浅木

Open App
7/16/2024, 1:54:49 AM

 コトリ、と音を立てて置かれた「それ」を、つい目で追ってしまったのは仕方のないことだと思う。
 つい先ほどまで彼の指で光っていたはずの指輪は、同じ物であるはずなのに全く別のものに見えて仕方ない。本来なら流れに沿って私も外すべきなのかもしれないが、視界がぐにゃぐにゃと揺れてそれどころではなく。ただ沈黙が喉を絞めて息が苦しくなる。
「結婚とは、一種の契約です」
 突然の一言に困惑したが、頷く。
「これからの人生を互いに預け、共に生き、相手を大切にするという契約。それが結婚であると私は思っているんです」
 少し小難しい言い方な気がしなくもないが、別に間違ったことは言っていない。特に反論も無く再度頷き、そこで首をかしげる。
 てっきり私は、彼に何か粗相をしてしまったのかと思っていた。知らない間に彼を傷つけていたとか、彼の両親の不興を買ってしまったとか、それとも飽きられてしまった、とか。
 特に彼を束縛したりだとか、不必要に女性関係に敏感になった覚えは到底ない。会社の付き合いというものも納得しているし、部下を率いる立場の人だ。食事に行くことも多々あるだろう、特に疑心を持ったことも無かった。何よりも彼の口から自分以外の女性の話なんてついぞ聞いたことが無かったものだから、そもそも考えていなかったとも言える。
「今まで、特に女性の話は聞いて来なかったですけど……もしかして、他に好きな人でも出来ましたか?」
「有り得ません」
 食い気味に否定されてしまった。嬉しい反面、疑問符しか浮かばない頭で必死に考える。離婚なんて、ちょっとやそっとじゃ出てこない選択肢だと思う。よっぽどの理由があるか、私に隠し事があるか。
「素直に離婚して貰えませんか」
「理由無しになんてできません。説明をください」
 少し目線を逸らした彼は、申し訳なさそうな顔をした後、真っ直ぐに私の眼をみた。
 その顔を私はよく知っている。夜に私を貪る獣の顔だ。私が一生かけても敵わない男の、私にだけ向いている劣情。反射でびくりとするのを必死で抑えつける。
「先ほども言いましたが、結婚とは契約です。つまり、反故にする場合は破棄しなければならない。」
 私の手にスッと手が伸びた。右手の指輪を、ゆっくりとした速度だがしきりに撫でられる。
「相手を大切にする。つまり、あなたを今後今までのように甘やかしてはあげられないんです。私が我慢ならない」
 あなたが眠っている間、どれだけあなたをぐちゃぐちゃにしたかったか、泣かせたかったか知らないでしょう。閉じ込めたいとどれだけ願ったか。自分だけの物でいてくれと何度言い聞かせてたか。分からないのも当然です、見せないようにしていましたから。
 普通の人はもっと大切に愛しますし、自由を奪うような……こんな方法は取らないでしょう。なるべく長く隠すように決めたつもりでしたけど。あなたを騙しているようで心苦しかったんです。
 一息に言って私の指輪にキスを一つ落とした彼は、自室に向かいじゃらじゃらと鎖を引っ付けた首輪を持って来た。机の上に置かれた物にこれは何?とか誰用?とか聞くのは野暮だ。彼の好きな青色の綺麗な首輪。
「ね、理解しましたか。今指輪を置いて頂ければ、すぐに離婚届を持ってきます。私の分は既に記入済みですし」
 なんと用意がいいことで。彼のことだ、あとは私が名前を書くだけで離婚が成立するよう色々準備したに違いない。
 確かに一般の人達は、自分の配偶者に首輪をつけようなんて思うことはないだろう。彼の言っていることは「自分だけのペットが欲しい」に近しい。私は人間だし、私なりの意思がある。それを制限するための首輪でもあるだろうけど、一番は逃亡防止だ。
「私が寝てる間にこれを着けようとは思わなかったんですか?そうしたら、私は何も出来ませんでした」
「……無理強いは、させたくなかったので」
 つまり彼は、私に自分の意思で着けて欲しかったと。
 再度彼を見る。
 怯えていた。見たことの無い顔だった。指輪に手を掛かると眼を閉じたのが前髪越しにでも分かる。このまま薬指から抜いて見せれば、彼は無理に笑ってそのまま離婚し姿を消すだろう。いやもしかしたら、吹っ切れて無理矢理犯される可能性も無くはない。
 ……それもいいかな。なんて考えが出た自分に一瞬驚いた。私は破滅願望でも持っていたんだろうか。
 大体、結婚したということは、私はあなたのものだし、あなただって私のもの。なんで話し合いじゃなくて離婚を突きつけられなきゃいけないのか。そりゃあ色々逸脱している部分はあるが、何もここまでしなくても。
 そこで、私はようやく自分自身が少し怒っていることに気がついた。と同時に、そこまで彼に愛されているのが堪らなく嬉しかった。

 指輪を外して、彼が外した隣に置く。口を真一文字に結ぶ彼に少し笑いそうになる。
「言う通りにします。夫とか、妻とか、もうやめましょうか」
「……そっか。分かりました。なら離婚届を」
「その必要はないです」
 は、と彼が顔を上げた瞬間に首輪を突きつける。鎖が結構重い。腕がプルプルしているのを察してか、慌てて受け取られた。
「着けてくれるんですよね?」
 顎を上げながら言うと、少し見下ろしているようになってしまったけど、彼が泣きながら頷いたのでよしとしよう。


 首が重い。自由に動けないし、じゃらじゃらうるさいし、時々嫌になるくらいいじめられる。でも私を見て彼がわらうから、その眼を私に向けてくれるから。良かった、と今日も安堵するのだ。



2024/7/16
「終わりにしよう」

5/23/2024, 1:16:53 PM

 相手に向けて何かプレゼントをあげるときは、皆何をあげますでしょうか。実用品とか、あって困らないギフトカードとか、ネタだったりだとか、様々だと思います。
 私は「相手に似合いそうな物」を選んできました。
 長らく一緒にいると、なんとなく好みそうな物とかって見えてくるじゃ無いですか。色とか、形とか。可愛いもの、格好いい物など。少し見当がつかない場合は、必殺のギフトカードでやり過ごしたり。まぁ今の所友人達からは好評なので、特に選んだ物に問題は無さそうです。
 そして先月、とうとう私にもやって来たんです。彼女の誕生日というものが。
 お恥ずかしながら、友人へのプレゼントを選ぶことはどうにか出来る私ですが、彼女へ向けてというのは初めてのことです。悩みに悩んだ結果、彼女が普段から好んでいるモチーフをあげることにしました。
 彼女は青い薔薇が好きで、少し暗めの濃い青色を好んでいました。勿論他の色の服も着ているのを見ますし当然似合うのですが、彼女のイメージというと薔薇しか思い浮かばなかったのです。
 話し合った結果、誕生日月の末にお互いプレゼントを渡すことになりました。書き忘れましたが、私と彼女は誕生日が一緒の月で、こうしてプレゼントを渡し合うというのも楽しみにしていたんです。憧れるじゃないですか、こういうの。
 楽しみにしている日というのは中々来ない物で。たった一週間後が数ヶ月に感じながら、とうとうその日がやってきました。私が彼女に選んだのは青薔薇の形をした入浴剤です。美容がどうとかよく分からないことが沢山書いてありましたが、恐らく大丈夫でしょう。対応してくれた店員も太鼓判を押していましたし。
 食事をたのしんで一息ついた後、私たちはプレゼントをお互いに渡しました。嫌がられたらどうしよう、違う物がいいと言われたらどうしよう。心配しながら固唾を飲んで見守っていた私に、彼女は笑顔で嬉しい、と言ってくれました。
 緊張から解放され胸を撫で下ろしましたが、まだ彼女からのプレゼントを開けていません。箱に傷をつけないように丁寧に開けると、ドライフラワーが入っていました。とても綺麗な、青色の、薔薇。
 彼女は自分の好きな物をあげるタイプなのか?花の置物なんて部屋に飾った経験すらないが、たまにはいいかもしれない。何より好きな人から貰った物ですし、大切にしない理由がない。
 ありがとう、と口にしようと顔を上げたところで、彼女が笑っているのが目に入りました。
 笑顔はもちろん何回も見ていますし、その度に見惚れて話にならないのですが、その時の笑みは違いました。恐怖などでは無いのですが、何か、がしっと自分自身を掴まれるような、そんな感覚だったんです。
 思わず固まっていると、「どう?」と一言投げかけられました。
 数秒思考が止まりましたが、プレゼントの感想を聞いているのだと気がついた私は、こくこくと頷きながら「ありがとう」というのが精一杯。本当はもっと重ねた方がいい言葉があったのでしょうが、焦ってしまって口から何も出て来ません。
 どうしようどうしようと無い頭で考えていると、彼女がそっと私の手を握って来たんです。ただでさえ言葉に出来ない違和感と焦燥感で手一杯なのに、重ねて乱されてしまって身体が跳ねてしまいました。今まで手を握るのはなんら不思議なことは無かったのに。
「それ、私が好きな物なの」
 それはそうだろう、と頷くと、彼女は私が持っている箱と私の顔を交互に見て、「だから」続けて言ったのです。
「私の好きな物を持っているアナタは、私の物なの。その花はそういう証拠」
 ちゃんと飾っておいてね。せっかく枯れない物にしたんだから。

 その日、私はどうやって会話を終わらせて店を出て帰宅したのか今だに思い出せません。
 ですが貰った花は玄関先にありますし、埃一つ被ることなく綺麗に咲き誇っています。これが枯れることはきっと一生無いのだろうな、と思います。
 当然ですよね。自分から壊さなければ散らない物なのですから。





2024/5/23
「逃れられない」
 
 
 

5/22/2024, 12:22:40 PM

 あの頃は幼かった。ひたすらにゲームセンターで遊んだり、カラオケで六時間熱唱したり、とにかく体力に任せた遊び方をしていた時期がある。今では到底真似できないやり方だけれど、当時はとても楽しかった。
 複数のクラスメイトと集団で遊んでいた時期もあったが、とりわけ遊んだのは一人のAちゃんだった。
 彼女はクレーンゲームが上手く、相性のいい台では二百円や三百円でぬいぐるみを腕に抱いていた。何回かおこぼれをもらい、二人でもふもふな毛並みを撫でては笑い合ったことを覚えている。他にもコインゲームをしたり、暗い中でゾンビと戦ったり、まぁとにかく様々なゲームをした。
 当時はスマートフォンなど便利なものは無く、一つのクラスに一人がガラケーを持っているかどうかの時代だ。特に約束する日は無いけれど、学校で朝に話し、その日の思いつきで決まることが多かった。今ではあまり無いことかもしれない。けれどその思いつきが楽しかった。
 ぬいぐるみが増えていって、ちょっとした収納ケースいっぱいになるくらいに集まったある日。
 いつも通りに遊び、笑い、もうそろそろ帰ろうと、私達は店の外に出た。そして「また明日ね!」と言い合い手をピースして帰り道を歩く。
 どちらから始めたのか覚えていないが、帰る前にはピースマーク、また明日。これがルーティーンになっていた。これは今でも癖になっていて、友人達に時々聞かれるのだが、私にとってはこれが別れの挨拶なのだ。明日、もしくは次に会う為の言葉と言ってもいい。Aちゃんは反対方向で、尚かつ向かい側の道路に渡って帰る。それを追いかけて、車の往来で見えづらい中で再度ピースを見せる。……なんてこともしていた。お互い何をしているんだと今なら思う。
 そしてその日を境に、Aちゃんは暫くの間姿を消した。要は学校に来なくなってしまったのだ。私は彼女の家の場所はおろか電話番号すら知らなかったし、当時、各クラスメイトの電話番号名簿は母の自室にあった。私は私でまた会えるだろうとそこまで気にしていなかった。
 けれどその日は帰りに雨が降って、びしょ濡れで帰ってきた私は風邪を引いた。そしてどこから感染したのかインフルエンザに罹り、学校に行けない日々が続いてしまった。漸く登校できた日、斜め前の机を見るが、Aちゃんには会えない毎日が続いて行く。
 一週間、一ヶ月と過ぎていったあの日。公園でボール遊びを楽しむみんなをベンチで眺めていると、通りの向こう、Aちゃん家族が歩いているのが見えた。
 話しかけに道路を渡れば良かったのだが、少し億劫に思った私は、その場からAちゃんの名前を呼んだ。二回叫ぶと、お母さんらしき人がこちらを見て、Aちゃんの肩を叩いた。ようやく彼女が私を見る。
 また遊ぼうよ、明日会える?と叫びながら手を振る私に、Aちゃんは私にピースして見せた。
 だが少し、おかしかった。
 ピースマークというのは、手の指を外側、つまり相手に向けてするものだ。けれどその時Aちゃんがしてくれたピースサインは逆。つまり手の甲をこちらに向けたサインだった。
 一瞬「ん?」と思うが、幼かった私は気にも留めずにピースサインを高々に掲げた。その通りは大通りとは言えないが車の通りは少ないとは言えず、距離もある。それに親の前だ、大声で叫ぶのは怒られるのかな、なんて考えて、再度ぶんぶんと手を振ることで返事を保留にした。
 Aちゃんはそれに少しだけ手を振って応えて、また歩いて行く。それを追いかけることはせず、私はボール遊びに戻ってしまった。
 これが、私とAちゃんの別れになるとは思わずに。
 その日以来、彼女と私は未だ再会出来ていない。彼女が転校して学校からは居なくなり、引っ越してしまったそうで電話番号も使えず、連絡先も分からぬままだからだ。
 あれが最後だと分かっていれば、きちんと話をしに行ったのに。声を聞くことができたのに。せめて電話番号さえ聞いておけば、今でも楽しく通話をすることが出来たかもしれないのだ。悔やんでも悔やみきれない。
 夕方五時、周辺の子供達が口々に叫びながら帰路につく光景を見る度に思い出す。この苦さは、恐らくこれから先、ずっと残り続けるのだろう。


2024/5/22
「また明日」
 
 

5/21/2024, 2:32:09 PM

 自分が疎ましいと思う人間はこの世に少ないらしい。
 死にたいと思うことは悪であり、自分を否定するのは哀れであり、己を消したいと思うことは愚かなことだと周りは言う。それはとても幸せなことで、だからこそ私に向けられる嘲笑が尚更身にこたえた。
 ネットの海を観れば、自分と同じ考えの人間は山ほどいるが、所詮はネットはネット、現実は現実。目の前で怒号の雨を降らせているこの現状に対しての特効薬にはならない。
 日常はいつも通りに回るものだ。それこそ、自分自身が死なない限り。
 意味が無い生き方しかできない人生だ。人の邪魔はしていない、かと言って役に立つことがあったかというと違う。自分が生きていなくともこの世界は回るし、今この世から消えてしまったとしても困る人間は誰一人としていないのだろう。それが嬉しくもあり、悲しくもある。後者に関しては完璧な矛盾だと理解しているのに、だ。
 あぁそうとも、生まれた以上愛されたい。私だって人間で、感情がある生き物で、誰かに大切にされたかった。大切にしてみたかった!
 けど実際はどうだ、いてもいなくても変わらない、仮に死んだら家族は正直困るだろう、自殺した子の家庭という重荷を背負わされるのだから。どっちつかずで足元がふらついて、右に左に揺られるままだ。
 いやだ。
 こんなのはいやだ。
 愛されたかった。愛してみたかった。みんなが当たり前に考えられて、当たり前に享受できるものを受けてみたかった。こんな人間でもこれくらいの欲は無限に沸く。
 それでも理性では分かっている。自分はそれに値しないと。そして愛することも恐らく出来ない性格だろう。いつか将来、致命な失敗をして、人から去られてしまうであろうことも。

 だからせめて。今のうちに自分を「無」にさせて下さい。誰も傷つけない、誰にも悲しまれない、見えない物にさせて下さい。
 認識されなければ、私を見る人がいなければ、居ないものとして扱われる。ということは、何にも影響を与えることが出来ない。正に理想の形だ。
 どうか、どうか。

「……いえ、ちゃんと聞いてました。はい。ごめんなさい、ママ」
「ごめんなさい」
「すみませんでした」

 今日も痛い。
 
 
2024/5/21
「透明」

5/16/2024, 3:58:00 PM

 「愛」というのは、つくづく美化されすぎている。
 創作においての愛はとても素敵なものだし、この世に生まれた子供の殆どは愛の結晶だ。特別な感情……だとは思う。
 それでもいつも思うのは、「愛」があればどんなことでもこなせるというのはあまりに幼稚ではないか。
 愛とは感情だ。感情が長続きするのには、様々な要因が必要不可欠である。相手からの言葉、周囲の環境、自分自身の心。ざっと考えるだけで沢山ある。
 これらは何があれば解決するのか。率直に言うなら金だ。
 愛と金は悪い意味でよく天秤に載せられることが多い。愛は美しいもので、金は醜いもの。金なんかより愛が大切。散々聞く言葉ではあるが、本当にそうなんだろうか。
 どちらが大切か、というのは個人の判断によるだろう。いくら貧しく辛い道のりであろうと、相手と居るならば幸せだと考える人はいる。別に否定もしない。だが、金がないと言うことは、取れる選択肢が少ないと言うことだ。
 「たかが金」で、解決できることはこの世にごまんとある。金で愛は買えるものでは確かにないが、金があれば得られるものがありすぎる。
 では仮に金が無くなってしまったらどうなるか。金が無いから生活していく全てが不足して、不足したから今まで持っていられた物を落とす。そして落として全てを
失ったから誰とも関われなくなる。人と関わらないから自分を忘れられて、周辺の人間から無関心の外へ出されて、エンドだ。
 そうなると、幾ら愛を手に入れられたとしても意味が無い。その人と生きたいが為に一緒になった筈なのに、気がつけば捨てられる。もしくは二人仲良く心中か。
大半は前者だろう。
 ここまで考えてしまうと、愛さえあれば……というのは破綻しているように思えてしまう。勿論これに該当しない人達もいるだろう。誠実に努力だけで生きて幸せになる人も居る。けれどこの世の中、耳に入る情報を見ていると、どうしても「たかが金」で解決できることで愛が消費されていくのが顕著だと思う。
 だから愛を美化しすぎるているし、簡単に使い捨て、幻想を抱いている様にしか見えないのだ.
 



2024/5/16
「愛があれば何でもできる?」

Next