好きな人が結婚する。
「……おめでとう」
どうにか不自然にならないくらいの間でそう言えた。
電話の向こうの君ははにかむ。
そこからどんな会話をしていつ電話を切ったか覚えていない。
その日の夜、一人の部屋で思い切り泣いた。
毎日ぐるぐる思考がこんがらかる。
今日までずいぶん悩んだ。
君との思い出で頭がいっぱいになって、眠れないほどだ。
明日は結婚式。
君と、君の好きな男の結婚式。
「絶対来てね。親友のあなたに見てほしいの。私のドレス姿」
そう言って幸せそうに笑った君さえもかわいいと思ってしまったのだから、そうとう重症みたいだ。
とうとう眠れないまま朝になってしまった。
冷たいシャワーを浴びる。
風邪でもひけたら欠席できるのになあと思ったり。
頭では行けない理由をありったけあげつらっているのに、手は機械的にシャツのボタンを留める。
最後に、君が誕生日にくれたピアスを未練がましく着けた。
鏡に映る自分に言い聞かせる。
大丈夫、ちゃんとやれる。
真っ白なウエディングドレスに身を包む君は、今まででいちばん美しい。
きっとこの先何度も夢に見るだろう。
君が幸せならそれでいいなんて言える善人じゃないけど、君の幸せが嬉しいのは本当だ。
何も知らない君は残酷に、友人代表のスピーチの役目をくれた。
少しだけ本音を混ぜた、完璧な「友人」の祝辞を述べる。
わたしの親友をこれから独占する新郎さんに少し嫉妬しています。
新郎は照れたように笑っている。
君もくすくすと控えめな笑い声を立てる。
ちらりと視線を二人に向け、わたしも微笑んだ。
これで終わり。
わたしの叶わない初恋。
最期まで君を想いながら、いつかわたしは死ぬのだろう。
そのとき君はきっと泣いてくれる。
それで、それだけで、十分だ。
夢と現実の境は、今はきちんと認識している。
僕の頭はこれまでになく冴えている。
あなたから離れたおかげだ。
皮肉にもあなたが僕を陥れたことで、暫くあなたという有毒な煙を吸い込まずに済んだ。
何度あなたと決別しようと思ったかわからない。
その度に思いとどまってきた。
あなたをもっと、知りたかった。
あなたが僕に差し伸べる腕は地獄への扉だと知っていても。
次は失敗しない。
今度こそ僕の手で、終わりにする。
僕しか真実を知らないのだから。
僕が間違っているのか、この世界が間違っているのか。
どちらも同じことだとわかっていた。
見える景色すべてに君の幻を見る。
聴こえる音すべてに君の声が混じる。
君色のガラスを通して見ていた日々の鮮やかさを、もう思い出せなくなった。
冬が好きだった君は、冬と共に僕から去った。
春の訪れを告げる陽光も、もはや凍りついた僕の心を溶かせない。
愛してると素直に言えたら。
あるいは、行かないでと泣きつけたら。
僕の隣には今日も君がいただろうか。
「さよなら。大好きだったよ」
さよならなんて言わないでほしかった。
振り向かない君になんて返せばよかったのか、僕はいまだに答えを知らない。
あなたが振り返る。
薄明の丘に僕ら二人。
あなたの顔は薄闇で見えない。
「何が見える?」
あなたの声がゆっくりと体に染み渡ってゆく。
「何が見える?」
光と闇の狭間で、悪魔が翼を広げる。
すべてあなたの手のひらの上だった。
「あなたが」
僕は無意識に答えていた。
指先の痺れが酷くなる。
「いい子だ」
また、あなたが微笑んでいる。
夕陽の最後の光が閃いて、そして、すべてが闇に沈んだ。
あなたの伸ばした指先が届かない距離。
それが僕とあなたの正しい距離。
近づこうとするあなたと離れようとする僕の、妥協の距離。
後ずさりしたくなる恐怖を必死に押し留める。
僕をよく知っているあなたは、わずかに口の端を引き上げていた。