「小さな幸せ」
去年の春、桜並木の途中にある小さな公園の片隅で
10cmほどの桜の枝の先を拾った。
その短い枝に、桜の花はちょうど十、ついていたけれど
花びらはどれも悲しげに顔を伏せているかのように
寂しくしおれていた。
私はなんとなくそれを拾い、鞄にそのまま入れて
電車に乗って帰宅した。
家に着いてその小さな桜の枝を取り出した頃には
桜の枝はノートと鞄の間にやわらかく挟まれ
更にぺしゃんこの可哀想な姿になっていた。
私はジャムの空き瓶に水をたっぷりと入れて
その小さく可哀想な桜の枝を活けてみた。
たった数分のできごとだった。
たった数分で、その桜の枝は再び命を取り戻し
生き生きとふっくらとした薄桃色の花を輝かせた。
全ての花びらがしっかりと意志を持ち
ジャムの瓶の上で全力で咲き誇っていたのだ。
私はその小さな桜の枝の「生きよう」とする姿に
素直に感動していた。
春が来るたびに、
私はこの小さな幸せを思い出すだろう。
これから美しく咲いていく桜の花、
そしてそれらを見る誰かの心に
小さな奇跡が起きるよう願っています。
〜fin〜
「君と見た景色」
いつからだろう。
君のやさしさを疎ましく感じるようになったのは。
僕のために当然のように食事を作り、洗濯をし、家を清潔に保ってくれていた君と、
それを当然のように思っていた僕。
いつも君は笑顔だった。
僕が「残業だから遅くなる」と嘘をついて
会社の女の子と飲みに行った日も、パチンコに行って大金を失った日も、
「お帰りなさい。大変だったね」
と少し困った笑顔にえくぼを浮かべながら、君は騙されたふりをしてくれていたね。
「花は、枯れるのが悲しいから買わない」
そう言っていた君が、いつもは通り過ぎるはずの花屋で足を止めて買ってきた「ルピナス」の鉢植え。
「どうしても、放っておけなくて」
君はそういって、まるでしおれかけの花のように下を向いていたっけ。
空に向かってまっすぐに茎を伸ばしたルピナスの鉢植えがたくさんあったのに、
途中で諦めたように拗ねたように
横向きに背を曲げてしまったルピナスを、
君はわざわざ選んで買ってきたね。
そんな根性の曲がったルピナスも、時がきて小さなピンク色の花をたくさんつけた。
ルピナスの花が風に揺れる度に
「花が散って庭でゴミになる」
と思っていた僕と違って
「きれいだね」と繰り返していた君。
僕と君とは、常に違う景色を見ていたように思う。
「別れましょう」と言ったのは君からだった。
僕に異存はなかった。
そして、
1人になった僕は自分のために食事を作り、洗濯をし、家を清潔に保とうと努力した。
簡単にできると思っていた。
そして、それは少しずつおろそかになり、
家の中のルールは、君が去って
あっという間に破綻した。
荒れ果てた家の中で、疲れ果てた僕がふと目をとめたのは、こぼれ種で増えた庭のルピナスの花々だった。
「きれいだな」
僕は思わず呟いた。
僕は、やっと、
やっと君と同じ景色を見ることができたような気がしてハッとしていた。
「手を繋いで」
息子と手を繋いで、武蔵浦和の駅によく電車を見に行った。
当時、息子はまだ2歳か3歳だった。
まさに魔のイヤイヤ期で、洋服を着替えるのもイヤ、靴を履くのもイヤ、泣き喚いて垂らした鼻水を拭かれるのも「イヤ!」
たびたび癇癪を起こしては泣き喚き、ある時は極寒の道路に座り込み地蔵のように動かず鼻垂れ地蔵となり、またある時は雨上がりの水たまりに激しくダイブして泥団子となった。
私だって人の親である前に人の子である。
その鼻垂れ地蔵や泥団子をそのまま見て見ぬふりをして捨て置いて帰ろうかと思ったことは何度もある。
泥団子は泥団子という強烈な破壊力だけではなく、信じられないほど強靭な体力と攻撃力まで持ち合わせているのだ。
泣きわめき暴れる上に私に容赦なくうんちと寸分たがわぬ汚い泥を飛ばしてくる「The 妖怪泥団子」
それを見ないように通り過ぎる若者やおじさんたち。
「あらあら」とか「まあまあ」とか無難なつぶやきを繰り返し泥団子と私に哀れな眼差しを向けながら通り過ぎるおばさんやおばあさんやおばあさんかおじいさんかわからない人たち。
しかし、私にはその泥団子を回収し、洗い、人間として再生させなければならない義務があった。
毒親育ちの私の心には果てしない砂漠が広がり、頼れる人もない日常をただただ繰り返す毎日に疲れ切っていた。
そんな時、私は息子と手を繋いで電車を見に行った。
この世に生まれ落ちて、ほぼ全ての男子が通るであろう「アンパンマン」と「電車」のうち、後者である電車に、わが息子も、どっぷりとはまったのだ。
人見知りの強かった息子は、人混みの中で私にしがみつくよう右手をしっかりと繋ぎ、左手には必ず電車のおもちゃを握っていた。
買ってやったことは一度もない。
それらは遠く離れて暮らす大学時代の友人が送ってくれた友人の子のお下がりのひとつだった。
友人も「誰からか忘れたけどお下がりでもらったもの」と言っていて、お下がりのお下がりのお下がりの処分品、と言っても過言ではないほど、時代劇なら思わず「ようここまで生きてこられなさった」とねぎらいの言葉すらかけたくなるようなボロボロな電車たちだった。
塗装は剥げ、タイヤは曲がり、電車の一部は割れていた。
でも、それらが当時の泥団子であり鼻垂れ地蔵であり、妖怪でもあった息子の宝物だった。
ふと思い返すことがある。
なぜだったんだろう。
なんであんなに温かかったんだろう。
どんな時も、繋いだ小さな小さな息子の手は温かかった。
一緒に手を繋いで見た電車は、息子だけではなく電車に全く興味のなかった私の心をも癒した。
心がボロボロだった私と手を繋いだボロボロの泥団子だった息子、その息子がいつも握っていたのは地味でボロボロだったお下がりの京浜東北線の電車。
そんな何もかもボロボロだった思い出が、今はとても懐かしく私の心を温めてくれる。
今思い返せば、あの頃私は、間違いなく繋いだ息子の温かく小さな手から、生きるための大きな力をもらっていたのだと思う。
どこにいても
生きることは一人の作業です
どんな境遇にあろうとも
揺るぎない自分だけの生き方を見つけなさい
全てを効率よくやろうと思わず
己の心と真剣に向き合いなさい
そしてたった一度の人生を
力強く生き抜き抜いていきなさい
自らを知りて
新しく行く道のひらけていかむ
春をしぞ待て
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どこでひいたおみくじか忘れてしまった。
神社の名すら入っていない一枚のおみくじ。
いつかひいたどこかの神社の神様が
机の引き出しの隅でじっとこの時を待って
私に罰ではなく「明日を生きる力」をくれた。
いつからだろう。
「大好き」な気持ちをどこかに置いてきてしまった。
ふと、そのことに気づいた。
「大好き」を心の奥底に押し込むようになってから「大嫌い」の方が増えた。
「大好き」と言ったら自分が傷つくからだ。
自分が「大好き」でも、自分が「大好き」な人や物が自分を好きになってくれるとは限らない。
だいたいそれらは手が届かないし手に入らないところにある。
「大嫌い」と言えば誰かが傷つく。でも、自分は傷つかない。
「大嫌い」なものを高らかに批判していれば、必ず同意する誰かがいる。
「大嫌い」で成り立つ人生、言葉にしたらなんて虚しいのだろう。
今日から「大嫌い」を手放してみよう。
いつかひとつずつ周囲に「大好き」なものが増えていき、「大好き」なもので満たされたら、それはなんて素敵で幸せな人生だろう。
春の風にやさしくゆれる庭の花々を見ていたら、いつかそんな日がくるような気がした。