"愛情"
今日は朝から、メッセやら通話やらで『おめでとう』と言われ、開院前だというのに押しかけてきてプレゼントを寄越してきて、しまいには『夜うちでパーティしよう』と勝手に提案されて、拒否しようと思っても既にやる空気だったので諦めて生返事で受け流してとっとと返した。
それだけなら良かったものの、その後入れ替わるように来た患者数人に『おめでとう』という言葉と共に、小さなケーキやらキャンディやらノートやらを渡され──おそらくあいつらが言いふらした──、それが伝染して…言われすぎて閉院までに何人から言われたか覚えてない。
その後は、うちにケーキやらお菓子やらを持ってきて、ようやく終わって帰ったのはついさっき。
別の意味でヘロヘロで、もうこのまま寝てしまおうと思うくらい。けれど日記を書かなくては、明日も仕事があるから、と何とか踏ん張って書いてる。
社会人になってから、いや…おそらくもっと前から、誕生日なんてどうでもいいと思っていた。今でもどうでもいいと思ってる。祝われる度に、正直言うと『俺の誕生日なんて、どうでもいい事なのに』と思う自分がいた。
けど、『おめでとう』と言われたり何かを貰った時、顔には出ていない──と思いたい──が満更でもない自分もいた。
誕生日を祝われて、こんな気持ちになった事は幼い時以来だ。
そういえば、と一度ペンを置き、テーブルの上の丁寧にラッピングされたプレゼント達を見る。まだ中身を見ていなかった。一つひとつ丁寧に包装やリボンを解いて、テーブルの上に並べていく。
淡い緑色の耳あて──無地だけど三十路越えにこれはちょっとキツいだろ──に、高そうなボールペン──一番実用的だけど、なんか使いづらい──、ピルケース──おそらく、これに頭痛薬を入れて使えという事だろう──に、兎のぬいぐるみ。しかも三つ。大きさは違うが同じ柄で垂れ耳なのも同じ──偶然だろうか、はたまた示し合わせて用意したのか、どっちにしろネタに走ったな?──。
渡してきた時もパーティの時も『結構悩んだ』と口を揃えて言っていた。言葉通りに受け取るんなら、俺なんかの為に沢山悩んで探して見つけたのだろう。
そう思うと、何故か自然と顔がにやけてしまう。頬を抑えても、にやけが止まらない。いい歳なのに、誕生日を祝われてプレゼントを見て、柄にもなくにやけるなんて、誰もいなくて良かった。
あ、…。……俺以外の人間がいなくて良かった。
"微熱"
ピピピピ…ピピピピ…
「ん、……」
久しぶりの休日の早朝、いつものように目覚ましの音と共に意識を浮上させ、上体を起こす。
「……」
──なんだろう、身体が少し熱い気がする。
気の所為だと一瞬払い除けようとしつつも医者の性には抗えず、サイドテーブルの引き出しから体温計を取り出し、スイッチを入れてシャツを捲って脇の下に挟む。
少し待って『ピピッ』という音が鳴り、挟んでいた体温計を取って液晶に表示された体温を見る。
37.5℃
微熱だ。
「はぁ……」
──せっかく久しぶりに丸一日休みだと言うのに……。
休みの日に済ませたい事を一気に済ませようと思って計画していた事が崩れて、大きな溜め息を吐く。
──まぁでも、微熱なら半日位で下がるか……。
「みゃあ」
俺の溜め息に起きてしまったのか、ケージの中の子猫が鳴き声を上げる。
「悪ぃ、起こしちまったか?」
「んみゅ」
ベッドから下りてケージの中を覗き込みながら子猫に謝罪の言葉をかける。だが子猫は何処吹く風、小さく鳴いて皿の中の水を飲んでいる。
「待ってろ。今、飯持ってくるから」
ケージの扉を開けて餌皿を取り、部屋を出て子猫用のご飯を皿によそってぬるま湯を入れてふやかし、スプーンで混ぜてペースト状にする。
皿を片手に部屋に戻ると、ケージの外に出ていた子猫が「みゃあん」と元気な一声を上げてケージの中に入る。
いつもは扉を閉めてから部屋を出ているが、休みの日なので今日は一日扉を閉めないでおこうと扉を開けたまま部屋を出たのだ。
「ほら」と皿をケージの中の定位置に置くと「みゃあ!」と鳴き、皿の前に陣取って中に顔を埋めて「うみゃうみゃ」と鳴きながらご飯を食べ始める。
ご飯にがっつく子猫をまじまじと見る。まだ数週間だというのに、最初の頃より大きくなっている。子猫の成長は早いと聞いたが、まさかここまで早いとは思っておらず、とても驚く。だが驚きと同時に、微笑ましくもある。
──たんと食べて、大きくなれよ。
いまだにご飯をはぐはぐと食べている子猫の背中を優しく撫でる。すると子猫がこちらを振り返り「んみぃ」と鳴きながら、背を撫でていた手に喉を鳴らしながら擦り寄ってきた。餌皿を見ると、沢山乗っていたはずのご飯が綺麗に無くなっている。
「お前本当に食いしん坊だな」
ふ、と微笑ましく思っていると、身体の怠さが襲ってきた。軽度の怠さで気にならない程度だが、身体の熱っぽさと相まって具合が悪くなる。ふらりと立ち上がってベッドの上に寝転がって毛布にくるまる。
「はぁ……」
先程より少し酷くなっている。微熱だからといって侮るなかれ、あまり動くと熱が上がってしまう。
──飯は、いいや…。用意している間に熱が上がってしまう…。
ぼーっと天井を見つめていると、何かがベッドの上に乗ってきた。
「みゃあ」
目だけを動かして横を見ると、子猫がベッドの上に乗って枕元に来ていた。不思議そうに俺の顔をまじまじと見ている。その様子を眺めていると、俺の顔のそばで体を丸めた。
「お前、まさか心配してんのか?」
なんて絵空事のような事を口にすると「んみぃ」と鳴いて少しすると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。
「……」
──暖かくて、落ち着く。
すると、だんだん眠くなってきた。
──休日だし、こういうのもたまにはいいだろ。
眠気に抗う事なく、瞼を閉じて意識を手放し、眠りにつく事にする。
「ん……いつの間に…」
目覚まし時計の液晶に目をやる。おそらく二時間ほど寝ていたのだろう。
「?…あれ……」
上体を起こすと、思わず疑問の声を上げる。朝起きた時と眠る前にあった熱っぽさと怠さが無い。試しにもう一度体温計で熱を測ると、平熱にまで下がっていた。
下がるのに半日は要すると思っていたのに、こんなに早く下がってしまうとは。柄にもなく驚いて、開いた口が塞がらない。
ふと、枕元に寝ている子猫を見る。まだ気持ち良さそうに瞼を閉じていて、すやすや夢の中だった。
「……」
──ありがとう。
ふ、と口角を上げて心の中で、まだ夢の中の子猫に感謝の言葉をかける。
起こさないように、そーっとベッドから下りて、自分の朝食を済ませに部屋を出た。
"太陽の下で"
昼食を軽く済ませ残りの休憩時間を外に出て、できる限り外の空気を吸って気持ちをリセットする。
空気が少し前よりも澄んでいて、肌を刺すように冷たい。
空を見上げると雲一つ無い快晴で、とても綺麗で鮮やかな空色だ。
空を見上げていると、そよ風が頬を撫でた。優しい風でもピリリと冷たく、その冷たさに小さく体を震わせる。太陽も、数週間前の今頃より低い位置にある。この分だと少し前にした予想通り、本当に自分の誕生日に初雪が降りそう。
もうすぐ秋が終わる。本格的な冬の便りに、少し寂しい気持ちになる。
「……寒っ」
寂しさに浸っていると、先程よりも大きく身を震わせる。まずい、芯まで冷えてしまう前に中に戻ろう。
──ストーブの温度、少し上げるか…。
震えながら足早に中に戻って、ストーブの温度を上げに回った。
"セーター"
そういや、出した冬服の中にセーターがあったな。結構寒くなってきたし、そろそろ出番か。
あ、ダメだ着れない。子猫の毛が付く。セーターだと毛取りが大変だからダメだ。あとよじ登ってきた時爪が引っかかって糸がほつれる。
だから今年は出番無し。…ごめん。
次着るのは、あいつが大きくなって落ち着きが出てきたら…。
来年辺りに出てきてくれりゃあ助かるんだが。……ムズそうだな。
"落ちていく"
この前、公園の木の枝に僅かに残っていた葉が全て落ちた。
気温もまだまだ下がっていく。外を歩けば、数分で指先が冷たくなる。
空気もどんどん乾燥してきて、気付いたら唇が乾燥していたなんて事がざらになってきて、いよいよリップクリームが手放せなくなってきた。
こりゃあ、もうそろそろ雪が降るんじゃねぇか?
この分だと、俺の誕生日に初雪、なんてありそう。
俺の誕生日は暦の上では秋で、俺は秋生まれのはずなのに、これじゃあ来年とか再来年あたりに冬生まれって言われる。
あと単純に寒さで動きが少し鈍くなってきたし、少しの距離を動くだけでも腰が重い。
季節の変わり目、特に秋から冬への季節の変わり目が俺には辛い。気温が安定しないから、着込み方を間違えると逆に熱くてしんどくなる。
早く安定してほしい…。