"神様だけが知っている"
これは誰も知らない。ましてや他人前で口にした事も無い。
ハナは、俺と飛彩の間に生まれた子どもなんじゃないかって思ってる。
そんな、方や神話のような、方や伝説のような与太話があるわけが無い。有り得ない。そんな訳が無い。
けどタイミング的に、時々そう思ってしまう。
ハナと出会う数日前、身体を重ねていた。
切れていた事を忘れていて、いつも入れている引き出しを開けて気付いた時俺の身体を気遣って『今日はやめよう』と言ってくれたが『別に平気だから』と食い下がり、そのまま潤滑液のみでやった。
だからハナを拾った時、『まさか』と一瞬過ぎった。
今も視界内に飛彩とハナがいると、そう錯覚してしまう。
大の大人がこんな事、口にできる訳がない。
口にしたのは、誰もいない神社で手を合わせながら小声で言った事くらいしかない。
こんな馬鹿げた事は、墓場まで持っていく。
"この道の先に"
朝日が昇りはじめ、空に淡い青色が差しだす。
商店街を通るルートを歩いていると、前方から見覚えのあるスーツ姿の青年が歩いてきた。
「みゃあん」
青年が誰か認識したのと同時に、ハナが人物に向かって声を上げる。
すると、その人物は片手を上げて更に近付いてきた。
「はよ」
人物──飛彩に倣って片手を上げて朝の挨拶をする。
「おはよう」
「みゃあ」
飛彩が挨拶を返すと、ハナが返事をした。
その声にしゃがんで「ハナもおはよう」とハナの頭を撫でた。ハナは気持ち良さそうに目を閉じて、大人しく撫でられる。
ハナから手を離し、立ち上がって俺に向き直る。そこで疑問をぶつける。
「今日入りが早い日だったか?」
「いや、予定通り遅めの出勤だ」
「じゃあなんでこんな早ぇ時間に」
「久方振りに貴方に会いたくて」
普段と変わらぬ声音で言う。
思わず、喉から声が詰まったような音が鳴った。
「散歩に同行させてもらえないか?」
そう言って右手を差し出してきた。恐らく日傘の事だろう。「自分で持つからいい」と返すと、「そうか」と言って俺の隣りに陣取った。
それを見て、足を動かし始める。俺と飛彩が歩き始めたのを見てハナも歩き始め、先を歩く。
「この道はよく散歩道にしているのか?」
隣りを歩く飛彩が問いかけてきた。
「いや、俺自身はよく通る道だが、ハナにとっては初めての道……のはずなんだが」
視線を落として、変わらず二人の前を歩くハナを見る。堂々と闊歩する姿に、歯切れが悪くなる。
「堂々としているな」
「だろ?いくらなんでも警戒心無さすぎ」
ハナの毅然とした姿に呆れの声を漏らす。
初めて通る道はどの生き物も少なからず警戒し慎重に進むのだが、いくら俺が傍にいて、ハーネスで繋がれているからって、好奇心旺盛にも程がある。
「大我の歩き姿を見て、『大我がよく通る道だから平気』と思っているんじゃないか?」
「はぁ?まさか……」
有り得ない、と続けようとしたが、止めて口を閉じる。
猫は、音や人の声、動き等に敏感な生き物。俺の歩き方を見て『ここは俺がよく通る道だから大丈夫』と感じ取ったと言われても不思議じゃない。
「まぁ、別にどうだっていい」
頭を軽く振って、考えるのを止めた。
「それもそうだな」
するとハナがこちらを振り向いて「みゃあ〜」と、まるで『なに〜?』とこちらに聞くように鳴いた。それに足を止める。
「なんでもねぇよー」
そう返すと、前を向いて再び歩き出した。
その様子にどちらからとも無く目を合わせ、小さく笑い声を漏らし、自分達も再び歩き出した。
"日差し"
最近日差しが強くなってきた。
散歩はいつも日が昇ってすぐだから日差しはさほど気にならないが、これからの季節の事を考え、今日から日傘を差す事にした。
『男が日傘なんて……』なんて周りの目は気にしない。日傘を差せば大きな影ができて、ハナがバテてきたら抱き上げて影の中で休ませる事ができる。
それと去年の夏を思えば、周りの言う事など気にしている暇などない。
去年は脱水症状を起こして、飛彩に迷惑をかけた。その時貰った麦わら帽子は、今も大切に掛けている。
去年のような暑さになってきたら、あの麦わら帽子を被ろう。それと、自分用の飲み物とハナ用の水と皿を持って出る必要がある。
……今年はあまり暑くならない事を祈る。
"窓越しに見えるのは"
買い出しから帰ると、ハナが窓辺で日向ぼっこをしながら出迎えてくれた。
窓に近付いてハナの前で人差し指を振る。
指先を目で追いかける。ハナの頭が振り子のように左右に動く。
タンッ
窓の向こうの俺の人差し指を捕まえようと、窓を前足で叩く。
タン、タンタン
その動きが可愛くて、つい指が動く。
だが、こんな事してる場合じゃないと動きを止めて中に戻った。
"赤い糸"
物資を受け取り、帰宅の為街の通りを歩いていく。
通りに面した店の前には、涼しさを感じさせるアイテムや色柄物が置いてあり、夏なのだと視覚で感じる。
「あっ」
おもむろに声を上げ、その場で立ち止まる。
──そういえば、帰りに糸買うんだった。
今朝、散歩中にハナのハーネスが低木に引っ掛かりほつれてしまったのを思い出した。
散歩から帰った後、直そうと裁縫セットを出したが赤色の糸が無く、他の色を使おうにも赤色の部分なので他の色だと変に浮いてしまう。物資を受け取った帰りに買いに行こうと考えていた。
──ここで思い出して良かった……。
足の向きを変え、手芸店に入る。
──あったあった。
糸が置いてある棚の前に真っ直ぐ行き、目当ての赤色の糸を手に取った。
念の為、白、黒、青色の糸も手に取って会計を済ませる。
「さて、早く帰って直さねぇと。裁縫やる時間無くなる」
買った糸が入った小さな紙袋をリュックのポケットに入れ、早足で帰路に着いた。