつけられた雨音が意識を覚醒させていく。どうやら雨が降っているらしい。
身支度を終えて家を出る。窓から見ていた景色と変わらず雨が降っている。地面も軒も軽快に雨音を立てている。傘を開く。今日の雨は昼過ぎには止むだろうと、気象予報士が言っていた。そうなれば、この傘は帰りには荷物になってしまう。あるいは、忘れて帰るかもしれない。
予報の通り、夕方を前に雨は止んだ。雲もすっかり少ない。
橙に色付く空。紫から紺へ、暗くなるグラデーションも見せている。夜になろうとしている。
この夜を越えたら、明日という名の今日が来る。昼までの雨のことなど忘れて夕焼けに照らされた道を歩く。家に帰ったら明日を迎える準備をしよう。
明日の空模様は晴れ! 一日中快晴が続くでしょう!
少し浮かれたように心の中で言ってみた。
傘を忘れたことに気付いたのは家に着いたときだった。
合わせ鏡。零時に覗き込んではいけない、丑三つ刻に行ってはいけないと言われている。
たかが迷信。都市伝説。
未来の自分を見ることができる。そう言われて想像する「未来の自分」が二十代や三十代の様子であることも噂の中心が十代の中高生であることを考えれば不思議なことではない。死相なんて想像もしないはずである。ところが、合わせ鏡は未来の自分としてその人物の死相を見せるという。
零時に覗き込むのは正直に言えばまだかわいい方だ。丑三つ刻の合わせ鏡は異界へとつながってしまう。その結果、その異界のもの、この世のものではないものがこちらの世界にやってくる。
異界に興味があったあの子は、丑三つ刻に合わせ鏡を覗き込んだ。
――あなたは誰?
あの子は人が変わったようだった。取り憑かれてしまった。別人と言っても過言ではない。クラスメイトも友だちも親兄弟も、誰も彼もが知らないあの子に困惑する。
あの子はどこにいってしまったのか。確かにあの子の姿かたちをしている。けれど、あの子の笑い方が違う。あの子の好む食べ物が違う。様々な違いが周囲を惑わす。本人にそのつもりはなくとも。
鏡に映るあの子こそ、あの子かもしれない。