私が憧れるのは脚光を浴びるスターではない。また縁の下の力持ちでもない。例え戦犯と言われようと自分の芯を曲げない生き方だ。人生はオートセーブの初見殺しだらけなので、大抵の人はどこかで躓く。その時、失敗するリスクがあったとしても自らの芯に沿った行動であれば受け入れることができる。しかし周りの意見を一切聴かない頑固者とも違う。しなやかな柳のような心を持ちたい。光と影の間を自由に揺れる柔軟な生き方は猫のように自由奔放だ。
題『光と影』
[脳内に浮かぶ意味のない羅列]
何か、瞬間的な共感、同類、仲間、同じ苦しみ、深い仲間意識、だよね、普通が嫌い、自分を否定しないのは自分自身、空気が張り詰めない、快適さ、金、食、職、触、嫌いなのは否定、精神を削る音、この程度ならできるという予想、過去の積み重ね、人生の意味とは、生きるとは、寝る前に満足できたか、最高の一日を更新したか、ベストスコアか、常に前に、前へ、プロでさえ背中を押され続ける。一方通行の1車線で立ち止まることは許されない。何かに背中を押され続けて生きている。どこまで?墓場まで。揺籠から墓場まで。そのHをバーディで通過してもダブルボギーで無駄になる。ゴルフでも麻雀でも、そして人生でも最終スコアが良ければよい。終わりよければ全て良しだ。つまりは最終話が気に入らなければ全て無駄。だから無かったことにする。忘れる。幸せな過去の映像を苦しみ抜いた過去に上書きする。人生のバックパックに何を詰めるか、厳選して、完全な理解の上に、配置する。強烈な拘り。納得のいく美しい形。だが、人と関わるとそれが否定される。自分が最強だと思っていたものが平凡な、平均的なモノだったと思い知らされる。井の中の蛙大海を知らず。視野狭窄な子供時代は楽しかった、クラスの中で何かで一番になれることが多かったからだ。例えば対戦ゲーム、足の速さ、テストの点数。井の中の蛙であることを知らない初心者の頃が最も楽しい。そして自分が平凡であると気づいた時、人生はただの消化試合になる。残り時間5分で10点差を覆すことはできない。それでも希望を持ち続けることはできない。バベルの塔に終わりはなく出過ぎた杭は打たれる。そして、
題『そして、』
外気温が氷点下近くになる晩秋、剥き出しの種子"tiny love(仮)"という品種改良された苺が床下暖房の仄かな暖かさで育っていた。小粒ではあるが通常よりも酸味と甘みが強い。そんな苺を使用してジャムを作る。自作のレアチーズケーキと合わせて母に渡すためだ。僕の作るお菓子を喜んでくれるから、こっそり作って驚かせたいという悪戯心がむくむくと育っていた。
フードプロセッサーで粉々にしたクッキーにバターを混ぜてセルクルに敷き詰める。ゴムベラでクリームを整える。100均で買ったケーキ箱にしまい冷蔵庫で冷やす。市販のケーキよりも圧倒的に甘くて美味しい。原価の高い生クリームやバターを使用できるのが手作りの良いところだ。毎日ぐったりしている母が救いを求めるように一口食べて、その甘さにほっと一息つく。そして「おいしい」と言ってくれる。
喜びを肥やしにして
tiny loveは再び芽吹くのを待っている
題『tiny love』
初めから"おもてなし"を考えて動いていたら、それは単なる接待マニュアルではないか?不快になる可能性を考慮した、化石のような服装や髪型。男はこうあるべき、女はこうあるべきだというジェンダー論を無視した規則。表面上だけの薄氷の微笑み。心は冷え切っていて裏起毛の服装でも寒すぎる。
"おもてなし"はしてあげたいと思う相手にするもので、勝手に期待して予想と違えば怒鳴り散らすような、当然の権利のようなサービスではない。相手に敬意を示せないような幼稚な人物に"おもてなし"は必要ない。
題『おもてなし』
秋の日没は早く、夕刻前には太陽が霧雨の中へと消えていく。この時間帯になると左脳側の偏頭痛が酷くなる。父親の舌打ちがガス切れのライターのように何度も繰り返される。自分自身の頭に左ストレートを食らわせる。精神苦を肉体の痛みで中和しようとする習慣づけられた行動。消えない焔は、痛みを燃料に常に精神で燻っていた。
題『消えない焔』