【哀愁を誘う】
夕闇を背に公園のブランコが揺れている。何とも言えない気持ちが心を擽る。見慣れてるはずの空の色は夏の青々としたものとは違って暖かくそしてどこか物悲しさを漂わせている。手にはさっき買ったばかりのおしるこの缶、最近ますます寒くなった。缶を開け、おしるこをひと口喉に流し込んだ。温かい汁粉の優しい甘さが冷えた身体を暖めてくれる。温かい飲み物が美味しい季節になりました。
【鏡の中の自分】
鏡に映った自分はいつも、何かを期待してはそれが叶わず落胆している。好きだと思う人に会いに行く。それはプライベートではなく所要で月に何回かある。その人に会えると思うと私の心は浮きだってしょうがない。少しでも変化を感じて欲しくて、不慣れなメイクもその人を想うと今日は楽しく感じた。鏡の中の私も嬉しそう。そんな気持ちを抱え、高鳴る鼓動は緊張も相まって増していくばかり。いよいよ私の名前が呼ばれる。何週間ぶりに会うその人の反応は。期待と不安、緊張とともにノックを一回。扉の向こうのその人は―
結果は期待とは裏腹だった。鏡の向こう、寂しそうな表情の私と見つめ合う。今日もダメだった。こんな気持ちをあと何回繰り返せばあなたは私の気持ちに気づいてくれるのか。それとも気づいているが、気持ちがないから何も言ってくれないのか。寂しい表情は不満気に歪んでく。でも、諦めたくないのだ。今回ばかりは。だから、次はもっと可愛くして、あなたに嫌でも気づかせてやる!そう心に誓って、鏡の中の私と頷き合った。
【眠りにつく前に】
夜も更け、そろそろ寝ようかと布団の中に潜り込んではみるけど、中々眠気は訪れてはくれない。それでも無理やり瞼を閉じ、じっと眠気が来てくれるのを待った。何度目かの寝返り。ダメだ。全然眠れる気がしない。さて、どうしよう?
「…眠れないの?」
「ごめん、起こしちゃった?」
「いや、」
嘘つき。半分、目が閉じかかってる。
「…今日、何かあった?」
それなのに君は私を気にかけて、閉じそうな目を擦り私に額を寄せてくる。
「…別に、なにもない、」
「嘘。」
「嘘じゃない」
嘘だった。本当は今日仕事で失敗して上司にこっぴどく怒鳴られ、明日また顔を会わせるかと思うと眠るのが自然と拒まれた。元々あまり要領も良くなく、人間関係を築くのは壊滅的だった。
「今日、ずっと元気無かっただろ?」
「そんなこと…」
「自分が嘘つくの下手な自覚は?」
「…あ、る」
「仕事?」
「…うん」
「そっか」
君は頷き、私を優しく抱きしめてくる。君の体温が私の鼓動を速くさせる。安心をくれる。
「ねぇ、」
「ん?」
再びまどろみの中に沈みそうな君。それでも私を抱く腕は離れずにいる。
「私が起きるまでこのままでいてくれる?」
「当たり前だろ」
当たり前なのか。今度こそ完全に夢の中に旅だった君。その無防備な寝顔を見ていたら、なんだか大丈夫な気がしてきた。
「…明日、上司に会ったらもう一度謝ろう」
私はもっと彼の体温を感じたくて自分の腕を絡ませ、瞼を閉じた。
【永遠に】
あと何度この時間を過ごしたら、自分はこの世界を終わらせられるのだろう。次目が覚めると、自分はまた見習い勇者としての冒険が始まるのだ。村長は言う。
「勇者よ、世界の命運はお前の腕に懸かっている。」
「…」
「どうか、わしらを平和へと導いてほしい。」
「…」
「旅の中。お前は幾つもの経験をし、その中お前と同じ志を持つ者たちとも出会うだろう」
「…」
「この旅はきっとお前を一回りも二回りも成長させることだろう」
「…」
「これはわしからお前への餞別だ。では、武運を願う」
村長から勇者見習いの剣を譲り受けると、ここから道中出くわすであろう雑魚モンスターを倒しつつレベルを上げ次の村を目指すことになる。そして、その村で村人たちの相談事を全て解決すれば、次の村へと向かうのだ。これを何度か繰り返し、自分のレベルを上げ王都を目指す。そこでは勇者として依頼屋から依頼を受け取り自分の評判を上げ、王宮に呼ばれ王様へ謁見、王様の信頼を得るため、今度は王宮内で騎士たちの相談事を解決していき、最終的にはこの世界を滅ぼそうと目論む魔王を倒し、この国に平和が戻ると俺は王様の娘か村へと残してきた婚約者と結婚を選択され、エンディングを迎えることになるのだ。
これを幾度となく繰り返してきた。この事実に気づいているのはこの世界ではどうやら俺だけなのだ。皆、何の疑問を抱くことなく同じ台詞をさも今発したかのように何回でも話すのだ。それも恐ろしいことに俺自身も俺の意思とは関係なく、まるでこの台詞が決まっているかのように口が勝手に言葉を発する。それも何度も同じ台詞を。行動も決められていて自分が行きたい方へ歩みを進めようとしても、自分の足なのに自分の意思を無視してどこか別の方へと進んで行く。何故なのか?独りではないのに自分ひとりが取り残されたこの焦燥。そして再び同じ世界が繰り返される。俺は自分のベッドで目覚め、勇者見習いとして冒険をスタートさせる。何度倒したかわからない魔王を倒し、世界を平和へと導く。終わることのない冒険がまた始まる。永遠に。
【理想郷】
まだ出逢えぬ理想を求め私は旅をしていた。そこは誰も知らない秘境の地、文明が栄え、争いもなく、誰もが仲睦まじく平和に暮らしているそうだ。本当にそんな場所が存在するのか?半信半疑のまま私は粗末な荷物だけを持って、何十年以上もその地を探しているが未だに見つけられないまま歳ばかりが過ぎていた。身体はもう旅に出たばかりの頃のようにはいかなくなってきていた。私に残された時間はあまり残されてはいない。だが、ここで止めるわけにもいかない。私は何としてもその地を見つけださなければならない。その地の住人は皆、怪我も病気になったとしても瞬間、何事もなかったかのように治癒されるという。それはそこにしか生殖していない花。その花は枯れることなく永遠に咲き続ける。私はどうしてもその花を手に入れなければならない。私の妻は病に伏せ、どの医(くすし)に診せど、治療法を見いだすことができなかった。それでも諦めきれなかった私は数えきれない程の医学書を読み漁ったが、妻を救う手立ては得られなかった。しかし、私はある古文書を見つけだした。私は縋る思いでその書を読んだ。そして、私の旅は始まった。だが、もうダメかもしれない。私が何十年以上も病床の妻を医に預けている間、病状が悪化してしまっているかもしれない。あぁ、こんなことなら信憑性もない絵空事など頼らず妻の傍に居てやれば良かったのだ。私は愚か者だ。すまない、こんな甲斐性のない私を許してくれ。…もう、体力の限界が来ているようだ。視界が歪み、意識遠退いてきた。私は先に逝くよ。こんな私の妻になってくれたこと感謝する。
「…、た」
…途切れた意識の向こう側、懐かしい声がした。
誰かが私を呼ぶ。私は目を醒まさなくてはならない。そう思わせてくれる声だった。
「…、ん」
そして私は意識を取り戻した。
「あなた」
まだぼやける頭の中、私は声の主を探した。それは優しい笑顔をした妻だった。
「…、お前。どうして…」
私は訳がわからなかった。なぜ、病床の妻が私の目の前にいるのか。
「そうよね、訳がわからないわよね。実は―」
混乱している私をよそに妻は話し出した。
「…なの。」
「…そうか。」
妻が言うには、私が旅に出てすぐ妻の病状が悪化し、手を尽くすまもなく命尽きたのだという。そして、私も旅の果て、理想郷を見つけることなく命尽きた。
「…結局、私のしたことは無意味なことだった。こんなことならお前の傍にいてやれれば良かった。どうか馬鹿な私を許してくれ」
瞬間、後悔の果て私の眼からは止めどなく涙が溢れ出ていた。そんな私を妻は責めることなく微笑み抱きしめた。
「そんなことないわ。あなたは私を救おうとしてくれた。その気持ちだけで充分だわ。」
「…っ」
「それに、あなたが見つけた古文書だけど」
「?」
「あれは昔。私のお祖父様が幼かった私のために書いてくださった、御伽噺なの。」
「…え?」
「だけど、見て?」
妻が指差した先、そこには―