とよち

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1/19/2024, 2:50:38 PM

勝手ながら今回はお題を「君に」ではなく「貴方に」に変えさせてもらおうと思う。まず君に会いたくてという定で話せるような経験が私に全く無いことと、去年の4月に天国に逝ってしまった母の父の話をしたかったからだ。この呼び方だと堅苦しいので、呼び慣れている「じいじ」と言わせてもらおうと思う。私は次男で兄と姉がいるが十歳ほど年が離れていて、回りから見ると背も山椒ほどに小さく生意気だった。でもそんな孫の私をじいじはとても可愛がってくれていた。でも私は、遊んでくれるばあばの方が好きでじいじが注いでくれている愛に全く気づかず、家に2人がきても、ばあばにベッタリだった。ある日、じいじが倒れた。私が思っているよりも難しい病気らしく、透析が欠かせなくなってしまった。私は手紙を書いてじいじのいる病院に向かった。じいじに見せて、家族一同で応援してるよと伝えると手紙を読みながらじいじは泣いていた。「ありがたい」と呟きながら。じいじは病院を転々とした。頬が窪んでも、目の下が真っ黒になっても、じいじが大好きだった食べることが出来なくなってしまっても、じいじは頑張っていた。そんな中、コロナという聞いたこともない奴が日本に上陸してきた。そして、まだ学生の私は会うことが禁じられてしまった。理由は「移るから」。しようの無いことだろう。最初はコロナなんてすぐに過ぎ去ると思っていた。だが人数は増える一方で段々規制も強まっていった。毎度毎度病院前まで行って動画を母にとってもらってメッセージを伝える。それだけしか出来なかった。それが悔しくて、悔しくて仕様がなかった。それからしばらくして、一度だけ会うことができた。声は聞き取りにくかったが、とても喜んでくれていた。また来ると約束すると、痩せこけた頬と口が、横にゆっくりと膨らみ笑った。だが、それが最後になるとは考えもしなかった。またコロナがきたのだ。しかも今度は強くなり、オミクロンだかなんだかに姿を変えてきた。死ぬほど腹が立ったと同時に、「もっと甘えておけば良かった」と思う日々が続いた。その後もじいじは悪くなる一方で、とうとうしゃべれなくなってしまった。でもじいじは強かった、強く生き続けた。そして最後に母とばあばが会いに行った日、私の動画を見せると、目を開け、私の名前を読んだそうだ。そして看護婦に聞くと、「おはよう」とか少しずつ言えるようになってきたと言われたらしい。私達は安心していた。ちなみにじいじは鬼剣舞という伝統芸能を守る第一人者でもあり、パリ公演などにもいっていた。だから体も丈夫で、がっしりもしていたのであんなに苦しくても頑張ることが出来たのだろう。それからしばらくして体育祭にむけ、学校での鬼剣舞練習が始まった。そして私のおじいさんが鬼剣舞を支えている第一人者だと友達に自慢した。その日だった。家に帰ってから、ばあばの病院についていっている母に今ついたと連絡をした。すると電話がかかってきた。「じいじが亡くなったって、いまあってきたよ。」私は思わずスマホを落とした。本当にショックを受けたときに、手から滑り落ちることを知って驚いた。そしてソファに座り一人泣いた。母が帰ってきた。「まだ生きてるみたいだったよ。暖かかったし。眠ってるみたいだった。」
次の日、葬式ホールに行き1週間とまることになった。棺桶が部屋の真ん中においてあって、おじさんとおばさんがきて待っていた。「じいじに挨拶しておいで」そう言いながらおじさんは悲しそうな笑みを浮かべ、私の肩を優しく押した。私は正直じいじがなくなって変わってしまった姿を見るのが怖かった。深呼吸をする。線香の香りがする。私は決心して棺の窓を開けた。じいじだ。確かにじいじだ。頬こそ痩せこけているが、優しい懐かしい顔だった。私は久しぶりの再開がこんなとこでごめんと謝った。じいじはいつも施設で私の名前を読んでいたらしいが、顔も見せに行けなかった。悪いはコロナだが、自分が情けなくて仕様がなかった。私は1週間の間、腐らないように冷しているので冷たく固くなってしまったじいじの頬をなんども触った。そして葬儀の日、棺桶の中に花を添えるときになってやっとじいじが死んだんだと確信し泣いた。あんなに葬式中はつまらなかったのに、最後に「もう見れなくなりますよ」とホールの人に言われるともう涙が止まらなかった。車で移動をしている間私は位牌を持っていた。車からおり、焼き場の前に集まり「またね」と声になら無い声でお別れをした。じいじをいれた棺は鉄の部屋の中に入っていった。骨を拾うときがきた。検死官の様に並べられた骨を見ながら骨がしっかりと残っていることに驚き体の丈夫だったじいじらしいなと思った。その日からそろそろ一年経とうとしている。時の流れは早い。人の死を飛び越え容赦なく流れ続ける。私には会ってあげられることも出来ず、結局は最後までなにもしてあげられなかった。だがじいじと約束した「立派な人間になってじいじを喜ばせる」という目標はまだこれからでも達成出来る。次にまた会うときは立派な人間になっていたい。そんなことを考えながら今夜も深い眠りに落ちて行くのだ。


「 悲しみの向こう側へ」

1/18/2024, 1:40:56 PM

メモを取ろうと紙を探していた。ふと昔の手帳が出てきた。これでいいかとペラペラとページをめくると血痕がついていた。その瞬間私の脳裏にこの痕をつけた日の記憶が鮮明に浮かんだ。中一の時だった。私はおもむろに日記をつけ始め、目に涙をいっぱいにためながら、ペンを走らせていた。それでも気が落ち着かず、私はそのページを破いて投げた。いじめ、進路、成績。その時は何もかも上手く行かないように感じた。人は良かったことがあった時に、自分に視点が戻って元通りになったり、喜んだりしてすぐにその時の痛みや苦しみを簡単に忘れ去ってしまう。だがそれはまた1つ歪みが起こると、その時以上にもがいてしまう。私は何度もそれが続き、イライラが限界に達していた。私は持っていたペンで左手を突き刺そうとした。「出来ない...、出来ない、出来ない!!!」私は弱かった、自分がイライラし、人や物には簡単に当たれるのに、自分を傷つけることが怖かった。私は泣いた。そして弱い自分を嘲笑った。急に真面目な顔に戻る。私は近くにあった鉛筆の後ろを鼻に突き刺した。鮮血がボタボタと手帳の上に鮮やかな模様を描く。それはいずれ染み込んで、黒ずんだ色へと変わっていくのだ。だが私は満足ではなかった。それは私が鉛筆の芯ではなく、裏でさしたからだ。また自分が負けた気がした。私は意味もなく叫んだ。下から母の怒号がきこえる。私は髪をつかみひき抜こうとしたが、抜けなかった。また歯を食い縛り、だが今度もどうにも出来ず、繰り返しているうちに強い吐き気を感じ、転げ落ちるようにしてトイレにかけこんだ。母に気づかれないようにストーブを最大までつけ低いボイラー音を耳が痛くなるまでひびかせた。そうしてから私は十分程、便壺のなかに消化されきっていない、黄色くなった朝飯を勢い良く吐き続けた。トイレから出て、まだガンガンと響くはっきりしない頭で2階に戻り、よろめきながらやっとの事で椅子に座った。鼻に手をやる。いつの間にかほとんど血は止まっていたが、Tシャツと机にここで殺人事件がおきたかのような血痕がベッタリとついていた。私は血のついた手帳を閉じ、机と鼻をティッシュで拭いた。Tシャツは母にばれないように、たまった塵を捨てに降りるふりをして、塵袋の奥底にねじ込んだ。同じようなTシャツが部屋に沢山あったのでばれなかったが、血のついた鼻はばれてしまった。私は「鼻をほじっていて血を出した」と嘘をつき、上手くその場をごまかした。私はもう一度部屋に戻り、机に置いてある手帳を引き出しの奥底にしまいこんで二度と開けまいと誓った。その後はどっと疲れ混んでしまいベットに倒れるようにして、夕方まで眠った。
「そうか、そんなことがあったか」私は誰かに語りかけるようにそう呟いた。私は手帳を置き、机に寄りかかった。そのとき、不意に何かをメモに取ろうとしていたことを思い出した。「何書こうとしてたんだっけな...。」私は金田一のようにガサガサと頭をかきながら手帳を棚に戻した。

「手帳」


後書き
完全に創作です。ちょっと汚くてすみません汗。


お題 閉ざされた日記

1/17/2024, 12:36:03 PM

木枯らしと聞くと必ず思い出す歌が有る。今でも秋になり、寒さを直肌で感じるようになると、小声で口ずさんでみる。小さな頃一人で寝るのが怖くて、毎晩隣で母に子守唄を歌ってもらっていた。「揺り篭」「月の砂漠」「赤トンボ」「夕焼け」「まんが日本昔話のテーマソング」「お母さんの歌」。その中の1つが「焚火」だった。知らない人も多いだろう。この歌は他の子守唄と比べるとあまりメジャーではないのはたしかだ。私は幼心にこの歌の歌詞から、秋の淋しい風景を頭に浮かべ、この歌が母の口から流れると悲しさと心地よさが混ざってよく眠れるから嫌いではなかった。よく考えると木枯らしをはじめ、霜焼けや、サザンカという言葉もこの歌で知ったものだ。子供もよく眠るし、言葉も覚える、良くできたものだと改めて感心した。やはり、怖さがトラウマになるようなのと同じように、寂しさ、心地よさもインパクトを植え付け、脳の中の記憶にしっかりとインプットされるということが分かる。そして今になって思うと母はあの頃は仕事でも大変で、帰ってきてから家事をして私の世話もしてくれていたのだ。私が心地良く眠りにつくまで隣でずっと寄り添って、背中をトントンと叩いて寝かせてくれていた。私はというと癇癪持ちのアホなガキだったので、当時はそんなことは全く考えず、いつも暴れて甘えまくっていた。仕様がない事だったのかもしれないが、今になって申し訳なく思ってくる。だけど私は母の手伝いやかたもみなどをして隣にいることしかできないのである。母の苦労にたいしての感謝の行動量では全くといって良いほどたりていない。私はこの文を書き終え、枕元にスマホをおき、イヤホンを耳に押し込んだ。「焚火」を久しぶりに聴きながら、寂しさと心地よさ、申し訳ない思いが私を取り巻いて、今日も深い眠りに落ちる。


「木枯らしの思い出」


後書き
やっぱり思い出すんですよ。小さい頃の記憶って。変なことばっかり覚えてたり(笑)。でもそんな記憶に救われたり救われなかったり。今の事もあと2、30年もたてば同じように思うんでしょうね。なんか淋しいなあ。(『やっぱり全体的にながいな、読みにくくてすみません汗。』)


お題 木枯らし

1/16/2024, 2:33:22 PM

雪の降る季節になると必ず思い出すことがある。
それは記憶の片隅から、脳に張り巡らされた電子回路をたどって、目蓋の裏のスクリーンに写し出される。そんな風に、忘れられない、はっきりとした思い出なのだ。その記憶の話を勝手ながらここで話させてもらおうと思う。小学5年生ぐらいだった私はその年、学校内でひどいいじめを受け続けていた。内面から腐りきったような、人の顔色をうかがって自分の面の皮をとっかえながら生きているような、そんな聞いただけでも嗚咽と怒号が止まらないような、とにかく気のおかしくなるような奴と友達になってしまった。「なってしまった」と言っても、「いつのまにか取り付かれていた」と言った方が正しいのかも知れない。ただ僕はそいつに遊び道具のようにいじめられていた。ブラック企業のように、私が怒ると急に味方になったり、優しくなったりして、私は完全にそいつの手の下で操られていた。日に日に心と身体の傷も増え、心配してくれる仲間のことも、なんだかその心優しい天使達が、毎日を幸せに生きているように思えてきて、段々憎んでしまうようになっていった。また、そんな自分も嫌いで仕方なかった。ある日の憂鬱な目覚め。「もう生きていたくない。」そう呟いた枕元への静かな囁き。そのときに産まれて初めてそんな言葉を口に出したと思う。自分でも口から流れるように無意識に出てきた言葉に驚き、涙が止まらなくなった。そのとき一階から母親の「ドヴォルザークの行進曲8番」とも、「ショパンのノクターン第2番」とも似た母親の「朝よー、起きなさい。」という優しい、聖母マリアのような奥深い包むような響きが僕の胸を奮い立たせた。そんな単純な一言でさえも、ものすごい味方が着いてくれたようで嬉しかったのだ。窓から見える外はこの世の色が全て抜けおち、水になり川にながされていったかのような真白い雪があたり一面を覆い尽くしていた。私は急いで下に降りて、目が赤く腫れ上がっているのを、「目が痛いほど痒い」と言って誤魔化し、朝食を口に含んだ。食べている途中、温かい朝食の有り難さと優しさに泣きそうになったが、気にしないようにして茶碗で顔を隠しながら食べ続けた。また憂鬱な1日がここから始まる。嫌でしかたがなかった。どんな表現の仕方があったとしても、結局は嫌だとしか表現に出来ない事が辛くて、気が遠くなるほどとてつもなく最悪な気分だった。どうこう言ってもしょうがないので、せめてなるべくそいつと顔を会わせないようにしようと私は早く家を出る事にした。上下繋ぎのスキーウェアを着て、暖かい帽子と手袋を身に付け、私は重いランドセルのきしむ音と共に外に飛び出した。すると私が今までで一度も見たことのないような、とにかく「美しい」としか表現出来ない細かく舞った「ダイヤモンドダスト」 が私の目に写った。父と母も驚いて飛び出してきて、あまりの美しさに口をあんぐりと開けたままでいた。それを2分ほど見つめたあと、「頑張っていっておいで」とだけ私に言った父の、送り出すのが辛いような儚い笑顔が今でも脳裏によみがえる。私はこの思い出話を書いていてふと思ったことがある。そういえばはっきりと浮かぶこの記憶のどこがこんなにも美しかったのかと。これまでの話の流れからしても、「いやいやダイヤモンドダストだろ。」と思うかも知れない。だが私にはその舞い散る宝石のような雪よりも、父親のしたあの顔の方が美しいと思ったからなのかもしれないと思ったのだ。ふと、我に返りスマホから目を離すと座ってテレビを見ながらカステラを少しずつ口に運んでいる母が見えた。伝えたい気持ちがふつふつと頭に浮かんできたが、照れ臭くて口に出せなかった。まごまごしているうちに母は台所に入ってしまい、タイミングを自分で逃がしてしまった。そんな自分にまた嫌気が差した。

「ダイヤモンドダストの朝」



後書き
長文にも関わらず、最後まで読んでいただきありがとうございます。今回の話は実話で、エッセイみたいな感じで書きました。まだ走り出しなので違和感のある所も沢山あると思いますが、そこは流してくれれば幸いです。長々と申し訳ございませんでした。

お題 美しい

1/15/2024, 2:57:13 PM

私は今までに「この世界は」など偉そうに言えるような事1つでもをしてきたのだろうか。わからない。これからか?、いや、わかることが出来るかどうかさえあやしいのだ。ただ1つ言えることがあるように思えた。私はふとそれを人混みに呟いてみた。集団の中や、自分が見えない存在だから大丈夫な所でしか言えない。人間の弱いところだったと思う。私が悪かったのかもしれない。しかし、今さら考えてももう遅い。言ったことはとりもどせない。結局、それはごみとしての評価にしかならず、世界中からのバッシングにズタズタにひきさかれ、やがて波に飲み込まれていった。結局疑問のわからないままただただもみくちゃにされ、そこらじゅうに狼のいる広野にポツンと残され、なにも出来ず立ちすくんでいることしか出来ないでいる自分しか残らなかったのである。

この世界へ
「なぜ貴方達は見ず知らずの人間にたいし、集団で簡単に人を殺せるような言葉を投げ掛けるのですか?こんなの生きものが住める世界じゃありません。」

私はこんなことで簡単に殺される生き物ではない。腐ったこの世界を終わりにするため、私はそのアプリを消去しホームにある音楽アプリをタッチしおもむろにイヤホンを耳に突っ込んだ。頭の中にめぐる音楽、やがてそれは風のようになり、私の身体中に激しく巡り、弾け散った。なんとも言えない快感。ニヤニヤして震えが止まらなかった。鼻の奥から漏れ出てくるように永遠に、淡々と続く。 いつの間にか私は眠りに落ちていた。その日の目覚めはいつもとはちがかった。なんだか脱皮でもして、新しい肌で初めて太陽を浴びるような、とにかくこんなに気持ちの良い朝は今までになかった。私は泣かんばかりに、ドラマチックに叫んだ、「生きてて良かった!私の住める新しい世界をみつけた!あぁ素晴らしきこの世界!!!!」

新しい世界


後書き
この話は創作なので私はネットで傷ついたことはありません。なので実話ではないのですが、色々とあった時、音楽が私の味方をしてくれことは事実です。それは私にとってのすくいが音楽だっただけなので皆さん次第でそれは変わると思います。ただ私が伝えたかったことは簡単にまとめられませんが、大まかなテーマとしては「自分を救えるところで生きることも大切だ」ということかもしれません。かいた私にもうまく伝えられないので微妙ですが(笑)まあ、誰にでもある、心の一部にあるモヤをなんとなく物語にしただけかもと思います。初めて書いてみたので長くて下手ですが、暖かい目で見守っていただければ幸いです。

お題 この世界は

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