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10/8/2024, 6:01:04 AM

敗者の肖像

一目見て、負けた、と思った。
それくらい異質だった。その絵の周りの壁だけがひずんで見えた。
細部まで目を凝らしてみるが、大胆なのにリアルに見える色遣いも、線の一本一本による描き込みも、どうやって描いているのか全く分からない。到底真似できない。
キャプションには、「高校2年 小柳冴」。
同い年に、こんな絵を描く人がいるなんて。
私は、ただただ絵の前に立ち尽くすことしかできなかった。

高校総合文化祭の県展覧会が終わり。
全国に出ることのできなかった私の絵は、手元に戻ってきた。今見ても、モチーフのリアルさも、テーマの表現も、悪くない。
ただ、あの絵と並ぶと、とたんに安っぽいもののように見えてしまう。あの絵は化け物みたいだ。他の絵を食べて、栄養を抜き取る化け物。私の元には萎びた外側だけが残っている。
小柳さんの絵は、やっぱり全国でも入賞したらしい。

目を瞑って一息ついて、絵の前から離れた。
そして、机に向き直り、筆を握る。
私は、新たな作品を描き始めている。
諦めない理由なんて特にない。
物心ついた時から、絵を描いていた。家族や友達に褒められてきた。絵を描くこと、と、私であること、は既にイコールで繋がっている。つまるところ、筆を折るにはもう遅過ぎたのだ。
今は絵を描く目的に、「小柳の絵を超える」が増えたに過ぎない。そのために、この悔しさも怒りも"使える"はずだ。
筆を握る指にぐっと力を込めた。

10/7/2024, 11:18:12 AM

back to …

今思えば、私はひどく、疲れていたのかもしれない。

理由はよくある話だ。就職氷河期の中、やっと内定を得た会社に就職するために上京したのが2年前。拾ってもらったからには、と私なりに頑張っていたが、同期に比べて成績ふるわず、リストラ社員として肩を叩かれたのが1ヶ月前。
それからは、実家に戻り、再就職先を探す日々。
まだ若い両親は、「リコちゃんなら、すぐ見つかるわ。」なんて気遣ってくれていた。それでも甘えていられないとハローワークに通い詰めるものの、書類で不合格、不合格。
どうせ私なんて社会から必要とされていないんだ、なんて思いも芽生え始めていた。
そんなある日、思い出したかのように、ふらりとハローワークへ向かうバスを降り、訪れてしまった。
5年前に廃校になった母校の中学校に。

久しぶりの中学校は、思ったよりも綺麗だった。ただ、記憶よりも、全体的に生気を失ったように小さく色褪せて見える。校門は緑色に錆びてもなお、生徒を守る役割を果たすように、硬く閉ざされていた。思い切ってよじ登り、校内に侵入した。
毎日のように通っていた見慣れた景色は、何年も経つと、知らない景色のようだった。校庭の大きなイチョウの木も、サッカーゴールも、私を忘れてよそよそしかった。
ゆっくりと、昔登校していたように、歩いてみる。
下駄箱、保健室前の廊下、大きな窓のある階段、そして、教室へ。
歩くたびに埃が舞って、鼻の奥がツンと痒くなる。けれど、気にせずまっすぐ歩いた。

3-B。
中学生活最後の1年を過ごした教室だ。ガラリと戸をスライドさせる。
机は綺麗に並べられたままだった。
私の席、窓側2列目の前から3番目に座る。そして、ここから見ていた景色を思い返す。

中学時代。正直言って、私は輝いていた。頭もよく、明るく、友達も多い。
どこらが、世間一般で見れば、そうではないのだと高校に進学して思い知った。私は所詮、田舎の中学校という狭い井戸で驕っていた蛙に過ぎなかったのだ。

そういえば、当時机に将来の夢を書いた気がする。
当時の自分がどんな大それた夢を見ていたのか、馬鹿にしてやろうと、机を見る。
お目当ての落書きは既になかった。しかし、コンパスで彫られた別の落書きに気づいた。

「ずっと友達! リコ ナツ レイナ アン」

馬鹿だなぁ、と思った。このメッセージを共に書いた誰の連絡先も今は知らない。
でも、素直に一生友達でいられると信じていた、当時の自分を愛おしくも思えた。
馬鹿だけど、愛おしい。中学生の私だけではない。思い返せば、高校に進学して能力の限界を知ってなお努力した私も、大学でぐずぐずの失恋して立ち上がった私も、就職が上手くいかずとも足を動かし続けた私も。
そして、きっと今の私も。

窓を見れば、空は薄いオレンジに染まりかけていた。そろそろ日が暮れてしまう。机の彫り跡をするりと撫で、教室を出た。
行きとは違って、どこか軽い足取りで、校門へ向かった。ふと、誰かに名前を呼ばれた気がして、振り返る。
誰もいない校庭の真ん中にイチョウの木がポツンとあった。
風でさざめくイチョウの葉っぱは、「またいつでも帰っておいで」、そう言って手を振っているように見えた。

10/5/2024, 3:37:28 PM

天体観測

キッズケータイから聞こえる君の声。
「今から星を見に行かない?」
いきなりの電話だった。遊ぶ時は、いつも前もって待ち合わせ場所と時間を決める君にしては、珍しい。
すぐさま行く、とだけ返事をして、こっそり家から飛び出した。

走る僕の頭の中には、お父さんの好きな「天体観測」が流れる。

午前2時フミキリに望遠鏡を担いでった

足は自然と曲のリズムに合わせ、動いていく。
こんな夜に1人で出歩くなんて。誰かに見咎められないかドキドキする。
近所はまばらに窓から灯りが漏れ出すだけ。待ち合わせの河川敷までの道は、歩き慣れた道のはずなのに、全く違うもののように思える。

見えないモノを見ようとして
望遠鏡を覗き込んだ

お父さんがこの曲を口ずさむたびに、思っていた。
"見えないモノ"って、一体何なんだろう?

息を弾ませ、河川敷に着く。
君は既に待っていた。
秋になったとはいえ、日中はまだじめじめと暑いが、夜は涼しい。走った後の汗が引くと、半袖では寒いくらいだ。君は、ちゃんと上着を羽織っていた。お母さんが「フミノリくんを見習いなさい」と僕を叱るのはこういうところなんだろうな、と思った。
やぁ、と君がぎこちなく手を挙げる。僕もそれを真似る。
もじもじとした空気の中、どちらともなく地面に腰を下ろし、空を見上げた。
暗闇にポツポツと明るい光が浮かぶ。綺麗だけれど、教科書に載っているような、満点の星空とは程遠い。
「オリオン座しか、僕わからないや。」
「星座早見盤を持ってくればよかったね。」
あの曲と違って、僕らは望遠鏡なんて持っていない。星のことをよく知りもしない。
それでも、今日、君が僕を誘った理由は何となくわかっていた。

それから、2人とも何となく沈黙したまま、星を見つめていた。言いたいことは沢山あるはずなのに、何と言えばいいのか分からないのだ。
ときおり、遠くから電車のゴトン、ゴトンという音だけがかすかに聞こえた。
「ねえ、」
意を決したように、ぽつりと君が言葉を漏らす。
思わず隣を見ると、体育座りのまんま、僕と反対方向に顔をそむけていた。
「離れても、僕らずっと友達でいれるかな。」

明日、君はこの街を出る。お父さんの転勤が急に決まったのだ。
ふと、"見えないモノ"の正体が分かったような気がした。
学校の先生曰く、星座は、人が勝手に星同士を繋いで作ったらしい。
僕らも同じじゃないだろうか。これから先、どんなに離れていても、他人からは無関係のように見えても、どうだっていい。お互いが友達だと思えているのなら、僕らだけにこの繋がりは見えるのだ。

照れ臭くてそう言えない代わりに、強く頷いて、返事をした。

10/4/2024, 5:10:39 PM

不恰好なダンスを

退屈だ。
人知れずため息を吐いて、私は一人、グラスを傾けた。
ディスコの隅に設けられたバーコーナーは、中央の喧騒とは隔絶された世界のようだった。
一緒に来た友達は、今や人混みに紛れ、どこに居るのか分からない。
少し前まで新鮮で夢のようだった、チカチカとカラフルにまたたくライトも、お腹の底まで響く音楽も、何だか馬鹿げたものに思える。
いつも私はこうだ。"ノリ"に乗れない。いつも冷めた目でもう1人の私が見つめている。その視線に気づいた瞬間、それまでの熱狂も興奮もひどく恥ずかしいもののように思えてしまうのだ。

もう一度小さくため息を吐いた。その時、
「そんなに退屈なら、俺と踊りませんか?」
そんな声と共に、目の前に手が差し伸べられた。
軽薄な見た目にそぐわない、純真な光をたたえた瞳が印象的な男だった。
変なやつ、だと思った。それと同じくらい、面白そう、だとも思った。
差し出された手を掴もうと手を伸ばす。
そこで、また冷めた視線に気づいてしまった。
もう一人の私は言う。「あなたらしくないよ。」

宙ぶらりんに彷徨う私の手を見て、彼は笑った。
「大丈夫。」
そう言って、強引に手を掴む。そして中央へ導く。
踊ることなんて、中学校の運動会以来かもしれない。
頭で思った通りに腕は動かず、リズムからワンテンポ遅れる。足はもつれて、きっと見苦しい。
けれど、ここでは不恰好なダンスでも充分に思えた。だって、周りを見渡しても、誰一人同じ動きをしている人がいないのだ。きっと正しい振り付けなんてないのだろう。ただ音楽にだけ集中して、思い思いに踊っている。
妙な高揚感を抱え、男を見る。
彼もまた、私を見ていた。あの純真な視線で。
スポットライトに照らされて次々と色を変える彼の瞳。そこに映った私は、くしゃくしゃの笑みを浮かべていて、とても綺麗だった。
私はずっと待っていたのかもしれない。こんな風に、誰かが強引に手を引いてくれる時を。

10/4/2024, 8:31:19 AM

ワンルーム

お焼香の匂いがまだ鼻に残る深夜。
体は疲れ切っているはずなのに少しも眠くならない。
汗で蒸れたスーツの上着を脱いだ。既にぐしゃぐしゃのそれを見て、この部屋に帰ったのは何分、いや何時間前のことだったろうか、と思う。
ワンルームに一人きり。君は一昨日から帰ってこない。
そして、「ただいま」も「おはよう」も、ささいな喧嘩の声さえ、もう響くことはない。

眠ろうと目を閉じても、さっきの光景ばかりが浮かぶ。
君によく似た眼差しのお母さんの赤く腫れた目元。
いっつもしかめっ面で怖かったお父さんが小さく見えたこと。
やけによく通るお坊さんの読経。
嫌になるほど鮮明に思い出せるのに。
どうしてか、君の顔は思い出せない。

ふと床を見ると、長い髪が落ちているのに気づいた。
そっと掴む。少し色素の薄い、君の髪。
そう気づいた時、思い出が頭をよぎった。
先を行く君が、髪を柔らかくたなびかせ、振り返る。
歩みが遅い僕を、ちょっと怒ったように呼ぶ笑顔が好きだった。
もう君は少し先で待っていてくれない。どんなに僕が急いだとしても、君に追いつくことはない。
分かっている。でも。
この髪のように、どんなに細い糸でもたぐって、また君と巡り会えたら。

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