【懐かしく思うこと】
懐かしく思うことなんて今の私の人生ではまだまだ短い。いつかそう思えるほどの出来事が自分にもあるのだろうか。そう思えれば、今の生きづらさも少しは楽になるのかな?
【もう一つの物語】
自分が生まれてこなかったら、あなたを哀しませることはなかったのかな。私が選んだのはあなたの愛ではなかった。だって私はあなたをひとりの男性ではなく、父親のような存在と認識していたのだから。だから私は彼を選んだ。それにたとえ蛇に唆されなくたって私はきっと彼を愛し、彼に愛されることを選んだだろう。そうでしょう?だって、私は彼の体の一部から創られたのだから。彼の喜びが私の喜び。彼の幸せが私の幸せになるのだから。私たちは楽園を追放されたけど、決して愛を知ったことを罪だったとは思えない。あなたのもとを去ることに後悔はない。…嘘。本当はあなたに私たちを認めて欲しかった。だって、あなたが一番私たちを愛してくれていたのだから。だけど、ごめんなさい。私たちはあなたの愛情を裏切り、自分たちの幸福を築いていきます。
【暗がりの中で】
眠れない夜は、あなたに傍にいてほしい。こんなこと言ったらきっとあなたを困らせるってわかってるから、本音はいつも心の中に閉じ込めるの。少しでもあなたの声を聞いていたくて、わざとどうでもいいことを口にしてる。そうすればあなたは側にいざるを得ないから。夜、暗がりの中で私が淋しさに押し潰されそうになっていてもあなたを思い出させてくれるように。時間が来ればあなたは部屋を出て行ってしまうから。あなたの姿を失った空間で私は切なさで胸が苦しくて涙が止まらなくなる、"行かないで、一緒にいて"そう言えたらどんなに楽だろう。
【紅茶の香り】
私は紅茶が好き。朝目を覚ますと部屋の中にほのかに茶葉の香りが流れてくる。まだ眠気の残る瞼を擦りながら私はベッドから起き上がった。欠伸をひとつ、背伸びをする。さて、起きなくちゃ。ベッドを降りて私は寝室のドアを開ける。途端、紅茶のいい匂いが私の鼻を占領する。
「おはよう」
"おはよう"。リビングから柔らかく優しい声が私の耳に届けられる。
声の方に視線を向ければ、暖かな陽だまりのような微笑みが私に注がれた。
それに私もおはようと微笑んで大好きな彼の隣に腰を下ろした。
「今日はどうする?」
「うーん…最近寒くなってきたから、ミルクティーホットがいいかな」
「わかった」
そう言えば、彼は慣れた手付きで二つ用意されたマグカップに湯気の立ち上る紅茶を丁寧に注ぎ、牛乳と少しの蜂蜜を淹れてくれた。
「できたよ」
「ありがとう」
私は彼からカップを受け取るとそっと息を何度か吹きかけると口へと運んだ。
たちまち口の中は温かな紅茶と牛乳と蜂蜜を含んだ優しいあまみが広がって喉の奥へと流れていった。
「おいしい…君は紅茶を淹れるのが上手だね」
「そう?」
そう言って彼は少し照れくさそうに笑うと自分もカップに口をつけた。
私の大好きな彼。いつも一緒に過ごした次の日の朝は、必ず私より早く起きて、私が起きる頃に合わせて紅茶の準備をしてくれてる。だけど、本当は知ってるの。あなたが紅茶よりコーヒーが好きなこと。それなのに紅茶が好きな私に合わせて、私のために紅茶を淹れてくれる。だからかな。つい口に出しちゃった。
「…ねぇ、これからもずっと私のために紅茶を淹れてくれる?」
「いいよ」
「…え?」
「え?って、俺今プロポーズされたんじゃないの?」
「ぷろ…、もしかして、口に出てた?」
「うん」
「…」
やってしまった。私はたまに無意識に言葉が口から出ていってしまう。今も心の中で思ったつもりだったのに。
「ごめん、いつもの。だから今のは忘れて」
「悪いけど、それは無理かな」
「え?」
「だって、俺もあんたとずっと一緒にいたいし。だから、先に言われちゃったけど。」
「…っ」
「…毎朝、何時だってあんたに紅茶を淹れる役目は俺だけにして。ずっと一緒にいよう?」
…な~んて、言われてみたい。
【愛言葉】
おはよう。いってきます。こんにちは。さようなら。ただいま。おやすみなさい。
改めて愛言葉なんて聞かれたら、すぐに思いつくのは今の私にはまだまだ少し難しい。普段何気なく口にしている挨拶も相手の存在があるから声を言葉にできる。こういうやり取りもある意味《愛言葉》なのではないのだろうか