永坂暖日

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3/4/2025, 1:32:02 PM

約束

 三年ぶりに、その街を訪れた。にぎわいは三年前と変わらないが、通りに並ぶ店は、いくらか入れ替わっているようだった。
 それを眺めながら歩き、我ながら、何をやっているのかと呆れる。
 会えるはずがない。いるわけもない。だってお互いに、名前も知らないのだ――。

 それは三年前、この港町にしばらく滞在していた時だった。故郷を飛び出したものの行く宛はなく、流れ着いたこの街で、様々な仕事を請け負い日銭を稼いで暮らしていた。はじめは荷運びとか簡単な仕事だったが、いつの間にか剣を持ち、魔物退治や夜盗討伐をするようになっていた。埃にまみれた体には、血のにおいがこびりついていた。
 奴と出会ったのは、行きつけの酒場。
 弦楽器を携え、歌を交えた物語を語ったり、客の求めに応じて歌ったりする、旅の楽師だった。一通り歌った後、奴は、一人で飲んでいる俺の隣の席に来た。
「私の歌、お気に召さなかったかな?」
 驚いて顔を上げたのは、それが女の声だったからだ。歌っている時は、男のように低い声だったのに。
「君、いかにも浮かない顔だ。それに、少々血腥い。ああ、みなまで言わなくていい。こういう街でこういう酒場には、君のような人もいるものだよ」
 まくし立てるしゃべり方は男のようで服装も男物だが、顔はよく見れば女だった。
「いや君たちのような人々の働きがあって、我々の安全があると理解している。理解しているからこそ、せめてひととき、楽しんでもらおうとこうして酒場で歌っているのだが、いやはや、私もまだまだ修行が足りない。次に会う時は、君を笑顔にしてみせるよ」
「……次? 次に会う時なんざ、あるもんか」
「じゃあ、約束をしよう。そうだなあ、修行する時間も必要だから――三年後。三年後の、今日にしよう! 三年後の今日、またこの店で会おうじゃないか!」
「三年て、おまえ――」
 莫迦じゃないかと言う前に、客の一人が楽師に歌ってくれと声をかけた。楽師の女は弦楽器を抱え、軽やかな声でそれに応じる。
「じゃあ君、三年後に」
 明るくさわやかな笑顔を残して、楽師は店の中央へ戻っていった。それから、俺が店を出るまで歌い続けていた。目が合うことすら一度もなかった。
 翌日、楽師は店に現れなかった。その翌日も、さらにその翌日も――俺が港町を去るまで、結局二度と、会うことはなかった。
 会ったのも、わずかに言葉を交わしたこともたったの一度。その場限りで口先だけのような約束を、それでも忘れられなかったのは、刹那的に生きる時間の中で、先のことを約束した相手が、その楽師だけだったからだ。
 三年後に会おう。
 その約束を何となく忘れられず、生き延びてきた。その日が近付くにつれ、あの港町に向かって旅していた。
 かつては行きつけだった酒場の看板は、変わらずあった。もう店はにぎわっている頃合いだ。
 扉を開けると、にぎやかな声に混じって、歌が聞こえた。

5/29/2023, 12:56:32 PM

「ごめんね」

 赤い、赤い夕日を背にして彼女が口にした言葉。逆光で表情は見えなくて、風が強くて、声は聞き取りづらかった。
 どうして謝られるのか理由が分からなかった僕は、きっと間抜けな顔をしていただろう。それから、今思えばもっと間抜けな返事をしていた。
「謝らなくていいよ。リジャは何も悪くないんだから」
 理由も問わないまま、何故と疑問にも思わないまま、そう言っていた。それを聞いたリジャがどんな表情をしていたか、もちろん、僕には見えなかった。
 世界は悲しいことに満ちている。辛いことはどこにでも落ちている。楽しいこと、幸せなことは、一生懸命に探さなければ見つからない。それが当たり前の世界。魔王と呼ばれる存在が、その配下を使って世界を蹂躙し、人々は常にびくびくしながら生きていた。草むらに寝転がってのんびり日向ぼっこするなんて、夢物語な日常。
 平穏なんて、言葉でしか知らなかったけど、幸せは実感を伴って知っていた。リジャが隣にいる。それだけで、僕は幸せだった。たとえ、村から一歩出ればいつ命を落としてもおかしくない世界だとしても。夜に家の窓も戸もしっかりと閉めていても、安心してぐっすりとは眠れなくても。目が覚めて朝が来れば、リジャとまた会えるから。
 なのに――。
 数時間前に見た夕焼けのように――いや、比べものにならないほど禍々しく、空が赤黒く染まっていた。未だかつて聞いたことのないような悲鳴が、近くから遠くから、いくつも聞こえる。
 叩き起こされて家を飛び出した時には、もう地獄のような様相を呈していた。昼間のように明るく、夏のように熱く、誰もが叫び声を上げながら逃げまどっていた。
 煙と炎が渦巻く空を飛び回っているのは鳥などではなく、恐ろしく太い爪で、人をひっかけては飛び上がり、戯れのように屋根よりもずっと高い位置から落としいた。
「リジャ!」
 逃げようという家族の手をすり抜け、燃え上がる隣家へ急ぐ。
「リジャ!」
 轟音を上げる炎を背に、リジャは佇んでいた。足下には、彼女の家族が倒れていた。リジャ以外、誰も動かない。せめて彼女だけ無事で良かった――。
「リ」
「来ちゃだめ!」
 悲痛さのにじむ声に、足を止める。炎を背にしているから、リジャの表情は見えない。その彼女の影から、真っ黒な何かが生えるように現れた。それはあっという間に大きく膨れ上がる。巨大な人のようにも見えた。刃で切り抜いたように、顔の部分に目と口ができる。弧を描くそれらは、愉快げに笑っているようだった。
「さあ、我が子よ。歓迎の儀式を締めるときだ。あれを、斬るがいい」
 真っ黒な影はリジャの背後に回り込み、細い肩に黒い手をかける。
「……もう、いいでしょう。わたしは大人しくついて行くから、これ以上は!」
 リジャが頭を抱えてしゃがみ込む。その足下に、一振りの剣が落ちていることに、ようやく気付いた。刃は、炎ではない赤に染まっている。
「親しいものとの縁を切れ。さもなくば炎は更に広がるぞ」
 リジャがゆっくりと顔を上げる。彼女の背後に真っ黒な影がいるせいで、その表情が見えた。うつろな目から流れる幾筋もの涙。頭を抱えていた手が、地面に横たわる剣の柄に触れる。
 背を向けて今すぐ逃げろ、と冷静な部分が叫んでいる。けれど、彼女に何が起きているのか分からないまま逃げてもいいのか、と感情の部分が引き留める。
 結局固まったように動けないまま、振り下ろされる切っ先を見ていた。
 リジャは、僕の名前を呼びながら、泣きながら、剣を振り抜いた。

 頬を打つ水の感触で、目を覚ました。体が燃えるように熱い。痛い。焦げ臭いにおいが鼻の奥まで詰まっている。雨音しか聞こえなかった。
 生きているのが不思議だったが、リジャに斬られた傷は、結局、それほど深くはなかったらしい。救助に来た近隣の村人達によると、生き残ったのは僕を含めてほんの数人。その誰もが脅え、あの夜の出来事を語ろうとはしないという。
 僕も、あの夜に見たことを誰かに言う気にはなれなかった。
 だから、誰にも言わず、ひっそりと旅立った。煙のように消えたリジャを探すために。あの夕暮れに、謝った理由を聞くために。

5/28/2023, 2:04:42 PM

半袖

 リアリティが売りの、仮想空間体験だった。
 目の前には果てしない雪原が広がり、一歩進めばぎゅっとした感触と共にくっきりとその跡が残る。暴れる風に乗った氷の小さな欠片が、礫のように体を打つ。髪は風にもてあそばれていた。
 けれど、指先まで凍えるような寒さは感じなかった。
「物足りないなあ」
「半袖姿で何言ってんだか」
「でも、もうちょっとリアルを感じたいじゃん?」
 月面に雪は降らない。それどころか、雨もなく、雲さえできはしない。風だって、人工的なものしかない。
 意識を丸ごと仮想空間に接続することで、この上ないリアルを感じられるというアクティビティが今の流行だった。その割に、はである。
「地球の南極の風景の再現だろ? 気温まで再現したって、誰も喜ばないよ。意識だけの接続とはいえ、下手すりゃ死ぬし」
「せめて肌寒いくらいは感じてもいいかなと思うけど……」
 むき出しの腕を自分でさする必要さえない。月面では「寒い」という状況がほとんどないから、ちょっと体験してみたかったのだが。
 物足りなさを感じながら、ほとんど色のない世界をぐるりと見回していたら、黒く小さな点が、遠くに見えた。
 何だろうと思って見ていると、だんだんと近付いてくる。全身はほとんど黒、おなかと目の周りは真っ白。オールのような翼を広げ、よたよたと歩いている。歩くのにあまり向いていなさそうな体つきだが、その姿は荒れ狂う風よりも激しくかわいい。
 その愛らしさに、半袖で南極に立つことのリアリティなんてどうでもよくなった。

5/27/2023, 1:44:35 PM

天国と地獄

 いい子にしてないと、天国に行けないよ。
 そんないたずらばかりしてたら、地獄に堕ちちゃうよ。
 何かをして大人に言われる度、空を見上げてみたり、足下を見つめたりした。
 成長して、そんなことを言われなくなったある日、ふと気付く。
 これは、うぬぼれではなく自信を持ってもいいと思うが、地獄に堕ちるほどの悪いことはしていない。さりとて、周りの誰もが認める――というか、誰も認めてくれないだろうが――いい子でもない。
 悪い子ではないが、いい子でもない。そんな者は、いったい、どこへ行くのだろう。

5/23/2023, 12:09:20 PM

逃れられない呪縛

 疲れた時には甘いものを食べるといい、という。甘みが疲れた体に染み渡り、うっとり癒される経験をお持ちの方は多いであろう。
 あの、甘いものを口に入れた瞬間の幸福感を一度知ってしまったら、そう簡単に逃れることはできない。いやむしろ、囚われてしまったといってもいい。
「……さんざん御託を並べてるけど、要はこれを食べたいってことだよね。そんなに疲れてないのに」
 つやつやのイチゴが載ったショートケーキが二切れ、我々の間にはあった。さっき彼女が持ってきた差し入れである。
「疲れてる。とても疲れてるよ!」
「いや、めっちゃ声でかいし、元気だし」
「――今すぐ食べたいです。食べてもいいですか。お願いします、食べさせてください」
「最初から素直にそう言えばいいんだよ。ほら、さっさと食べて勉強しよう」
 彼女はプラスチックのフォークを突き出した。
「せっかくのケーキだから、さっさと食べるのはもったいないなあ……」
「試験が終わったら、またケーキ買って、その時ゆっくり食べたらいいんだよ」
 クリームの甘さを口いっぱいに感じながら、わたしはこくりと頷いた。
 次はチョコレートケーキを、わたしが買ってこよう。

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