ドラッグストアで買った「何気ないふり」は効果てきめんだったらしい。手に取っただけの私には隣の「何食わぬ顔」との違いがわからなかったけど、とにかく彼女にとってはいい買い物だったようだ。
おかげで、一緒に入ったはじめてのカフェで注文方法がわからなかったときも、職場のお局様にネチネチ嫌みを言われたときも、彼女は恬然として動じなかった。これかなりいいよ、会うたび彼女は勧めてきた。
服用間隔は一週間程度空けること。りんごジュースとは一緒に摂らないこと。それさえ守ればいともたやすく心穏やかな日々が手に入る。
もとから私なんかよりずっとスマートだった彼女は、ますますふるまいが洗練されていった。それでいて庶民派なのは相変わらず。コンビニの新作スイーツで「ほっぺた落ちそう」とうっとりしたり、「あれはマツバウンラン、あれはノボロギク、あっちの青いのはフラサバソウ」なんて道端の花の名前をさりげなく教えてくれたりする。気取ったところのない、自慢の友人だった。
けれど次第に、彼女と話が合わなくなってきた。
オフにプチ旅行に行っても、並んで買った話題の抹茶スイーツを食べても、満開の桜の下でお花見しても反応が薄い。なにを見ても「まあまあだね」で済ましてしまう子と、どうやって付き合えばいいのか。
大丈夫? 用法用量ちゃんと守ってる?
そう聞いてもおざなりな返事をするだけ。
そのうち恐れていたことが起きた。彼女の顔から表情が完全に消えた。
渋る彼女を押しのけ部屋に上がり込んだ。洗面台にずらりと並ぶサプリの瓶に圧倒されそうになったけど、負けじと身を乗り出す。あった。「澄まし顔」だ。顔面神経に作用するやつは依存性が高いからやめろと言ったのに、手を出したのだ。
ほかにもなんでこんなの選んだのか、「泥棒猫」だの「許さない」だの。「お幸せに」なんてもう半分も使っちゃってる!
言葉を失う私をよそに、彼女は引っ掻き回された瓶を元通り並べ直していく。怒りもしないことがひたすら虚しかった。
いま彼女は近くのクリニックに通院している。
ずいぶんと薄くなった肩の線を眺めながら、つたない言葉で懸命に語りかける。
なにがあったの。
なんでも話してくれたらよかったんだよ。
スマートに生きる必要も誰かを見返す必要もなかったんじゃないの。
ゆっくり温泉につかったときとか、好きなおにぎりの具について盛り上がったときとか、そういう何気ない日常は、あなたにとって「幸せ」じゃなかったの。
「言わぬが花」の後遺症だろうか。
なに一つ返してくれない彼女がただ、悲しかった。
(何気ないふり/幸せに)
溜まったお題を消化しようとしたらこのざま。
これを読んでくれているあなた。
私はあなたの文才が欲しい。
あなたの語彙が、
センスが、
観察眼が、
知識が、
ひらめきが、
書き続ける向上心が、
欲しくてたまらないのです。
(ないものねだり)
※虫の話です。注意!
好きじゃないのに見てしまうといったら、私の場合は芋虫。
昔からウネウネしたいきものは不得手だったけど、大人になってまた一段と苦手になった。なのに頻繁に出くわすから頭を抱えている。
それは南の庭に突然現れた。
毎年物干し竿の下あたりに、育てているわけではないけれど月見草(植物学的にはコマツヨイグサというらしい)が生えてくる。特に世話をしなくてもぐんぐん伸びて一面にレモンイエローの花を咲かせるので、まあ抜くこともないかとしばらく好きにさせていた。
その日も洗濯物を干していた。ふと足もとに目をやると、月見草の茎になにやら黒い影。なんだろう。視力が悪い私は顔を近づけた。
影じゃなかった。それは私の中指以上はあろうかという太さの芋虫だった。
真っ黒いからだに不気味に並んだオレンジの点々。長く伸びた凶悪な尾角。
いままで見たなかでも規格外の大きさ。
人間本当に恐れおののいたときって声出ない。まばたきもできず、心臓さえ止まったみたいだった。
ゆうに三十秒は見つめあった。やがてよろよろと後ずさりして「おかーさーん!」……脳に計り知れないダメージを負った私は母に助けを求めた。
そいつとは無事おさらばしたが、試練はむしろそこからだった。目を凝らせば月見草の茂みのなかにそいつの仲間が小さいとはいえ無数にいたのだ。
あとのことはショックで記憶が定かでない。
その後なんとか落ち着きを取り戻した頃、ふと気になりだしたのがそいつの名前だった。あんな大きさの芋虫が本当に存在するのか? たまたま(運悪く)大食漢の個体と出くわしただけなのでは?
恐る恐るスマホで検索。
……!!
トップ画面にでかでかと写真載せないでほしい。
ともあれ正体はわかった。サトイモ科やアカバナ科(マツヨイグサはこれ)の植物を食べる、セスジスズメの幼虫らしい。あれが標準的なサイズだということもわかった。
受難はさらに続いた。東の庭木の枝、うす緑のどでかいやつが居座り、ゆうゆうと葉っぱを貪り食っていた。
またしても母に泣きついた。
今回はじゅうぶん心構えをして検索。オオスカシバかエビガラスズメのどっちかだろうと思うけど断定はできない、だって薄目で指の隙間から見てるんだから見分けがつかないのだ。
もうこりごりだ。庭に極力出ないようにすれば遭遇することもなくなる。ついでに公園とか街路樹とかにもしばらく近づかないでおこう。
そう考えた私を嘲笑うようにそいつは現れた。
車の運転中、前方に茶色いタワシみたいなものが落ちている。スピードを緩めたら、それは車道を横切る巨大な毛虫だった。
よせばいいのに、また調べた。
ヒトリガの仲間、スジモンヒトリかシロヒトリの幼虫らしい。踏まなくてよかった。
好きじゃないのに、見たくないのに、知識が増えていく。というかなんでどれもこれもばかみたいに大きくなってから出てくるんだ。
――そもそも、どうして怖いと思うのだろう。
おぞましい鳴き声を発するわけでなし、いきなり飛ぶわけでなし、食べ物じゃないから毒を持ってようが関係ない。毛虫じゃなければ刺しもしない。強いて言えば丹精込めて育てた草花を食べられるという害はあるけど、私自身が襲われたりはしない。
人間が恐怖を感じる対象は、“自分に危害を及ぼすもの”と、“自分の理解を超えるもの”に分けられると聞いたことがある。
ならば芋虫は後者だろうか。
存在自体が脅威としか言いようがない。
でも不思議なもので、虫ってあまりに大きすぎると逆に惹きつけられる気がする。
『風の谷のナウシカ』に出てくる王蟲なんてその最たるものだ。山が動いたような重量感。大地の怒りを体現した暴走。原作漫画でナウシカと言葉を交わす知能の高さ。ウシアブ、ヘビケラなんかの蟲たちにしても、気持ち悪さより畏敬の念のほうが強い。
ということは芋虫も、見上げるほどの大きさになればこわくない?
……想像しようとしてやめた。たぶん、いや確実にショック死する。
(好きじゃないのに)
※アケビコノハ
検索したら後悔しますよ、なんて。
incendiary ≪焼夷弾≫
かつてどしゃ降りだった日本も
いまはかろうじて晴れだけど、
世界のどこかで今日もざあざあ
この雨がやむことはあるのだろうか。
(ところにより雨)
フタリシズカの花を見たことがあるだろうか。
私は数年前まで名前も知らなかった。
センリョウ科の多年草で、マットな質感のミントグリーンの葉と、二本の花穂に米粒みたいな白い花をいっぱいつけるのが特徴。花といいつつ花びらはなく、三本の雄しべがくるんと丸まって雌しべを包んでいるのがお米みたいに見える。
同じ仲間にヒトリシズカという花もあるが、あちらは油を塗ったような光沢のある葉で、花穂は一本だけ。使い込んで毛先がボサボサになった歯ブラシみたいな、ちょっと面白い花を咲かせる。
ヒトリシズカの名前は義経の愛妾静御前の舞い姿から、フタリシズカは静御前とその亡霊になぞらえているんだとか。
このフタリシズカと出会ったのは亡くなった祖母が残した庭だった。
車で二時間はかかる祖母の家は、植生が違うのか、道端の雑草さえうちの辺りと違っている。
そして祖母が元気だった頃は特に気にも留めなかった庭には、私が名前も知らないような植物が溢れていた。それまで人並みに花の名前は知っているつもりだったのに、本当にわからなかった。ショックだった。
ゆくゆくは取り壊すことになる祖母の家とともに打ち捨てられるのが忍びなくて、少しずつ、移動できそうな草花を持ち帰った。
祖母の庭は畑の土を入れていたせいかなんでもよく育つ。タンポポもスミレも水仙もうちのよりかなり大きい。ついでに言うと虫もでかい。
そこを無理にわが家の痩せた土に植え替えて、本当のところかなり不安はあった。常緑のものを除けば冬に地上部がいったん枯れる。春にまた芽吹いてくれるかは賭けのようなものだった。
ちいさな芽が顔を出したときは心底ほっとした。
アマドコロ、竜の髭、ヤブランに、桜草、シラン、イヌサフラン。タイワンホトトギス、ホタルブクロ、狐の孫、ギボウシ。おまけでくっついてきたスズメノエンドウとカスマグサ。私も少しは詳しくなった。どれもしっかり根付いてくれたようで嬉しい。
ときに、梨木香歩さんの本には植物がよく登場する。『家守綺譚』やエッセイ『不思議な羅針盤』その他もろもろ、読めば花の名前に詳しいというのがよくわかる。その表記は、ひらがなだったりカタカナだったり漢字だったり一定はしていない。無頓着、もしくは生真面目なひとならどれかに統一しそうなものを、あえて使い分ける感性の豊かさ。手が届かない。
そうそう、フタリシズカのこと。
ヒトリシズカに対して二本の花穂が出るからこの名前なんだけど、必ずしも二本とは限らず、一本だったり三本だったりもするらしい。
栄養豊富な祖母の庭のフタリシズカはどうだったかというと。もちろん一番多いのはフタリだが、ゴニンシズカもかなりあった。
あとの三人、誰?
(二人ぼっち)
嘘かほんとか、十二本まで確認した例もあるとか。