楽しかった時間ももう終わり。街は急速に賑わいを失くしていく。煌々と輝いていたネオンは消え、人々は一斉に帰路に着いた後。静寂の中にあなたとふたり、今日を見送る。
月のない夜。明かりの消えた街でふたりきり。空には無数の星が瞬いている。
もうすぐ世界が終わる。有識者の見立てでは一週間もないという。一ヶ月前の情報から経過日数を鑑みるとそうなるが、元となる見立てが改められたとは聞いていない。一ヶ月前までは何度か変わっていたのだが、計算のぶれもなくなったということだろうか。
一定の時間になると明かりが落ちるようになったオフィス街。終電もだいぶ早くなった。普段通りに過ごしたい人と静かに終わりを待つ人との間で少々揉めたそうだが詳しくは知らない。とある街では自棄になった人が集まっているという噂もある。秩序を保ちつつも、やはり混沌としているのだろう。
約一ヶ月前からお互いに何も言わずに一緒に過ごしている。夜には家に帰って家族と過ごしているが、日中は共にいる。何をするでもなく、繁華街近くの公園でふたり、時の流れに身を任せる。移り変わる空、通りかかる人々、街の様子を眺めるだけ。以前の自分に伝えたら、贅沢な過ごし方と言いそうだ。
いよいよ今日が終わってしまう。帰らなければならない。正直に言えば、離れ難い。それが難しいこともわかっている。
だから、明日の約束をしよう。今日の別れの前に。
また明日、あなたに会うために。
窓に叩きつけられた雨音が意識を覚醒させていく。どうやら雨が降っているらしい。
身支度を終えて家を出る。窓から見ていた景色と変わらず雨が降っている。地面も軒も軽快に雨音を立てている。傘を開く。今日の雨は昼過ぎには止むだろうと、気象予報士が言っていた。そうなれば、この傘は帰りには荷物になってしまう。あるいは、忘れて帰るかもしれない。
予報の通り、夕方を前に雨は止んだ。雲もすっかり少ない。
橙に色付く空。紫から紺へ、暗くなるグラデーションも見せている。夜になろうとしている。
この夜を越えたら、明日という名の今日が来る。昼までの雨のことなど忘れて夕焼けに照らされた道を歩く。家に帰ったら明日を迎える準備をしよう。
明日の空模様は晴れ! 一日中快晴が続くでしょう!
少し浮かれたように心の中で言ってみた。
傘を忘れたことに気付いたのは家に着いたときだった。
合わせ鏡。零時に覗き込んではいけない、丑三つ刻に行ってはいけないと言われている。
たかが迷信。都市伝説。
未来の自分を見ることができる。そう言われて想像する「未来の自分」が二十代や三十代の様子であることも噂の中心が十代の中高生であることを考えれば不思議なことではない。死相なんて想像もしないはずである。ところが、合わせ鏡は未来の自分としてその人物の死相を見せるという。
零時に覗き込むのは正直に言えばまだかわいい方だ。丑三つ刻の合わせ鏡は異界へとつながってしまう。その結果、その異界のもの、この世のものではないものがこちらの世界にやってくる。
異界に興味があったあの子は、丑三つ刻に合わせ鏡を覗き込んだ。
――あなたは誰?
あの子は人が変わったようだった。取り憑かれてしまった。別人と言っても過言ではない。クラスメイトも友だちも親兄弟も、誰も彼もが知らないあの子に困惑する。
あの子はどこにいってしまったのか。確かにあの子の姿かたちをしている。けれど、あの子の笑い方が違う。あの子の好む食べ物が違う。様々な違いが周囲を惑わす。本人にそのつもりはなくとも。
鏡に映るあの子こそ、あの子かもしれない。
あなたを好きだった記憶が頭にこびりついて離れない。もう、あなたと会うことなんてないのに。街ですれ違ってもわたしはあなたに気付けないのに。あなたはきっとわたしのことなど思い出しもしないのに。
あなたを好きだった記憶。
あなたと話したこと。内容をすべては流石に覚えてはいられなかったけれど、あなたと話しているときのわたしの心臓の音。あなたを目で追っていたわたしのこと。
あのとき行動すれば良かった、別の選択肢だとどうだったんだろう。あなたの顔すら朧げなのに、そんなことばかり浮かんでくる。
いまさら意味を持たないことなどわたしも理解している。
いちばん綺麗な恋愛感情だった。
単純に好きだった。それゆえに当時のわたしは幾度となく嫉妬に駆られた。当然、純粋に好きだという気持ちだけではなかった。
ただ、気が付いたら落ちていた恋だった。いいな、と思っていた。そのあと偶然あなたと話すようになった。いつしかわたしはあなたを好きになっていた。好きになろうとしたわけではなかった。あなたと話す子を羨むわたしによって気付かされた。
わたしにとって、純粋な恋で、唯一勝手に生まれた恋心だった。
いつしか心は歪になってしまった。わたしの心は純粋さを失っていた。わたしの心情を、わたしの理性が作り出していた。
わたしの好きは、どこへ行ってしまったのか。それをどこへ追いやってしまったのか。
わたしはそれを取り戻すことができるのだろうか。
だから、今なお、あの頃の純粋な好きの記憶を捨てられずにいる。
あなたのための舞台。私は舞台装置。退場することが定められている。あなたが輝くために在る。
あなたが正義なら私は悪だ。あなたによって退場させられる者。スポットライトが当たるのはあなたへの理不尽を際立たせるため。こちらも輝きを持たねばならない。それが、真っ当でなくとも。そうしなければ、あなたをより強く煌めかせることなどできないのだから。
私の言葉で傷つけばいい。癒やすのは俺の役ではない。私の行動に怒りを持て。あなたの言葉で改めなどしないのだから。
そして、あなたの正義を振りかざせ。ここはあなたのためにある。あなたの正義が絶対だ。
だから俺は自らのために全力で演じる。あなたにとって許しがたい悪役を。
――演じきったそのとき、きっと「それ」を感じられる。