"後悔"
「時々思うんだよ。『あの時首を縦に振らなければ』とか『あの時折れずにこっぴどく振ってたら』って」
聖都大学附属病院の人通りの少ない、いつもの休憩スペースでいつもの小さなテーブルを挟んでいつものように向かい合わせに座り、窓の外の景色を眺めながらぽつりと呟く。
頬杖をつきながら紙コップを口につけ、中のコーヒーを啜る。いつもと同じ種類のブラックと書かれたいつも押しているボタンを押したはずなのに、なんだかいつもより少し苦い。
眺めている窓ガラスの向こうは、これまた車の通りも人通りも少ない道。けれど花壇となっている部分に芝桜が咲いていて、無骨な雰囲気の歩道を彩っている。
その可愛らしく揺れる芝桜を眺めながら芝桜に似つかわしく無い、後悔の念がこもった言葉が唇の隙間から零れた。
後悔なんて、大なり小なり数え切れない程している。その中でも直近で、大きな後悔が零れた。
ちらりと向かいに座る飛彩を見る。
「そうか」
そう言うと、コーヒーを啜って口を結んだ。
こいつは昔からそう。こうやって零しても頷くだけで、何も言わない。恐らく患者に対してもそうなんだと思う。
『ただ言葉にして自分の前で吐き出しているだけ』『自身はその先を聞かないし、否定も肯定もしない』という感じのスタンスで、ただ静かに聞くだけ。
普段俺が飛彩の吐き口になっているから、俺がこんな風に不意に零したネガティブな言葉を静かに聞いて、俺の吐き口になってくれているのだろう。
簡単に言うと、いつも聞いてくれているから零してくれた時は聞く側になろう、と言う事だろう。
「そんな事を二度と言わせないよう、今以上に幸せにする」
たまに反論してくる吐き口だが。小さく鼻で笑って「あっそ」と返す。
コーヒーを啜ろうと紙コップを持ち上げる。ふと中を覗くと、コーヒーの表面に口角が上がっている自分の顔が反射していた。
"風に身をまかせ"
風に乗って飛ぶ葉や花弁や鳥を見ると、『気持ちよさそうだなぁ』って思う。
風が強い日は沢山飛ばされて大変そうだけど、本人達は風に全く抵抗をせずただ風の向くままに飛んでいるだけで、むしろ気持ち良いのかもしれない。
人間は『どんな向かい風でも前へ進まなきゃ駄目』みたいな風潮があるから、時折凄く疲れる。
鳥達から見れば、どんなに滑稽だろう。
鳥のように羽を広げ、花弁のように優雅に舞いながら、葉のように遠くまで行きたい。
けれど、よく考えてみれば、《前》は自身が向いている方向。だから《後ろ》を向けば、その方向が《前》になる。《向かい風》が《追い風》になる。
つまり、見方次第で自分を否定するものにも、肯定するものにもなる。
だからと言って、否定するものを排除したり拒絶してはいけない。
少しでもいい方向に行く為には、否定も必要。
向かい風と追い風を上手く使いこなして経験値を効率良く得ていきながら、気の向くままとまではいかないけど、無理せずに進んでいきたい。
"失われた時間"
失ったそのものを取り戻す事はできない。
失った事実は消えない。
けれど、失って空いた穴を埋める事はできる。
罪滅ぼしではないけれど、空いた穴を埋める事ができる。
ずっと悔やんでいても仕方がない。失われ、なくなった時間を、意味あるものに。
無意味なものにしてはいけない。
同じ過ちをして、また失うから。
"子供のままで"
大我はあまり笑わない。
笑ったとしても、それは煽るような挑発的な笑みで心からの笑顔は、普段は殆どしない。
だが二人の時は、笑顔をよく見せてくれる。
そんな大我の笑顔が好き。
小さな花が静かに咲くようなふわりと笑う笑顔も、子どものような純真無垢な笑顔も好き。どちらの笑顔も可愛い。後者は本人に言ったら『悪かったな、ガキみてぇで』と拗ねてしまいそうだから、聞かれても言わない。
俺の前で笑顔を見せてくれると、俺が大我の安心できる居場所になれている、とその度に実感する。
勿論普段も可愛い。無意識にあのハンドサインをするのも、驚いた時の反応も。
付き合って間もない頃。初めて部屋に入った時、棚に専門誌や論文等が几帳面に並び収まっているのに、下の引き戸の中にいわゆる少女漫画が一つの段に二列ずつ収まっているのを見て『随分可愛いものを読むな』とページを捲りながら思ったが、意外には思わなかった。むしろ、だからたまに女性的なアプローチをするのか、と納得した。
それと、漫画の影響を受けている所も子供のようで可愛いな、と《花家大我》という男の魅力に、更に溺れた。
自分よりも年上なのに純粋な所があって、可愛いのと同時に危なっかしさ。
健気で真面目で素敵だと惚れて、既にどうしようもない程に溺れていたとばかり思っていたが、どんどん魅力に、現在進行形で溺れていく。
普通の人なら大人になるにつれ忘れてしまう。子供のような純粋さを、 いつまでも忘れないで欲しい。
"愛を叫ぶ。"
今日は風が強い。通報を受けた場所は港。
その為風の強さが尋常じゃなく、戦闘中白波の飛沫が何度もかかった。
それはいいのだが、俺が変身を解いた瞬間に飛沫が上がって、その飛沫がもろにかかった。俺だけ海に近い所に立っていた。
自然に負けた。俺だけ。
「なんで……」
レーザーはゲラゲラ笑いながら病院に戻っていった。
──あいつ今度会った時脳天ぶち抜いてやろう。
潮水でしっとりと濡れ、束となった髪を伝って毛先から雫が落ちる。
地面を見ると、俺の周りを囲うように斑点模様ができていた。今も一つ、また一つと雫が落ちて地面に滲んでいく。
海の方へ身体を向けて、息を大きく吸う。
「なんで俺が変身解いたタイミングで上がるんだよー!」
「傍に立ってた俺も俺だけど!……なにもんなタイミングで上がらなくたっていいだろー!」
思わずやけになって不満を叫んだ。
「レーザーてめぇ後で締めるから覚えてろー!」
これはついで。
満足して「はぁ……はぁ……」と肩で息をする。
「え、と……。大丈夫ですか……?」
エグゼイドがおずおずと聞いてきて、ゆっくり振り向く。
口ぶりや表情からして、声をかけるタイミングをずっと見計らっていたようだ。
あと、急に柄にもなく叫びだした俺に気圧されたのもあるだろう。
息を整えて口を開く。
「あぁ、スッキリした」
上体を起こし胸を張るように腰に手を当てて、得意げな笑みを見せる。一応質問の答えにはなっていないが。
怪訝な顔をされるかと思っていたが、ゆっくり口角を上げて「それは良かったです」と、予想とまるで逆な表情を向けてきた。
「大我さんはもっと叫んだほうがいいです」
「はぁ?」
「ずっと前から『いつか病みそうだな』ってヒヤヒヤしてました」
「……」
昔『いつか心おかしくして壊れそう』と言われた事があったから何も言えずに口を閉ざす。
「だからたまには、周りを気にせず思っている事全力で叫んで下さい」
「……あっそ」
──まさか五つ年下の後輩にそんな事を言われるとは。
驚きと感心が混ざった短い言葉を吐く。
「ついでですから、ここで愛を叫びません?」
撤回。感心して損した。
「ほら、もう一回海向いて。動画撮って飛彩さんに送りますんで」
「誰がするかっ!」
今日一番の大声で反抗する。
こいつ、たまにこうやって悪ノリみたいな事をする。絶対あいつの影響受けてる。しかも年単位で受けてる。やっぱりあいつ締める。
「てめぇが心配しなくても、そういうのはちゃんと、言葉にして、面と向かって伝えてっから」
口ごもった言い方になって、後半聞き取れているか微妙。
「安心しました。それじゃあ、戻りますね」
と身を翻して小走りで離れていった。その背中に「転ぶんじゃねぇぞー」と仕返しで茶化す。すると傍に置いてあった空箱に足を引っ掛けて派手に転んだ。
「あーあ。言ったのに」
思わず言葉が零れる。
──そういう所は本当いつになっても変わらない。
──さて、早く帰って着替えてシャワーを浴びなくては。
身を翻し、帰路に着く。
たまには叫ぶのもいいか、と小さく鼻を鳴らした。