「透明だけど、あなたの横顔が見えるから、これがお気に入りの傘なの」
莉嘉の身長は俺より15cmほど低い。
構内に続く道のアスファルトは既に濃く濡れて、所々水が溜まっている。
隙間を器用に跳ねながら、莉嘉は踊るような口調で言った。
「ただのビニ傘じゃん、壊れかけてるし」
背中側の骨から露先が外れて、ベロンとめくれていた。
「ホントだ、昨日コンビニ行った時かな。直して」
手を伸ばし露先を嵌め直す。
たしかに、あの時は風が強かったな。
サンキュ、と短くお礼を言って、また歩き出す。
「お気に入りって沢山使うから、すぐになくなっちゃう」
当たり前のことに不満そう。
でも少しわかる気がする。
「色鉛筆みたいなもんか」
「そうそう、あと買い置きのアイスとか」
話していると、理学部の講義棟に着いた。
「じゃここで。またね、田島」
手を振って中に消えていく姿を見送って、自分の講義に向かおうとしたが、気が向かなくてそのまま家路についた。
水溜まりを避けながら歩いたつもりだったが、帰る頃にはすっかり濡れてしまっていた。
俺は雨の日にはお気に入りの靴を履かない。
それどころか、普段からあまり使えない。
微かな汚れにさえ、臆病になって普段通り歩けなくなってしまうのだ。
大事なものをしっかり握るタイプと、壊れないようにそっと持つタイプがいる。
俺は明らかに後者。
だから、こうやって当たり障りのない関係を続けていく。
莉嘉は前者だろうから、当たり障りのない程度の関係しか築けていない俺は、莉嘉にとってのお気に入りには該当しないということなのだと思っていた。
ワンルームの薄い布団に横たわってスマホを見ていると、意識がどろりと融解して垂れていった。
そのまま雨に流されてしまいそうだった。
空白のワンルームに帰り、ビニール傘を閉じた。
テープを巻くのも面倒で、そのまま傘立てに入れる。
あそこまで攻めたのに、流されちゃったな。
朝の自分のセリフを思い出して、恥ずかしくなる。
偶然会えたくらいで舞い上がって。
傘立ての奥にもう一本。
水色の傘がちらりと覗いていた。
一目惚れして買ったのに勿体なくて一度も使えていない。
それこそもったいないことだよな。
濡れた服を着替えて、髪をタオルで拭いた。
傘をちらりと見て、スマホを開いた。
電話をかけると、しばらくして寝ぼけたような声が聞こえた。
「田島、夜ご飯、一緒行こ」
ちょっと間が空いた後、了承の返事があった。
「じゃ、7時頃行くから」
雨粒の弾ける音が耳朶を打つ。
朝よりはかなり落ち着いているみたいだ。
だけどさすがに傘は必要だろう。
傘立ての奥の水色が、今こそその時だと言っているような気がした。
今日は勇気を出してみようかな。
2/18/2023, 4:22:12 AM