コンビニの入り口で立ち尽くす。最悪だ。傘パクられた。
入る時には、女性物の可愛いらしい傘が三本だけで、私の黒くて長い傘を見紛う訳がないラインナップだ。奥の飲み物コーナーに向かう前に、出口へと向かう男とすれ違ったのを思い出す。……お前か。あのヤロウ。
今日は厄日。そう断言できるほどに運が良くなかった。行きに傘は何故かひん曲がったし、仕事中はイライラ溜め込み中の課長に八つ当たりされ、おまけに今の傘だ。
何?私前世で悪いことしたツケを月払いにでもしてんの?
仕方なくまた同じ黒い傘を手に取る。六十五センチ、真っ黒な傘。男用みたいな見た目だけど、ビニールより頑丈だし、大きいから濡れにくくて良かったのに。溜め息を吐きながらレジに再度並ぼうとしてふと思い出した。昨日再度読み返した文章の一節。
「五百円のビニール傘から、きらびやかなデパートの寂れた一角に長年取り残された、上等な傘に買い替えるような、そういうちゃちな変化だと思う」
小説の内容自体は、今の自分の状況と全くもって当てはまらない。作品の男には女がいて、女も男を好きだ。この一節は男の、この女と居ることで幸福を認識できると言っているのであって、ただ傘を盗まれた哀れな私には何も重ねられるものが無い。それでもこれを初めて読んだ当時、想像した風景が頭をよぎる。自分がおしゃれな傘を片手に雨の中を歩く様。
確かにデパートの傘は、可愛いと思ったり色が素敵なものがある。それらを羨望の目で見ていたのは確かで、いつか自分も大人になったらこんな傘が欲しいなぁ、なんて思っていた。
でも正直、自分に似合う服だとか持ち物だとかを的確に理解できる人間は少ないと思う。私も未だ服に悩むし、ネットで見るような人達が羨ましいし、〜〜系とか名のつくような服を着こなしている人たちを見るのがとても楽しくて苦痛だ。似合う物なんて出会えない人間には特に。
だが、今はどうだ?私は傘が無い。不本意だけど、新しく買わなきゃならない。今後使う傘に出会いに行かなきゃいけないんだ。
傘を戻す。行き先は決まっていた。信号が青になることを祈って全力疾走。服、あんまり濡れないといいな。
青色が好きだ。空の色、海の色。自分を包んでくれる色。落ち着いた色がいい。大きいほうが濡れづらい。……あ、これ。
あぁ、ちゃちな変化かもしれない。特別高い訳でも無い傘だ。なんだったら明日パクられるかも。それは嫌だな。これは私の傘で、私が選んで出会った傘なんだから。
たかだか傘一本と、ポツポツと降る雨に踊らされながらも道を歩く。物に出会うとか出会わないとか、メルヘンな話だ。ただそこにあるものを買っただけのよくある日常。なんの飾りも必要のない話。
今日は、それでもいい日になりそうだし、欲を言うなら今後の雨の日もきっと楽しい日になる。そんな馬鹿みたいなデカイ幻想的と妄想を抱きながら、玄関の扉を開けた。
2025/3/28「小さな幸せ」
3/28/2025, 12:38:26 PM