「手を繋いで」
息子と手を繋いで、武蔵浦和の駅によく電車を見に行った。
当時、息子はまだ2歳か3歳だった。
まさに魔のイヤイヤ期で、洋服を着替えるのもイヤ、靴を履くのもイヤ、泣き喚いて垂らした鼻水を拭かれるのも「イヤ!」
たびたび癇癪を起こしては泣き喚き、ある時は極寒の道路に座り込み地蔵のように動かず鼻垂れ地蔵となり、またある時は雨上がりの水たまりに激しくダイブして泥団子となった。
私だって人の親である前に人の子である。
その鼻垂れ地蔵や泥団子をそのまま見て見ぬふりをして捨て置いて帰ろうかと思ったことは何度もある。
泥団子は泥団子という強烈な破壊力だけではなく、信じられないほど強靭な体力と攻撃力まで持ち合わせているのだ。
泣きわめき暴れる上に私に容赦なくうんちと寸分たがわぬ汚い泥を飛ばしてくる「The 妖怪泥団子」
それを見ないように通り過ぎる若者やおじさんたち。
「あらあら」とか「まあまあ」とか無難なつぶやきを繰り返し泥団子と私に哀れな眼差しを向けながら通り過ぎるおばさんやおばあさんやおばあさんかおじいさんかわからない人たち。
しかし、私にはその泥団子を回収し、洗い、人間として再生させなければならない義務があった。
毒親育ちの私の心には果てしない砂漠が広がり、頼れる人もない日常をただただ繰り返す毎日に疲れ切っていた。
そんな時、私は息子と手を繋いで電車を見に行った。
この世に生まれ落ちて、ほぼ全ての男子が通るであろう「アンパンマン」と「電車」のうち、後者である電車に、わが息子も、どっぷりとはまったのだ。
人見知りの強かった息子は、人混みの中で私にしがみつくよう右手をしっかりと繋ぎ、左手には必ず電車のおもちゃを握っていた。
買ってやったことは一度もない。
それらは遠く離れて暮らす大学時代の友人が送ってくれた友人の子のお下がりのひとつだった。
友人も「誰からか忘れたけどお下がりでもらったもの」と言っていて、お下がりのお下がりのお下がりの処分品、と言っても過言ではないほど、時代劇なら思わず「ようここまで生きてこられなさった」とねぎらいの言葉すらかけたくなるようなボロボロな電車たちだった。
塗装は剥げ、タイヤは曲がり、電車の一部は割れていた。
でも、それらが当時の泥団子であり鼻垂れ地蔵であり、妖怪でもあった息子の宝物だった。
ふと思い返すことがある。
なぜだったんだろう。
なんであんなに温かかったんだろう。
どんな時も、繋いだ小さな小さな息子の手は温かかった。
一緒に手を繋いで見た電車は、息子だけではなく電車に全く興味のなかった私の心をも癒した。
心がボロボロだった私と手を繋いだボロボロの泥団子だった息子、その息子がいつも握っていたのは地味でボロボロだったお下がりの京浜東北線の電車。
そんな何もかもボロボロだった思い出が、今はとても懐かしく私の心を温めてくれる。
今思い返せば、あの頃私は、間違いなく繋いだ息子の温かく小さな手から、生きるための大きな力をもらっていたのだと思う。
3/20/2025, 2:35:20 PM