ミミッキュ

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5/5/2024, 4:40:14 PM

"君と出逢って"

 意識が浮上し、ゆっくりと瞼を開ける。
 視界に移る景色も、身体を預けている寝台の感触も違う。
 ぼんやりとしていた頭が少しずつハッキリしてくる。
 明日は休みだからと、一晩泊まりで来たのだ。
 ハナをどうしようかと思っていたけど、いつの間にかケージを買ったらしく、スマホでそのケージの写真を見せてきた。恐らく俺に安心して首を縦に振らせる為に撮ったのだろう。
 ドームのような形のケージは布製で柔らかそうな質感。天井はファスナーで閉じられるらしい。
 直径は一緒に写っているローテーブルの奥行きと同じくらいで、高さはローテーブルより少し高い。
 中を見るとクッションが幾つか入れられていて
 「だから大丈夫だ」と言われ、ハナと共に泊まりに来ていた。
 ハナを引き取ってからずっと行っていなかった。俺の行きたい気持ちはあったけれど、ハナを留守番させる事になるから、行きたい気持ちを隠して拒んでいた。
 最後に訪れてから、もう半年を過ぎた。俺の居室で二人で夜を過ごすのは、もう当たり前になっていた。
 だが、上手く隠していても半年を超えれば、恋人には通用しなくなる。
 いや、ケージを買った時期と、数週間前の『買っている』という言い方。恐らく半月から一ヶ月程前に買って用意していただろう。
 それはきっと、飛彩も久しぶりに自身の家で夜を過ごしたい気持ちがあったから。
 そのケージはリビングにあり、ハナは今その中でぐっすり眠っている。
「起きたか」
 柔らかな声が優しく包み込んできた。
 声を辿り、首を動かす。
 この部屋の主──飛彩が柔らかな笑みを浮かべながら、こちらに身体ごと向けていた。
 よく見ると、上半身裸だった。
 全身の感覚がハッキリしてくるのと共に、腰の痛みがやってきた。
 そしてベッドと掛け布団の感触で、自身が全裸である事を悟る。
 自身が全裸で腰に痛みがある。布団の中を覗き込まなくても分かった。飛彩も全裸だ。
 どうやら行為中に、いつの間にか寝落ちてしまったらしい。
 横目でサイドテーブルの上のデジタル時計を見る。
 日付が変わって数十分経っていた。
「悪ぃ……途中で寝落ちて……」
 謝ると、首を緩慢に横に振って口を開いた。
「俺が加減を間違えた。謝るのは俺の方だ」
 そう言って布団の中から片手を出し、俺の頬を撫でた。
 お互いギスギスした状態から一年も経たずに互いの想いを伝え合って恋仲になり、それから数ヶ月後、今のように身体の関係も持つようになった。
 あの頃常にひりついていたのが嘘のようで、思い出す度におかしくなる。
 だが心惹かれ始めたのは、まさしくその頃で、その時は自覚も何もなかった。
 良い意味でも悪い意味でも心の支えになっていた。
 その《良い意味》が何なのか気にし始めた頃には、多少のひりつきがありながらも共闘するようになっていた。
 あの頃よくいがみ合っていたから、互いの譲れないものを分かち合ったから、お互いがかけがえのないものになって、今がある。
 俺の名前を呼ぶ声を聞く度に、俺の顔を目に反射させながら向ける顔を見る度に、小さな生の喜びを感じる。俺も生きてていいんだと思える。それがどれだけ嬉しいか。
「……どうした?」
 俺の小さな笑みが漏れていたらしい。小さく、優しく問いかけてきた。
「いや……」
 たった二文字に否定の意を込めて答えた。
 ちゃんと否定したいのだが、そこから先の言葉が照れ臭く口ごもり、黙ってしまう。
 だが変に言葉尻を濁してしまったので、目を逸らして握りこぶしを作り、言葉を絞り出す。
「出逢えて良かった。……って、思った、だけ」
 後半顔を俯かせてしまい、言葉も尻すぼみになって聞こえたかどうか微妙な声になった。
 不安なまま顔半分を枕に埋めていると、唇を親指でそっとなぞるように撫でてきた。
 ゆっくり視線を合わせると、端正な顔が鼻の先まで近付いてきた。
 瞼を閉じて顔を少し動かすと、互いの唇が触れ合った。小さなリップ音を立てながら離れる。
「そう言って貰えて、嬉しい」
 嬉しそうな笑みを見せたと思ったら、急に顔を曇らせて目を細めた。
「あの時、沢山傷付ける言葉を浴びせたから」
 はたと思い出す。
 思い出されるあの頃の飛彩は、怒りの表情と罵声のみ。
 俺と共にいる度、あの時の自身の振る舞いに罪悪感を覚えていたのか。そして、それをずっと抱えていたのか。
 俺の頬に添えられた掌に、そっと重ねる。少し冷たくて、けれど暖かくて、俺のよりもずっと逞しくて、頼もしい手。
 俺の手の温もりなど取るに足らないかもしれないが、少しでもその罪悪感を溶かせるのなら。
 そうやって掌を重ねていると、「だが」と短い言葉を出した。
 顔を見ると、先程までの痛々しい表情は消え去り、いつもの自信満々な表情に戻っていた。
「貴方への想いに気付いた時から、『これからは俺が幸せにする。傷付けるものから守る』と誓い、ここまで来た。そのような言葉を頂けて、今まで感じた事の無い達成感を覚えた。これからも、貴方を守り、幸せにする」
 その言葉を聞いて、顔が熱くなるのを覚えた。今の俺は、恐らく恥ずかしい程に顔が真っ赤だ。
 布団を被って顔を隠す。
「別に人に守られる程弱かねぇし」
「確かに、男性が男性に『守る』と言うのは変か」
 照れ隠しで言った俺の言葉に、至極真面目な口調で呟いて「済まない」と謝った。
「いや、そういう事じゃなくて……。まぁ、いっか」
 口角が上がるのを覚える。
 俺は生きていていいんだ、と面と向かって言われたようで、笑みがこぼれる。
 顔を出して向き直る。
「悪くは思ってねぇよ。俺なんかにそう言ってくれて、嬉しい」
 そう言うと、顔を少し顰めた。
──俺、なんか変な事言ったか……?
 怪訝な顔で首を傾げると、口を開いた。
「『俺なんか』と言うの、いい加減止めろ」
 普段のような、低い声色で言われた。「悪ぃ」と小さく謝ると、再び口を開いて言葉を紡いだ。
「貴方は素晴らしい人。いや、『素晴らしい』は正しくないな……。だがそれ以上の言葉が見つからない」
 言葉を紡ぎながら少し考え込んでしまった。
 続きの言葉を黙って待っていると「とにかく」と声を張り上げた。驚いて肩が跳ねる。
「謙遜と卑下は違う。自身を悪く言うな。……俺の愛する恋人に酷い事言うな」
 そう言って、ふと微笑んでみせた。
 トクン、と胸が高鳴って、また顔が熱くなった。
 また布団の中に潜って、今度は胸元に擦り寄る。
 俺の頭を抱えるように手を回した。
 温もりと、規則的で穏やかな鼓動が相まって瞼が重くなる。その心地良さに逆らう事なく、再び眠りについた。

5/4/2024, 1:45:06 PM

"耳を澄ますと"

「みゃあん」
 昼食を食べ終え、水も飲み終えたハナが足に擦り寄ってくる。
「構って欲しいのか?」
 食べていたサンドイッチをフィルムの上に置いて、ハナを膝の上に乗せる。
 膝の上で寝転がり、こちらを見上げると喉を鳴らし始めた。
 食べかけのサンドイッチを持ち、再び食べ始める。新鮮なレタスを噛む音がシャキシャキと鼓膜を撫で、レタスとハムの甘さが舌を優しく撫でる。
「みゃあ」
 ハナが囁き声のような鳴き声を出した。見ると撫でて欲しそうな仕草で、頭を俺の腹に擦りつけている。
「はいはい」
 サンドイッチを持つ手と反対の手でハナの頭を撫でる。
 掌に頬を擦りつけ目を閉じる。すると、ころん、と身体を転がし無防備に、動物の急所である腹を天井に向けた。
──本当に警戒心皆無だな、こいつ。ものには限度ってもんがあんだろ。親相手でも少しは警戒しろ。
 心の中で文句を転がす。
 手術痕に注意しながら、掌を腹に優しく乗せて撫でる。他の所より柔らかな体毛が掌を包み込む。
「ハナ」
 柔らかな声色でハナの名前を呼ぶ。
 反応はしているが、口を開くだけで鳴き声は聞こえない。
 聞こえてきそうで聞こえない、子猫が母猫を呼ぶ際に出す鳴き声。
 耳を澄ませたって人間の耳には聞こえない周波数なのに、よく澄ませれば聞こえてきそうに思えるのはおかしいだろうか。
 聞こえなくたって、俺を母猫のような存在に思ってくれている事には変わらない。
 その事実だけで充分すぎる程、頬が緩む。
 昼食のサンドイッチを食べ終えると、腹を撫でていた手を離し、傍に置いていたウェットティッシュで両手を丁寧に拭いて、ペットボトルの水を流し込む。
「みゃあん」
 ハナがまた鳴き声を上げた。まだ撫でて欲しそうな顔を向けてくる。
「だーめ」
 そう言ってハナを抱き、ベッドの上に乗せた。
「そんな顔したって駄目。大人しく待ってろ」
 いってくる、と言って廊下に出る。「みゃあ」と、まるで『行ってらっしゃい』のような鳴き声を上げて見送ってくれる。
 小さく手を振って、扉を閉める。
──さて、午後も頑張るか。
 伸びを一つして、診察室に戻った。

5/3/2024, 2:58:48 PM

"二人だけの秘密"

──♪〜……
 【Brand New Days】をリクエストされ演奏する。
 この曲を所望する依頼主は一人しかいない。
 アウトロを奏でて、唇を離す。
 離すのとほぼ同時に、拍手が辺りの空気を震わせた。依頼主──鏡飛彩の拍手を浴びながら顔を上げる。
「……折角半日休みが被ったってのに、これでいいのかよ。どっか行くのかと思って準備して待ってたってのに」
「ハナがいては難しいだろう」
「ハナなら平気だ──」
「一週間の殆どを主人と分離されている。分離されている時間があまりにも長いとストレスで毛が抜けたり、体調を悪くする可能性がある」
 俺の言葉を遮るように被せてきた。
 ごもっともな発言で反論できずに黙る。ゆっくり口を開く。
「……それで、お願いがフルートか」
 リクエストを選択した理由を聞き、納得の意で一言発した。
 俺の言葉に小さく頷き「それと……」と呟く。「それと?」とオウム返しをして続きを促す。
「久しぶりに聴きたかった」
 小さく微笑みながら言葉を続けた。
 二人の時に発する、普段の鋭い刃のような低音からは想像できない程の、穏やかで甘い低音。
「……そうかよ」
 目を逸らして短い言葉を絞り出す。
 数メートル離れていれば平気だ──反射的に目を逸らしてしまう──が、この声を至近距離で聞くと、骨抜きになってしまう。
「もう一度、吹いて欲しい」
 そう言ってアンコールを頼んできた。「曲は?」「同じで」と短い会話を交わすと、傍らに置いていた小さな箱に手をかける。来た時持っていたが気にするのは野暮だと思い、それが何かは聞いていなかった。
 膝の上に置くと、ガチ、という金属音を響かせて蓋を開いた。
 蓋と被って見えない。蓋の裏で、がさごそと何かを準備している。
 数十秒程待っていると、蓋の裏から箱の中身を出した。
 俺が持っているのと同じ、銀色に輝くフルート。
 驚いて口を半開きにする。
「聴いていたら、いつしかアンサンブルしたくなって、それで」
 自身の手の中のフルートを見つめながら言う。
「吹けるのか?」
「リード部分となる所を楽譜に起こして練習していた」
 その曲は恐らく【Brand New Days】だろう。でなければ同じ曲をアンコールしない。
「大丈夫なのか?」
「何度貴方のフルートを聴いてきたと思っている。脳内シミュレーションでは完璧だ」
 そう言うと「始めるぞ」と唇を付けた。慌てて俺も唇を付けて構える。
 初心者の飛彩が合わせやすいよう、柔らかくイントロを奏でる。
 それに合わせて、別のフルートの音が重なる。
 恐る恐る合わせて来ていたその音がほんの数秒で『本気で来い』と目配せをして、まるで挑発するかのような鋭く響く音になり、振り落とされそうになる。
 負けるか、と挑発に乗る。『じゃあ遠慮なく』と目配せをして、いつも通りの演奏をする。
 少しずつ互いの音が合わさり、ぶつかり、そして溶け合い、綺麗なハーモニーを奏でていく。
 互いの音が影響し合い、一人で演奏していた時とは比べ物にならないくらい、室内によく響く。
 そしてアウトロに入ると、陽だまりのように優しく柔らかな音で互いの音にそっと寄り添い、曲を終わらせる。
 唇を離し、視線を飛彩に向ける。
「……挑発するような音を出してすまなかった」
「別にいいって。初心者だから合わせやすいようにしたのが気に食わなかったんだろ。逆に合わせずらくして悪かった」
 互いに謝り合うと、「けど」と短く呟いて言葉を続けた。
「想像以上に、楽しかった」
「……同感」
「またやろう」
「あぁ。……けど、息の量も運指もあやふやで所々震えてた」
 そう指摘すると、「済まない」と小さく肩を竦めた。
「……まぁ、初心者にしては結構吹けてた」
 「流石は天才外科医様」と付け足すと「それは関係ないだろ」と突っ込んできた。
「今度吹き方とか構え方、教えてやる」
「あぁ、よろしくお願いします」
「そんなかしこまんな」
「だが歴で言うと遥かに先輩だ。敬って当然だ」
「だからって止めろ。恥ずかしいから」
 言い合っているとどちらからともなく吹き出して、互いの笑い声が重なって部屋の空気を震わせた。
「はぁー……。まぁいいや、早速教えてやる。構えろ」
 そう言って構えると、俺に倣ってフルートを構える。
 よく見ると俺の見よう見まねの構えだろう。だが変な構えで、酷く違和感しかない。
「あぁ、もう……早速駄目。まず腕は──」
 そうしてそのまま指導し、気付けば夜中になっていた。

 互いにフルートを仕舞い、帰りを見送りに背中について行く。
「ここまでで良い」
「分かった」
 すると急に黙って俺の目を見てきた。俺も黙って飛彩の目を見ると、人差し指を自身の唇の前に立てて囁くように言葉を発する。
「また秘密が増えたな」
 その一言に一瞬、トクン、と胸が鳴る。
 だが首を横に振って我に返り、頭の中で言葉を反芻する。その言葉に『内緒にして欲しい』という意図が含まれている事に気付いた。
「了解」
 小さく頷いて人差し指を唇の前に持っていき、同じポーズをして囁き声で二文字の言葉を返す。
「では、また」
「あぁ、またな」
 言葉を交わすと身体を翻し俺に背を向けて、夜道を歩き出す。
 背中が夜闇の中に消えていったのを見送ると、扉を閉めて居室に戻る。
「……また合わせてぇな」
 あの重なり合った時の感覚。もっと練習すれば、昼間の演奏よりもっと良い合奏になる。
「みゃあん」
 するとハナが足元に来て、一声鳴いた。
「あっ」
 ハナの鳴き声を聞いて、折角ハナの事を考えてリクエストしてくれたのに結局ハナを放ったらかしにしていた事に気付いた。
「ごめんな。放ったらかしにして」
 しゃがんでハナの頭を撫でると、気持ちよさそうに目を閉じて「みゃあ」と鳴いた。
「さて、そろそろ飯用意するか」
 立ち上がって「待ってろ」と一言告げて、居室を出た。

5/2/2024, 12:53:59 PM

"優しくしないで"

 優しくされる事にトラウマのようなものを持っているから、優しくされる度拒絶するように突き放してしまう。
 何年経っても拭えぬ事で、脊髄反射で手を払ったり飛び退いて突き放す言葉を投げ、やってしまった後に我に返り気付いて謝る。
 周りはもう慣れて「気にするな」とか「大丈夫」と言って許してくれるが、いつまでも甘えてられない。これは何れ直さなきゃいけない事だ。
 もし知り合って間もない相手にしてしまったら、とんでもないトラブルに発展しかねない。
 ましてやそれが患者だったら、治療に協力してくれなくなる。治せるはずのものなのに治せなくて、取り返しのつかない事になる。絶対に避けなくてはならない。
 だから直す為に自分なりに特訓しているが、よく分からない。
 減ってはいると思うが、こういうのは第三者に聞いた方が早い。
 けれど、聞くに聞けない。
 聞ける訳が無い。
 恥ずかしくて聞けるか、こんなの。

5/1/2024, 1:52:47 PM

"カラフル"

──早く帰ってハナに飯やらねぇと……。
 昼前、用事を済ませ早足で帰り道を歩いていく。
 一歩、また一歩と前に進む度に、花の香りが鼻腔をくすぐっていく。
 すると、ふと町の掲示板に目がいき、立ち止まった。
 ピンクや水色、黄緑色と色とりどりの淡い配色で彩ったポスターのポスターの上部に《春のマルシェ》と書かれている。
 キッチンカーや手作り雑貨店が出て、その中でも目玉はストラップを手作りできるワークショップらしい。
 気になってスマホを取り出して調べてみると、どうやら数年続いている恒例イベントらしく、秋にもやっているらしい。
──へぇー、知らなかった。
 この辺で暮らし始めてどれくらい経っただろうか。昔の自分は行事事に全く関心がなく、掲示板に見向きもしていなかった。
 これからは、こういうのを沢山見つけるのだろうか。そう思うと、頬が少し緩むのを感じた。
──……って、何やってんだ俺。早く帰らねぇとあいつが騒ぎ出す。
 はたと目を見開くと首を大きく横に振り、再び帰り道を歩き出した。

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