ミミッキュ

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"二人だけの秘密"

──♪〜……
 【Brand New Days】をリクエストされ演奏する。
 この曲を所望する依頼主は一人しかいない。
 アウトロを奏でて、唇を離す。
 離すのとほぼ同時に、拍手が辺りの空気を震わせた。依頼主──鏡飛彩の拍手を浴びながら顔を上げる。
「……折角半日休みが被ったってのに、これでいいのかよ。どっか行くのかと思って準備して待ってたってのに」
「ハナがいては難しいだろう」
「ハナなら平気だ──」
「一週間の殆どを主人と分離されている。分離されている時間があまりにも長いとストレスで毛が抜けたり、体調を悪くする可能性がある」
 俺の言葉を遮るように被せてきた。
 ごもっともな発言で反論できずに黙る。ゆっくり口を開く。
「……それで、お願いがフルートか」
 リクエストを選択した理由を聞き、納得の意で一言発した。
 俺の言葉に小さく頷き「それと……」と呟く。「それと?」とオウム返しをして続きを促す。
「久しぶりに聴きたかった」
 小さく微笑みながら言葉を続けた。
 二人の時に発する、普段の鋭い刃のような低音からは想像できない程の、穏やかで甘い低音。
「……そうかよ」
 目を逸らして短い言葉を絞り出す。
 数メートル離れていれば平気だ──反射的に目を逸らしてしまう──が、この声を至近距離で聞くと、骨抜きになってしまう。
「もう一度、吹いて欲しい」
 そう言ってアンコールを頼んできた。「曲は?」「同じで」と短い会話を交わすと、傍らに置いていた小さな箱に手をかける。来た時持っていたが気にするのは野暮だと思い、それが何かは聞いていなかった。
 膝の上に置くと、ガチ、という金属音を響かせて蓋を開いた。
 蓋と被って見えない。蓋の裏で、がさごそと何かを準備している。
 数十秒程待っていると、蓋の裏から箱の中身を出した。
 俺が持っているのと同じ、銀色に輝くフルート。
 驚いて口を半開きにする。
「聴いていたら、いつしかアンサンブルしたくなって、それで」
 自身の手の中のフルートを見つめながら言う。
「吹けるのか?」
「リード部分となる所を楽譜に起こして練習していた」
 その曲は恐らく【Brand New Days】だろう。でなければ同じ曲をアンコールしない。
「大丈夫なのか?」
「何度貴方のフルートを聴いてきたと思っている。脳内シミュレーションでは完璧だ」
 そう言うと「始めるぞ」と唇を付けた。慌てて俺も唇を付けて構える。
 初心者の飛彩が合わせやすいよう、柔らかくイントロを奏でる。
 それに合わせて、別のフルートの音が重なる。
 恐る恐る合わせて来ていたその音がほんの数秒で『本気で来い』と目配せをして、まるで挑発するかのような鋭く響く音になり、振り落とされそうになる。
 負けるか、と挑発に乗る。『じゃあ遠慮なく』と目配せをして、いつも通りの演奏をする。
 少しずつ互いの音が合わさり、ぶつかり、そして溶け合い、綺麗なハーモニーを奏でていく。
 互いの音が影響し合い、一人で演奏していた時とは比べ物にならないくらい、室内によく響く。
 そしてアウトロに入ると、陽だまりのように優しく柔らかな音で互いの音にそっと寄り添い、曲を終わらせる。
 唇を離し、視線を飛彩に向ける。
「……挑発するような音を出してすまなかった」
「別にいいって。初心者だから合わせやすいようにしたのが気に食わなかったんだろ。逆に合わせずらくして悪かった」
 互いに謝り合うと、「けど」と短く呟いて言葉を続けた。
「想像以上に、楽しかった」
「……同感」
「またやろう」
「あぁ。……けど、息の量も運指もあやふやで所々震えてた」
 そう指摘すると、「済まない」と小さく肩を竦めた。
「……まぁ、初心者にしては結構吹けてた」
 「流石は天才外科医様」と付け足すと「それは関係ないだろ」と突っ込んできた。
「今度吹き方とか構え方、教えてやる」
「あぁ、よろしくお願いします」
「そんなかしこまんな」
「だが歴で言うと遥かに先輩だ。敬って当然だ」
「だからって止めろ。恥ずかしいから」
 言い合っているとどちらからともなく吹き出して、互いの笑い声が重なって部屋の空気を震わせた。
「はぁー……。まぁいいや、早速教えてやる。構えろ」
 そう言って構えると、俺に倣ってフルートを構える。
 よく見ると俺の見よう見まねの構えだろう。だが変な構えで、酷く違和感しかない。
「あぁ、もう……早速駄目。まず腕は──」
 そうしてそのまま指導し、気付けば夜中になっていた。

 互いにフルートを仕舞い、帰りを見送りに背中について行く。
「ここまでで良い」
「分かった」
 すると急に黙って俺の目を見てきた。俺も黙って飛彩の目を見ると、人差し指を自身の唇の前に立てて囁くように言葉を発する。
「また秘密が増えたな」
 その一言に一瞬、トクン、と胸が鳴る。
 だが首を横に振って我に返り、頭の中で言葉を反芻する。その言葉に『内緒にして欲しい』という意図が含まれている事に気付いた。
「了解」
 小さく頷いて人差し指を唇の前に持っていき、同じポーズをして囁き声で二文字の言葉を返す。
「では、また」
「あぁ、またな」
 言葉を交わすと身体を翻し俺に背を向けて、夜道を歩き出す。
 背中が夜闇の中に消えていったのを見送ると、扉を閉めて居室に戻る。
「……また合わせてぇな」
 あの重なり合った時の感覚。もっと練習すれば、昼間の演奏よりもっと良い合奏になる。
「みゃあん」
 するとハナが足元に来て、一声鳴いた。
「あっ」
 ハナの鳴き声を聞いて、折角ハナの事を考えてリクエストしてくれたのに結局ハナを放ったらかしにしていた事に気付いた。
「ごめんな。放ったらかしにして」
 しゃがんでハナの頭を撫でると、気持ちよさそうに目を閉じて「みゃあ」と鳴いた。
「さて、そろそろ飯用意するか」
 立ち上がって「待ってろ」と一言告げて、居室を出た。

5/3/2024, 2:58:48 PM