フグ田ナマガツオ

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2/20/2023, 9:59:22 AM

病室の窓からは名前の分からない木が見えていた。
葉はほとんど枯れ落ちていて、寂しい枝だった。
空席が目立つ病室で、カーテン越しに話した女の子のことをたまに思い出す。
思えばあの時から始まっていたのかもしれない。



「七咲先輩!見てこれ!」

裁判後に「勝訴」を知らせるようなポーズで白石千尋は入部届を持ってきた。

「入部届……マジ?」

「大マジ!ウチのクラスの彩音ちゃん!」

遅れて、気だるそうな女の子が入ってきた。
くすんだ金髪の根元は黒い。
僕の顔をじっと見て、首をすくめるような仕草をした。
多分、会釈だろう。
入部届けには整った字で篠塚彩音、と書いてある。

「よろしく篠塚さん。白石の友達?」

「です。ダンス、興味あって」

白石の方を見ると、ニヤニヤしている。
入部者集めの功績が誇らしいのだろう。

「そっかそっか!でもようやくこれで部として認められる、よな?」

白石に視線を渡すと、自信満々に頷いた。

「そりゃそうです!先生が言ってた部員3名の条件はクリアしました!これで文句は言わせません!」

「だよな!じゃあ早速職員室行こう!篠塚さん時間ある?」

「いいですよ」

机の上の入部届を3枚集めて、職員室のある2階に降りる。
これで我が部がようやく成立する。

「お前ら、マジで言ってんのかこれ」

意気揚々とやってきた僕たちを見て、神田先生はため息をついた。
僕と白石は口角を上げる。

「提示された条件は満たしてあります。部員3名、でしたよね」

「俺は全然構わないんだけどな。生徒会の審査通るか?これギリギリアウトだろ」

先生が悩む様子で見つめる書面には、3人それぞれの名前と、部活の名前「文芸・ダンス部」と書かれている。

「えー、どこがアウトなんですか?」

白石が不満そうに聞く。

「活動場所と内容。まず場所だが、文芸部なら部室1個で足りるけど、ダンス部は使える場所がない。そんで内容だが、部費を出して活動を認めるなら、活動実績が必要になるんだ。例えば文芸部だったら、文化祭までに文集作るとか。普段の言動からの推察だが、白石くん、文章書くのとか苦手だろ?」

2/18/2023, 4:22:12 AM

「透明だけど、あなたの横顔が見えるから、これがお気に入りの傘なの」

莉嘉の身長は俺より15cmほど低い。
構内に続く道のアスファルトは既に濃く濡れて、所々水が溜まっている。
隙間を器用に跳ねながら、莉嘉は踊るような口調で言った。

「ただのビニ傘じゃん、壊れかけてるし」

背中側の骨から露先が外れて、ベロンとめくれていた。

「ホントだ、昨日コンビニ行った時かな。直して」

手を伸ばし露先を嵌め直す。
たしかに、あの時は風が強かったな。
サンキュ、と短くお礼を言って、また歩き出す。

「お気に入りって沢山使うから、すぐになくなっちゃう」

当たり前のことに不満そう。
でも少しわかる気がする。

「色鉛筆みたいなもんか」

「そうそう、あと買い置きのアイスとか」

話していると、理学部の講義棟に着いた。

「じゃここで。またね、田島」

手を振って中に消えていく姿を見送って、自分の講義に向かおうとしたが、気が向かなくてそのまま家路についた。
水溜まりを避けながら歩いたつもりだったが、帰る頃にはすっかり濡れてしまっていた。

俺は雨の日にはお気に入りの靴を履かない。
それどころか、普段からあまり使えない。
微かな汚れにさえ、臆病になって普段通り歩けなくなってしまうのだ。

大事なものをしっかり握るタイプと、壊れないようにそっと持つタイプがいる。
俺は明らかに後者。
だから、こうやって当たり障りのない関係を続けていく。
莉嘉は前者だろうから、当たり障りのない程度の関係しか築けていない俺は、莉嘉にとってのお気に入りには該当しないということなのだと思っていた。

ワンルームの薄い布団に横たわってスマホを見ていると、意識がどろりと融解して垂れていった。
そのまま雨に流されてしまいそうだった。



空白のワンルームに帰り、ビニール傘を閉じた。
テープを巻くのも面倒で、そのまま傘立てに入れる。
あそこまで攻めたのに、流されちゃったな。
朝の自分のセリフを思い出して、恥ずかしくなる。
偶然会えたくらいで舞い上がって。

傘立ての奥にもう一本。
水色の傘がちらりと覗いていた。
一目惚れして買ったのに勿体なくて一度も使えていない。
それこそもったいないことだよな。
濡れた服を着替えて、髪をタオルで拭いた。
傘をちらりと見て、スマホを開いた。
電話をかけると、しばらくして寝ぼけたような声が聞こえた。

「田島、夜ご飯、一緒行こ」

ちょっと間が空いた後、了承の返事があった。

「じゃ、7時頃行くから」

雨粒の弾ける音が耳朶を打つ。
朝よりはかなり落ち着いているみたいだ。
だけどさすがに傘は必要だろう。
傘立ての奥の水色が、今こそその時だと言っているような気がした。
今日は勇気を出してみようかな。

2/16/2023, 11:44:42 AM

ここにいる誰よりも強いこと。
それだけが僕の存在が許容されている理由だった。
持て余すほど広い立体の世界では、何もできない僕は
たった81マスの狭い平面の世界で、無敵になれる。

駒を盤の上に叩きつけ、立ち上がって去っていく相手を見送った。

「あーあ、あいつ。またやってるよ」

どこかで呟かれた声は、勝負を放り出して逃げた相手にかけられた言葉ではない。
圧倒的に優勢な状態でいながら、トドメを刺そうとしなかった僕に投げられた言葉だ。

聞かないように意識を閉ざして、リングを降りた。
いっそそれが土砂降りのような罵声であれば、いっそ清々しいと思った。

外は小雨。
じっとりとまとわりつくように降る様が不快だった。

「雨垂れの倉橋」が蔑称に変わったのはいつ頃だっただろう。
思い出せば最初から、褒められた渾名ではなかったようにも思う。

「おめでとう!」

思考を打ち切るように、西野の声が差した。

「見てたのか、僕の相手が怒って行ってしまったところ」

「いや、私が戻った時には2人ともいなかった。盤面見たんだ。慧が持ってた方、王でしょ?」

「下品な勝ち方だったろ」

対戦相手の表情が自然と脳裏に浮かぶ。
苛立ちと憎しみがないまぜになったあの顔。
それが辞めていったあいつと重なるような錯覚があった。
自分が心底不快だ。

「たしかに、あれが勝ち方だとしたら下品かもね」

西野の声は女子にしては少し低い。
普段は、霞む雨の音に溶けてしまいそうな儚い音だ。

「だけど、そうじゃない」

でも今ははっきりと聞こえた。

「あれで勝ちだなんて、思ってなかったんでしょ?」

不快な雨が止んだような気がした。

「そりゃ、盤面は慧が圧倒してた。攻めごまも充分で、囲いも万全だった。でも相手の持ち駒、銀も香車もあったでしょ?あれとあと一つ、桂馬があれば入玉して、そのまま暴れられた。なんなら自陣で死んでた角を使えば状況は五分だったかも。だから、最後の一手。攻める前に桂馬を守った。慧は勝つために全力を尽くしただけ」

傘を持たない左手の人差し指を立てて、西野は言う。

「慧は悪くない」

誰かが理解してくれたことが嬉しくて、同時に思い出して虚しくなる。
僕に憎悪の目を向けて、将棋を辞めたあいつも、かつて同じことを言ったんだ。

「誰も勝たないなら私が勝ってやる。誰も理解しないなら、私がしてやる。だからさ、慧」

言葉を切って息を吸い込んだ。

「首洗って待っとけ!」

そう言って西野は走って去っていった。
あいつの将棋は柔軟で、豊かな発想で溢れている。
故に見るものを惹き付けて、愛される。
対して僕の将棋は窮屈で、偏屈。
誰の心も踊らない。
だから、嫌われて、弾かれる。

でもあいつとだったらもしかして。
僕の作った壁なんて、何でもないかのように壊してみせてくれるんじゃないかと思った。

もう一度信じてみようかな。
傘から手の平を差し出して、大丈夫だ、と傘を閉じた。
雨はもう降っていなかった。

2/15/2023, 10:33:56 AM

差し出された便箋には見覚えがあった。
自分が愛用しているものと同じ柄。
そして中に見えた癖のある文字にも心当たりがあるからだろう。
「これは10年後のあなたから」だなんて胡散臭い文句を添えて渡された手紙を疑う気がそれほど起こらないのは。

ただ、10年後の自分が、過去の自分に手紙を送れるとしたら、今、この瞬間がベストなんだろうなと推測はできた。
この手紙の如何によっては、私は計画を断念せねばなるまい。
心臓がうるさかった。
スマホのライトをつけて、手紙の1行目を照らした。

「時効が成立しました」

ああ、10年後の私、ありがとう。
これで計画の正しさが証明された。

2/15/2023, 10:17:14 AM

ぐしゃりと音を立てて、僕の体が潰れた。
これで213回目の失敗。

そして迎えるのは、今年214回目のバレンタインデーだ。
家を出ると、ポストの周りに大量の包みが置かれているのが見えた。
ざっくり確認したが、目当てのものはない。
落胆しつつママチャリで通学路を進んでいると、投げ入れにより、たちまちカゴがいっぱいになった。
学校に着くと、靴箱から箱が溢れていた。
昨日の時点で持ち帰っていた上靴を履き、教室に入る。
机の中から持ち主の分からないチョコレートを抜き出しながら、右斜め前の席を見遣る。

「あ、おはよう。幹人。朝から忙しそうだね」

気づいた葵が笑いながら振り向いた。
緩くウェーブのかかった髪が揺れる様子に、意識と視線が全て奪われた。

「嬉しい限りだよ」

と返すが、内心はうかない。
大量にもらったその中に、葵からのチョコはないからだ。
葵は幼稚園からの幼馴染であるが、僕にチョコをくれたことはない。
それどころか僕のことを異性として見てすらいないようで、毎年何かしらのアプローチをかけるが、気づかれてすらいない。
しかし、今日は高校生最後のバレンタイン。
こいつからのチョコレートをもらうため、僕はこうして何度も2/14を繰り返している。
高いところから飛び降りればリセットできる。
このことに気づいたのは全くの偶然だった。
それは2/14の放課後。
他校から群がる女性たちによる圧死を防ぐため、屋上に避難していた時のことだった。
今年はすべて受け取っている暇はない。
今年こそは、葵からチョコレートをもらいたいんだ。
何とか五体満足で包囲網を突破する計略を練っていたとき、唐突に風が吹いた。
ヤバいと思ったその時には、体が宙に浮いており、そのまま地面に叩きつけられた。
しかし、予想していた衝撃と痛みは訪れない。
代わりにふんわりとした心地の良い感触があった。
そして体の上には掛け布団。
時計の短針は7時を、日付を表す小さい文字盤は2/14を指していた。

その後、何度か試してみて、僕は高いところから落ちると2/14の朝に戻ることができるのだとわかった。
そして、すぐにチャンスだと思った。
何度もやり直せば、いずれは葵からチョコをもらえるはずだ。
そう思った僕は様々な計略を実行しているのだが、213回やり直しても未だチョコは手に入らない。
そうして214回目の朝礼を終え、3階の踊り場にあるロッカールームに隠れながら決意を固めた。
今回こそは葵のチョコをもらってやる。
ロッカールームから出ると、周囲は既に包囲されていた。
隙間を狙って駆け出すと、人波がうねる。
躱しながら、葵のもとに向かう。
一緒に帰ろうと、声をかけるために。

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