「届かない...」
仕事を終えて帰宅し、家の玄関を開けると彼女が高いヒールのある靴を履いているところだった。
髪も巻いており、綺麗な服を着ている。新しく買ったのだろうか、今までに見たことのないブラウスだった。
「...どこか行くの?」
「うん、友達と飲みー」
俺が何か答える前に彼女はじゃ、いってきまーすと言って出ていった。静かな玄関に、外を歩く彼女のヒールの音がよく響いた。
珍しくもない出来事に気分を沈ませながら部屋に入り、ソファーに腰を下ろす。さっきまで座っていたのだろう、ソファーの右側はへこんでいた。左側に座った俺は、へこんだ部分を優しく撫でる。
ーーー本当はもう、分かっていた。薄々どころではないくらい、彼女の気持ちが俺に向いていないことには、完全に気がついていた。
気づいてしまってからはいつ振られてしまうのかと毎日怖くて、彼女の目もまともに見れなかった。
それでも、彼女への愛はちゃんと伝えられているつもりだった。
何が足りなかったのかな。
胸の中に燻る想いを、今日もアルコールで溶かしていく。
「木漏れ日」
ある放課後、わたしは廊下を走って教室に戻っていた。
忘れものしちゃうなんて本当についてない。
吹奏楽部が練習してたらどうしよう気まずいな、とか
考えながらそっと自分の教室のドアを開ける。
教室に入り私は、そのまましばらく動けなかった。
貴方が顔を伏せて気持ちよさそうに眠っていたからだ。窓際の席で暖かい太陽の光を浴びながら眠る貴方は、まるで1人だけスポットライトが当たっているようだった。
貴方を起こさないようそっと忘れものをかばんに入れ、ゆっくり席に近づいて貴方の顔をのぞき込む。
長いまつ毛がよく見える。
みんなの知らない貴方を独り占めしていると思うと嬉しくなって、「好きだよ」なんて呟いてみる。
「今度はちゃんと起きているときに言うからね」と
声をかけ、教室のドアの方へ向かう。
その後、物音がして振り返ると、貴方は穏やかな顔で
こちらを見つめていた。
木漏れ日の振るなかで微笑む貴方は、
ひどく綺麗だった。
「ラブソング」
水曜日は仕事を少し早く終われる日。
だから水曜日の仕事終わりは同僚とともにコンビニに立ち寄り、スイーツを買う。これが週一の楽しみだ。
今日は何にする?シュークリームかエクレアか、プリンも捨てがたいなんて話をしながら自動ドアを通る。
スイーツの棚に向かいながら、耳馴染みのある曲が流れていることに気づき思わず足を止める。
ああ、この曲は。
ずるいなあ、この曲が存在している以上は彼を完全に忘れ去ることなんてできないんだな。
同僚に心配され、ごめんなんでもないよと返す。
買い物を終えてコンビニを出たとき、
「そういえばさっきの店でちょっと前に流行った曲流れてたよね。今再ブーム来てるらしいよ、知ってる?」
と聞かれた。
私は少し考えて、「そうだったかな、忘れちゃった」と答えた。
夜風が、いつもより肌寒く感じた。
「手紙を開くと」
5月上旬、慣れない環境での生活に疲れてくる時期。
まだ素を出せる相手はおらず、口角の痛みを感じながら
愛想笑いで乗り切る日々に思わずため息がこぼれる。
過ぎ去ってしまった青春に思いを馳せ、友人に連絡をしようとするが、辞める。過去を引きずっている重い女とは思われたくないし、思い思いに楽しんでいる新しい生活に水を差す訳にはいかないからだ。
みんな私の事なんて忘れちゃったのかな。
なんて柄にもなくネガティブになってしまう。
ふと、本棚に目をやると卒業アルバムが見えた。
まだ1ヶ月しか経っていないのに懐かしいと思う自分を可笑しく思いながら、ページをめくる。
みんなの気持ちが詰まった寄せ書きページをゆっくり眺める。
今は離れてしまっているから私と卒業後も会いたいと思ってくれているのかは確認しようがないが、この時の私たちは、確実に互いの大切な存在だった。
過去は変えられないので後悔することも多いが、
反対に揺るぎない事実に救われることもある。
一長一短だなあと思う今日この頃。。。
「すれ違う瞳」
退勤ラッシュの時間帯。
大勢の人が、信号が青になるのを今か今かと待ちわびている。私もそのうちの一人としてまだ夜は肌寒いなあ、なんて思いながらぼうっと交差点の前に立っていた。
帰ったら明日の資料の確認しなきゃと意識を他に飛ばしているうちに信号が変わった。
周りにいた人たちが歩き出し、私もつられて足を動かす。
誰かとぶつかってもおかしくない程の人混みの中を、たくさんの人とすれ違いながら歩く。
ふと視界の端に、見覚えのある人影が見えた。
間違いない、彼だ。
交差点を渡りきり振り返る。
フラッシュバックする当時の記憶をひとつひとつ片しながらぼんやり彼の背中を見つめる。
風のうわさで結婚したと聞いた。
指輪、してたのかな。人が多すぎてよく見えなかった。
しばらく立ち止まっていたが、彼が見えなくなりまた自分の家へ向かって歩き出した。
気分は意外にも晴れやかだった。
わたし、成長したな。懐かしいとか思えちゃった。
今日はいいお酒を飲もう。
過去を乗り越えた祝杯をあげるんだ。