人間は皆、広いようで狭いこの世界の歯車のひとつでしかないのだと知った。あんなに無下にしていた存在にすら、ひとたび呑まれてしまえば何の抵抗もなく事切れてしまう、小さくてか弱い歯車のひとつ。
(ああ、それでも……)
貴方にはいつまでも私を憶えていて欲しい。名前を、声を、言葉のすべてを忘れないで、心の隅でもいいから貴方の中のどこかで平穏に過ごしたい。唯そう願っていた。
だけど、記憶というものはひどく無情で。決して忘れないと誓ってくれた貴方も次第に私を忘れていく。声から始まり、表情、手癖口癖、好み──今では名前もうすらぼんやりとしている頃だと思う。
毎年、勿忘草の花を持って墓参りに来ることですらも、いつかは忘れてしまうでしょう。
それは……きっと、寂しいだろうなぁ。
未だ貴方の記憶のどこかに私が居るなら、どうか今すぐ勿忘草を一本だけ持ってお墓に来て。そして私にサヨナラを言わせて頂戴な。
▶勿忘草 #59
喉元までせりあがった言葉を飲み込む。
だって貴方には、いとしい恋人がいるじゃないか。
▶ I LOVE... #58
「優しさって何だと思う?」
あなたは私にそう問いかけた。
君は厳しくしすぎないところが素敵だけれど、そうして何でもなぁなぁにすることが優しさじゃないんだよ。
そう言うするあなたの表情は慈愛で満ちていて、何故か悲しげで、険しくて……感情でいっぱいなそれを正面からじぃと見つめる。
「もう、ちゃんと私の話聞いてるの?」
そんな問いににっこりと笑えば、あなたは呆れたように頭を撫でてくれた。
そんなことしないでさっさと私を切り捨ててしまえばいいのに、と思う。きっと彼女自身もわかっているはずだ。なのに捨てないなんて、愚かなひと。
やっぱり、あなたほど優しくて親切なひときっとこの世にあなたしか居ないのだわ。
唯一のあなた、いとしいあなた。世界でいちばんあなたのことを愛しているわ。
目の前のいとしいひとに、私は「にゃおん」と肯定の声を上げた。
▶優しさ #57
嫌なことがあった日に飲む酒は最高だが、それよりはるかに価値があるもんを、俺は知っている。
プルルル……、カチャ。
少し長めのコール音が鳴りやんで、
『あ、もしもし?』
と、あんたが声を出す夜。
「もしもし。今日も元気そうでつまんねぇな」
『なにおぅ!?』
あんたにとっちゃなんでもなくても、俺にとってみれば他のなににも堪えがたい夜だ。
▶特別な夜 #56
初めて見かけたときからすこし不安定なところがあってヒヤヒヤすることも少なくなかったけど、それでも光と希望で満ち溢れていた。
あなたのつくりだす独創的な世界が大好きで、それと同時におなじクリエイターとして尊敬していた。今でも、ふとした瞬間に誕生日プレゼントと称して送られたイラストを見返しては元気を貰う。
だけど、……ああ、あなたは私を置いていった。
ある夏から弱音を吐くことが増えて、八月の中旬、帰らぬ人となってしまった。
知らせを受けた時、私は泣けなかった。やるせない気持ちでいっぱいで、おめでとうと言うべきか、どうしてと言うべきかわからなくて。
ただ、津波のように寂しさと哀しみが押し寄せたことだけをハッキリと覚えている。
あの感情ですら、今では風化してしまって、あなたとのやり取りも思い出せない。見返そうにもあなたのお姉さんが、あなたの願い通りにアカウントを消してしまったからそれも出来ない。
だんだんと私の中であなたが風化していく。
その事実が、私はつらい。
私はあなたの顔も名前も知らない。端から見ればきっと赤の他人も同然だけど。
今、どうしようもなくあなたに会いたい。
▶君に会いたくて #55