光が灯った洞窟はその正体を明かし、少しの安心感と喪失感を見る者に与えた。闇に満ちたこの場所を前にした時のことを懐かしむ。あの時の高揚感は、もうここにはない。知ることは不可逆だ。何かを知ることは、未知でなくなるということ。
背を向けると、目前には黒々とした闇が続いている。次なる獲物はこの先にある。この未知を照らし、先へと進むのが私たちの使命だ。
この洞窟がどこまで続いているかは誰も知らない。途方もなく続いているかもしれないし、すぐそこで終わっているかもしれない。前に進むほど終わりに近づくのは確かだ。けれど、未知を未知のままで終わらせるのはつまらない。減りゆく残りの道を数えるよりも、今ここで未知が既知へ変わる喜びを味わいたい。
今日もまた、私たちは灯りを手に前へ進む。
恋愛成就ののぼりを見た君は複雑な表情を浮かべた。二人で神社なんて初めてのことだった。戸惑いを隠せない君を盗み見するのはちょっと楽しい。僕が神社に行こうと言ったのが意外だったとか、今の関係に何か不満があるのかとか、すごく悩んでいる。何度も躊躇った挙句、口を開いたのは拝殿に到着しようという頃だ。「……神様にお願いする前に、まず私に言って欲しいんだけど」
僕は小さく笑った。率直な言葉が君らしいと思った。
「わかってるよ。これはお礼参り」
「お礼参り?」
「1年前、君と出会えるようここでお願いしたからね」
「……そういうのは先に言って」
叩こうとする君の手をひょいと避けて、僕は手を合わせる。パタパタと足音が隣に並ぶ。1年前と違うのは、隣に君が立っていることだ。
僕は心の中で感謝し、末永い未来を誓う。
好きな本には思い出が宿っている。
その本を読んでいた頃の記憶。友達に「そんな本、どうやって見つけるん?」と聞かれたとか、教科書とノートの間に挟んで廊下を歩いたとか、とても些細なことだ。年末にリビングの絨毯に寝転がって読んだ、なんて記憶もある。小説の内容とは全く関係ないのに、物語を思い出すと一緒になって浮かんでくる。大好きな本に失恋の記憶が混じってたりするのが玉に瑕だけれど、僕は本を懐かしむのも好きだ。
などと言い訳をしながら、僕は本棚を見上げている。冬休みに入ったと思ったらもう年末だ。本棚の掃除は一向に終わる気配がない。
「いい加減、掃除しなさい! 捨てるわよ!」
僕は飛び上がる。思い出を捨てられたらたまったものじゃない。あくせく片付けながら、今年も好きな本が増えたな、と思う。
明け方の空は、泣き笑いともつかない曖昧な色をしていた。降りそうで降らない。晴れるかと思えば、いつ崩れてもおかしくない。苦しそうだ。吐き出したいのに吐き出せない。ギリギリの均衡を保ったまま、いつか晴れるだろうと我慢し続けている。たぶん、今の私そのものだ。
不安で眠れなかった昨日の夜。自分を見失いそうになって、明日こそはと思いながら必死に目を閉じ続けていた。だけど、いざ朝になってみればこの空模様だ。朝から元気に挨拶して、一日を頑張ろうなんて気持ちは、今や暗い雲に覆われ始めている。
この空に向かって全部叫んでしまえたらいい。何もかも、全部雨に流してしまえば、きっと少しは軽くなるなるはずだ。プライドも、外聞も、何もかも捨ててしまえばいい。
なのに、私には聞こえるのだ。どこからともなく。私を睨みつけて、降るな、降るな、と牽制する声が。
その女性はいつも雨の日にやって来た。
ショートボブの黒髪にあどけなさを残した女の子。窓際の席に腰を下ろすと、いつも決まってカプチーノを注文する。バッグから文庫本を取り出し、雨に溶け込んだように読書をする。客の少ない店内で、ページをめくる小さな手が麗しかった。
カプチーノがお好きなんですか、と尋ねたのはいつだっただろうか。雨の日はカプチーノが飲みたくなるんです、と言った彼女は、と歌った方がいるんです、と付け足して微笑んだ。大人びているようで、無邪気なようで、不思議な魅力のある人だと思ったものだ。
七月になった。いよいよ夏の気配を感じる。職場である喫茶店への道を歩きながら、そういえば紫陽花を見なくなったな、と考えた。