ミミッキュ

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"君と出逢って"

 意識が浮上し、ゆっくりと瞼を開ける。
 視界に移る景色も、身体を預けている寝台の感触も違う。
 ぼんやりとしていた頭が少しずつハッキリしてくる。
 明日は休みだからと、一晩泊まりで来たのだ。
 ハナをどうしようかと思っていたけど、いつの間にかケージを買ったらしく、スマホでそのケージの写真を見せてきた。恐らく俺に安心して首を縦に振らせる為に撮ったのだろう。
 ドームのような形のケージは布製で柔らかそうな質感。天井はファスナーで閉じられるらしい。
 直径は一緒に写っているローテーブルの奥行きと同じくらいで、高さはローテーブルより少し高い。
 中を見るとクッションが幾つか入れられていて
 「だから大丈夫だ」と言われ、ハナと共に泊まりに来ていた。
 ハナを引き取ってからずっと行っていなかった。俺の行きたい気持ちはあったけれど、ハナを留守番させる事になるから、行きたい気持ちを隠して拒んでいた。
 最後に訪れてから、もう半年を過ぎた。俺の居室で二人で夜を過ごすのは、もう当たり前になっていた。
 だが、上手く隠していても半年を超えれば、恋人には通用しなくなる。
 いや、ケージを買った時期と、数週間前の『買っている』という言い方。恐らく半月から一ヶ月程前に買って用意していただろう。
 それはきっと、飛彩も久しぶりに自身の家で夜を過ごしたい気持ちがあったから。
 そのケージはリビングにあり、ハナは今その中でぐっすり眠っている。
「起きたか」
 柔らかな声が優しく包み込んできた。
 声を辿り、首を動かす。
 この部屋の主──飛彩が柔らかな笑みを浮かべながら、こちらに身体ごと向けていた。
 よく見ると、上半身裸だった。
 全身の感覚がハッキリしてくるのと共に、腰の痛みがやってきた。
 そしてベッドと掛け布団の感触で、自身が全裸である事を悟る。
 自身が全裸で腰に痛みがある。布団の中を覗き込まなくても分かった。飛彩も全裸だ。
 どうやら行為中に、いつの間にか寝落ちてしまったらしい。
 横目でサイドテーブルの上のデジタル時計を見る。
 日付が変わって数十分経っていた。
「悪ぃ……途中で寝落ちて……」
 謝ると、首を緩慢に横に振って口を開いた。
「俺が加減を間違えた。謝るのは俺の方だ」
 そう言って布団の中から片手を出し、俺の頬を撫でた。
 お互いギスギスした状態から一年も経たずに互いの想いを伝え合って恋仲になり、それから数ヶ月後、今のように身体の関係も持つようになった。
 あの頃常にひりついていたのが嘘のようで、思い出す度におかしくなる。
 だが心惹かれ始めたのは、まさしくその頃で、その時は自覚も何もなかった。
 良い意味でも悪い意味でも心の支えになっていた。
 その《良い意味》が何なのか気にし始めた頃には、多少のひりつきがありながらも共闘するようになっていた。
 あの頃よくいがみ合っていたから、互いの譲れないものを分かち合ったから、お互いがかけがえのないものになって、今がある。
 俺の名前を呼ぶ声を聞く度に、俺の顔を目に反射させながら向ける顔を見る度に、小さな生の喜びを感じる。俺も生きてていいんだと思える。それがどれだけ嬉しいか。
「……どうした?」
 俺の小さな笑みが漏れていたらしい。小さく、優しく問いかけてきた。
「いや……」
 たった二文字に否定の意を込めて答えた。
 ちゃんと否定したいのだが、そこから先の言葉が照れ臭く口ごもり、黙ってしまう。
 だが変に言葉尻を濁してしまったので、目を逸らして握りこぶしを作り、言葉を絞り出す。
「出逢えて良かった。……って、思った、だけ」
 後半顔を俯かせてしまい、言葉も尻すぼみになって聞こえたかどうか微妙な声になった。
 不安なまま顔半分を枕に埋めていると、唇を親指でそっとなぞるように撫でてきた。
 ゆっくり視線を合わせると、端正な顔が鼻の先まで近付いてきた。
 瞼を閉じて顔を少し動かすと、互いの唇が触れ合った。小さなリップ音を立てながら離れる。
「そう言って貰えて、嬉しい」
 嬉しそうな笑みを見せたと思ったら、急に顔を曇らせて目を細めた。
「あの時、沢山傷付ける言葉を浴びせたから」
 はたと思い出す。
 思い出されるあの頃の飛彩は、怒りの表情と罵声のみ。
 俺と共にいる度、あの時の自身の振る舞いに罪悪感を覚えていたのか。そして、それをずっと抱えていたのか。
 俺の頬に添えられた掌に、そっと重ねる。少し冷たくて、けれど暖かくて、俺のよりもずっと逞しくて、頼もしい手。
 俺の手の温もりなど取るに足らないかもしれないが、少しでもその罪悪感を溶かせるのなら。
 そうやって掌を重ねていると、「だが」と短い言葉を出した。
 顔を見ると、先程までの痛々しい表情は消え去り、いつもの自信満々な表情に戻っていた。
「貴方への想いに気付いた時から、『これからは俺が幸せにする。傷付けるものから守る』と誓い、ここまで来た。そのような言葉を頂けて、今まで感じた事の無い達成感を覚えた。これからも、貴方を守り、幸せにする」
 その言葉を聞いて、顔が熱くなるのを覚えた。今の俺は、恐らく恥ずかしい程に顔が真っ赤だ。
 布団を被って顔を隠す。
「別に人に守られる程弱かねぇし」
「確かに、男性が男性に『守る』と言うのは変か」
 照れ隠しで言った俺の言葉に、至極真面目な口調で呟いて「済まない」と謝った。
「いや、そういう事じゃなくて……。まぁ、いっか」
 口角が上がるのを覚える。
 俺は生きていていいんだ、と面と向かって言われたようで、笑みがこぼれる。
 顔を出して向き直る。
「悪くは思ってねぇよ。俺なんかにそう言ってくれて、嬉しい」
 そう言うと、顔を少し顰めた。
──俺、なんか変な事言ったか……?
 怪訝な顔で首を傾げると、口を開いた。
「『俺なんか』と言うの、いい加減止めろ」
 普段のような、低い声色で言われた。「悪ぃ」と小さく謝ると、再び口を開いて言葉を紡いだ。
「貴方は素晴らしい人。いや、『素晴らしい』は正しくないな……。だがそれ以上の言葉が見つからない」
 言葉を紡ぎながら少し考え込んでしまった。
 続きの言葉を黙って待っていると「とにかく」と声を張り上げた。驚いて肩が跳ねる。
「謙遜と卑下は違う。自身を悪く言うな。……俺の愛する恋人に酷い事言うな」
 そう言って、ふと微笑んでみせた。
 トクン、と胸が高鳴って、また顔が熱くなった。
 また布団の中に潜って、今度は胸元に擦り寄る。
 俺の頭を抱えるように手を回した。
 温もりと、規則的で穏やかな鼓動が相まって瞼が重くなる。その心地良さに逆らう事なく、再び眠りについた。

5/5/2024, 4:40:14 PM