燃える葉
生きるという事は、大変だ。
生きるために働かなければならない。
働く事の選択は、肉体酷使か、精神酷使か、または、両方か?
それにより、生きるレベルも変わってくる。
僕は、若くない。働く事には抵抗無いが、心身の事情で変わってくる。若い頃の様に肉体を酷使出来ないし、かと言ってネガティブな私には、現在の様な精神ダメージを強く受ける仕事も、もう辛い。
さらに、働き方改革。良い政策なのかはここでは何もいえないが、今の仕事では、難しい政策だろう。立場によって、この良し悪しは変わるからだ。
その改革も僕みたいな底辺には、大きく影響する。休みを取るか、金を取るか、生きる難しさが浮き彫りとなる。
自然のように生きたい
今を変えたい
変えるという事は、全てを捨てる覚悟が伴う。
守るものがある僕は、どうすれば良いのか?
生き方を変える難しさという奴だろう。
どこかで…すぐにでも変える事は、できるのだろうか?
何かを変えて、満足して生き抜けるのだろうか?
自然の中で生きる落葉の葉のように、一時を綺麗に力強く生き、そして、秋に、燃え尽き、落ちていく。
その葉の様に、僕の命も…
「一時を輝かせ、燃やし尽くせる葉の様に、僕も生きてみたい」
そう、感じた、 秋の日の、今日である。
moonlight
「今宵は、これを肴に、日本酒で…」
部屋の横にはベランダがある。
フードで囲まれて、夏でも冬でも外の景色が見られる。
夏は、冷酒で、冬は熱燗で、タバコに火をつけ、キャンプ用の椅子に座り、煙をたたせながら、明日に向かって一杯かたむける。
今日は、熱燗かな
お酒の分だけ、人生を考える。これからの事だ。自分がこれからやれる事はあるのか?やりたい事は何か?
僕は、変わったら家族を守れるのか?変えられるのか?
銚子から漂うお酒の匂いが、今の時間を止めてくれる。
1つ考えるたびに一杯、また一杯。
一人の時間とは、孤独だが、良いものだ。
心に向き合い、自分に向き合い、未来に向き合う。
「そういえば、酒の肴がないなぁ」
でもお猪口から手が離せない。
今日の月は、格別に綺麗だ。
街並みの風景に溶け込む月は、なんと寂しく、愛おしいのか。
「今宵は、これを酒の肴に…」
明日からまた、仕事だ。自分に問いかけてる答えは、いつまでも出ないだろう。
人生に悩む自分に、酔ってるのか?
月明かりが、この暗闇の中で、自分だけを照らしている。
変えられない、明日という名の 「舞台」の始まりだ。
今日だけ許して
「今日だけ、許してほしい…」
今はストレス社会だ。パワハラ、カスハラ、責任、重圧と数えきれないほど。
僕もストレスを毎日抱える一人だ。大小のレベルの違いはあるが。
朝から晩まで、息を殺して、無表情でいる、嫌な顔をすればねちねち言われ、笑い顔をすれば、嫌味を言われ、声を出せば、100以上の言葉を言われ、と、キリがない。
ストレス解消は、皆さん、どうしているのか?
一時期、僕は、本当に精神的にやばくなった。
趣味もなかなか出来ず、やる気も失せる。家族にも当たりそうになってくると、自己防衛システムが作動した。
暴食だ。通勤、退勤時、コンビニと友達になった。
お金が湯水の様に湧けば良いのだが、お金がない。だから、安くて、少しでも量のある、甘くて、そしてしょっぱくて、もうなんでもいい、お菓子を車の中で食べながら運転していた時期があった。
あれは、やばかった。次年度、会社の健康診断で引っかかってから、夜に走りまくった。1日10kmと、少ねーなと思う人もいるかもだが、とにかく続けて、暴食前の体重に今は戻っている。
今は、なんとか、我慢している。でも…
「今日だけ許して、ほしい…」
休日に仕事に呼び出され、頑張った自分のご褒美に、コンビニスイーツを… 買ってしまった。
今、食べるのを迷っている。 ごめんなさい
「今日だけ許して、下さい」
また、…始まりそうだ(笑)
誰か
「誰か、助けて!」
みなさんは、誰かに助けを求める場面に遭遇したことは、ありますか?
注意ですが、このお話しは、命のやり取りは、ありませんが。
小学校の頃のお話です。
友達と外で遊んでから、家に帰る途中でした。昔は、沼みたいな柔らかい窪地があちこちにあり、今でこそ住宅とか建っているのですが、私達は沼と呼んでいました。
帰宅が遅くなり、怒られるのが嫌で、家に帰りたくありませんでした。
夏の夕方、日が傾き、あと1時間程で暗くなる時間です。
沼の横を通ってたとき、大きなカエルさんがいたので、捕まえたくて沼の端から頑張って手を伸ばしました。沼は中央に向かって下がっているので、当然、滑り落ちました。
ハマりました。
膝まで埋まり、靴どころかズボンもドロドロ、しかも両足がハマり、抜けません。泣き叫びました。当時、水曜スペシャル探検隊とかTVでやっていて
「ここ、底なし沼だ!どうしよう、もう出られない!」
「誰かー、助けて!」
泣きまくり、叫びまくり、その内に、少しずつ沈下していきました。
こうなっては、もうドロドロだろうがなんだろうが、命が大事です。寝そべって、這いつくばり、体をゴロゴロズリズリしながら、1時間かけて、脱出した記憶があります。
大人なら、もしかしたらなんともない出来事だったのでしょうが、小さい僕のプチ生死体験だったと思います。
そんなこと思い出しながら書いていたら、今、業者に呼ばれました。休日なのに…
「誰かー」
落ちですね。今から出撃します。皆さん、お疲れ様です。
遠い足音
朝、時刻通りに豆から粉となり、コーヒーが抽出される。
居間全体に香ばしい匂いが漂い、目覚めの1杯が出来上がる。
僕は2階からよぼよぼのおじいちゃんの様に階段を降り、玄関に出て背を伸ばす。まだ、新聞は来ていない。
朝食は、パンとコーヒーだ。ルーティンの一環だ。テレビをつけ、ニュース、天気を見ながら食事をする。毎日同じ様な仕事着に着替え、行く前に、弁当を詰め込む。
部屋に行き、ベッドの布団を治し、カーテンを開け、ゴミを集積し戸を閉める
「さぁ、今日も明日のために生きるか」
同じ日常が始まる。
ルーティンを少し変えたいなと思ったが、変えたら変えたで落ち着かなく、結局はいつもの日常だ。
何かを変えるには、それなりに勇気がいる。
勇気がないんだなと、実感する毎日だ。
仕事がいつも、自然と人相手なので、毎日内容が違う。
だから、余計なのか、せめて日常に平穏も求める。
車の窓を開け、自分に気合いをいれると、風が冷たいのがわかる。冬はもうすぐだ。
仕事には辛い日々が始まる。
今年の夏の強烈な暑さを思い出しながら、
じわじわ近づいてくる、冬の遠い足音を噛み締めて
今日も、とりあえず生きてみる。