地下水路を走る靴音が、嫌味なまでに響き渡る。
まるで見つけてくれと言わんばかりに。
「私に、構わないで。先に、行って」
足をもつれさせ、息を切らせながら彼女が言う。
到底聞き届けるつもりは無い。
やっと、やっと取り戻したんだ。あいつらの手から。
彼女を奪われた時に負った深傷が癒えるまで、煮えたぎった復讐心を育てて。
どれだけ彼女が俺の中で大きい存在になっていたかを、思い知った。
もう二度と、繋いだ手を離さない。
もうこれ以上、何もあいつらに奪わせない。
「 ! !」
俺たちの名を呼ぶ仲間の声が聞こえる。
武器を手にした仲間たちが、水路の向こうから駆けてくる。
「行け!」
彼らは俺たちの脇をすり抜けて、追手に立ち向かってゆく。
最初は互いに信用ならなかった相手が、今はとても頼もしい。
俺たちは、手を繋いで走って。
手を取り合って、戦える。
今なら、それを信じられる。
2025/03/20 手を繋いで
従兄はよく失くしものをするひとだった。
鉛筆や消しゴムなら可愛いもので、小学生のうちに、二回ランドセルを失くした。
制服の上着も失くした。
定期券も失くした。
卒論の資料も失くした。
会社員になって、社用パソコンも失くしたせいで、このコロナ禍に、「おまえは在宅勤務をするな」と完全出社を言い渡された。
「どこ? どこどこどこ?」
何回玄関の鍵を替えたか、覚えていない。
しかも本人に反省の色が無いものだから、なんでこのひとと結婚したんだっけ、と我ながら呆れたものだ。
ある晩、帰りが遅いのを待っていたら、電話がかかってきた。
『みやちゃん、今、どこ?』
開口一番、心配させてと怒鳴ってやろうとしたけれど、なんだかひどく力の無い弱々しい声だから、不安な予感が過って、黙り込んでしまった。
『ここ、どこかわからなくてさ。記憶力まで失くしちゃったみたい』
なに馬鹿なこと言ってるの。迎えに行くから、と言っても。
『無理みたい。帰れないみたい』
彼は落胆に満ちた声で。
『でも、おれ、諦めないから。必ず思い出して、みやちゃんのところに帰るから』
そこで電話は切れた。
翌朝、彼は帰宅しなかったどころか、出社もせず。
その日は帰らず。
次の日も、次の日も。月が替わっても。
警察に行方不明者の届け出をしても。
彼は自分自身を失くしものにしてしまった。
泣いてなんかいられない。一人で生きていかないと。
そう決意した矢先に、体調に変化があって、産婦人科に行ったら。
「男の子ですね」
ああ、彼はわたしのところにちゃんと帰ってきたんだ。
どこ? って、神様にうちの場所を訊いたのかな。
2025/03/19 どこ?
子供の頃見ていたアニメのヒロインが、二十年経った新作で言った。
愛の反対は無関心、と。
嫌い、じゃないんだ。
じゃあ、嫌いの反対は好き?
でも、最近の世間を見ていると、もっと悪意に満ち溢れている気がする。
大好きの反対は、心から憎い、くらいには。
2025/03/18 大好き
子供の頃は、何にだってなれると思っていた。
怪獣から街を守る英雄。
お姫様を助ける王子様。
世界を救う勇者。
万能の魔法使い。
なんなら、神様にだって。
大人になって、それは叶わぬ夢だと思い知った。
怪獣もお姫様もいない。魔法なんて使えない。神様はいない。
だけど。
「ありがと、おまわりたん!」
交番に届けられた落とし物のぬいぐるみを受け取って、満面の笑みで手を振り、母親と一緒に帰ってゆく女の子。
あの子にとって、僕はヒーローに見えているかな。
2025/03/17 叶わぬ夢
「ありがとう!」
クラスメイトから花束を受け取った君は、花の香りに包まれて笑顔で。
でも、涙を浮かべていた。
今時珍しく、みんな気が合って、結束力が強くて、行事はみんなで全力で頑張った。
「絶対に一人も欠けることなく一緒に卒業しようね!」
それが合言葉のように繰り返された。
だけど、こどものわたしたちにはどうしようもないことが、この世にはあって。
お母さんが病で長い入院をして、たくさんの弟妹の面倒を見るために、君は進学を諦めないといけなくなった。
みんなで抱き合って泣いた。大声で泣く子もいた。
花の香りと共に、わたしたちの夢は、はかなく終わる。
2025/03/16 花の香りと共に