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9/29/2024, 11:05:56 AM

 ──ふと、身体を揺さぶられる気配がした。
 重い目蓋をあげて左側を見やると、白い衣の男がこちらを見つめていた。天真爛漫な昼間とはまったく異なる表情に何事かと上体を起こす。

「どうしたの」

 彼はすっかり気が滅入っている様子でぽつりと呟く。
 曰く、わたしが死ぬ夢を見たと。

「朝、いつものようにここに来てきみを起こそうとしたんだ。だけどいくら声を掛けても少しも動かないから、なんだ昨夜は夜更かしでもしたのかと身体に触れて、そしたら、……そうして触れたきみの身体が、いやに冷たくて」

「ええ」

「一気に身体が冷えて、目の前が暗くなった。死んだきみは眠るように穏やかな顔をして、嗚呼、ついにこの子までもが死んでしまったと、俺を置いていってしまったと思った」

「……ええ」

 自分の見たものを整理するように思い付くままに話す彼の、布団を握りしめる手が震えていた。
 血色の悪い肌をすぐにでも抱き締めてやりたかったけれど、なんせ彼はわたしより何十センチも身長が高い。上半身だけ起き上がった今の体制でわたしが抱き付けば、二人ともつらいかもしれないと思った。
 だからせめて、と慰めるように頭を撫でた。細い髪が指の隙間をさらりと通り抜けて、指先の肉と爪の間に入り込む。
 いつからか彼に握られた左手のひらをやわく握り返す。大きくて、滑らかで、よく鍛えられた男のひとの手。わたしはこの手が数多の人々を救ってきたことを知っているし、わたし自身幾度も助けられてきた。しかし彼の夢の中のわたしは──。

 触れ合ったからか、思考がまとまってきたからか少しばかり落ち着いたようだけれど、それでもまだ顔色は悪い。
 わたしはうまく口角を下げることが出来ないでいる。ただの夢の中での出来事で。わたしの死ひとつで、こうまで弱ることを知ったからだ。こんなちっぽけなわたしでも、強くて立派なこのひとを傷付けることが出来るのだと理解したから。

(貴方の取り乱す姿を見られて嬉しい、なんて)

 今ここで言ってしまえば、彼はついにわたしをすっぽりと隠してしまうだろう。
 わたしは大人しく口をつぐんで、鶴の羽毛のように真っ白な髪の毛をゆるりと撫で続けた。


▶静寂に包まれた部屋 #79

8/30/2024, 2:33:54 PM

 蚊取り線香の匂いがした。

 そっか、もう夏だもんな、とひとり頷きながら、そおっと自分のとなりを盗み見る。
 すると、向こうもこちらを見ていたようで、ばっちり視線がかち合った。

 ──あ、睫毛ながいなぁ。

 そんな言葉がさっと頭のなかをよぎって、だけどあの子が眉尻を下げたのを見てハッとした。
 いけない、この子は自分への視線の意味に鈍感だから、きっと無視をされたと思わせてしまう!

 そう考えて、私もにっこり微笑み返してみる。
 あの子は、満開のひまわりを彷彿とさせる笑顔を見せてくれた。
 嗚呼よかった、嫌な思いはしていないみたい。

 たくさんの虫が鳴いていた。
 リーンリーン、リンリンリン、ピィッピィッ。

 彼女は元気にしているだろうか。
 辛い思いはしていないだろうか。
 悲しいときそばで寄り添ってくれる存在はあるだろうか、寄り添える存在はあるだろうか。

 ふと左手の甲に伝うやわい感覚に目を遣る。
 なにもない。ただ、夜の闇が足元を照らすだけ。

「……───」

 そっと目を閉じる。
 私は、いったい何を考えていたのだろう。

 線香花火はとっくの昔に落ちたのだ。
 蚊取り線香など、もう片付けてしまったのに。


▶香水 #78

8/23/2024, 11:57:14 AM

 海にいって、磯の匂いを鼻いっぱい吸い込むと、ちくわの磯辺揚げが食べたくなる。

7/29/2024, 10:35:07 AM

 ……ああ、そんなに擦ってはいけません。
 目元が腫れて、うつくしいその蛍石が
 見えなくなってしまう。

 泣かないで。
 いとしいひと
 泣かないで。

 私は、たとえ嵐が来ようとも
 あなたの傍にありましょう。
 そこが波乱と苦悩に満ちていようとも
 絶え間ない悪意にこの身裂かれようとも
 あなたの傍にありましょう。

 大丈夫、あなたはひとりじゃない。

 私がついていますから
 もうなにも怖がらなくていいんです。

 だから、どうか泣かないで。
 あなたの涙を拭う手を払わないで
 どうかこの手を取ってください。


▶嵐が来ようとも #76

7/20/2024, 8:20:32 AM

 夥しい数の屍が転がっている。
 噎せ返るような死の匂いにえづく者はいない。山越え谷越え、苦楽を共にし、同じ釜の飯を食らった彼らは、物言わぬ肉へと成り果てた。
 ──目の前の男の手で。
「なんだ、生き残ったのは一匹だけか」
 あれだけ啖呵切っといて呆気ないなァとぼやく男の、至極つまらなそうに毛先を弄る姿に、鞘を握る手に力がこもった。
 身体中を伝う赤が、顎から、襟から、指先から地面へと線を描く。
「それで? お前がヴィヴィ最強の剣士とやらか」
「違う」
 男を睨み付け、中身を抜いた鞘を投げ捨てる。
 深く息を吐きながら出来る限り重心を下げ、刀身を地面と平行に傾ける。
 これは、師匠──ヴィヴィ最強と謳われた剣士・アルツと同じ構え。
 アルツは死んだ。男の攻撃から俺を庇って。

「……お前が殺したのが誰か、あの世で思い知れ」
「ハッ、面白い! やってみろよ、やれるものならな」

 視線がかち合った瞬間、戦場に閃光が走る。
 さあ、仇討ちの時間だ。


▶視線の先には #75

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