ワンルーム
お焼香の匂いがまだ鼻に残る深夜。
体は疲れ切っているはずなのに少しも眠くならない。
汗で蒸れたスーツの上着を脱いだ。既にぐしゃぐしゃのそれを見て、この部屋に帰ったのは何分、いや何時間前のことだったろうか、と思う。
ワンルームに一人きり。君は一昨日から帰ってこない。
そして、「ただいま」も「おはよう」も、ささいな喧嘩の声さえ、もう響くことはない。
眠ろうと目を閉じても、さっきの光景ばかりが浮かぶ。
君によく似た眼差しのお母さんの赤く腫れた目元。
いっつもしかめっ面で怖かったお父さんが小さく見えたこと。
やけによく通るお坊さんの読経。
嫌になるほど鮮明に思い出せるのに。
どうしてか、君の顔は思い出せない。
ふと床を見ると、長い髪が落ちているのに気づいた。
そっと掴む。少し色素の薄い、君の髪。
そう気づいた時、思い出が頭をよぎった。
先を行く君が、髪を柔らかくたなびかせ、振り返る。
歩みが遅い僕を、ちょっと怒ったように呼ぶ笑顔が好きだった。
もう君は少し先で待っていてくれない。どんなに僕が急いだとしても、君に追いつくことはない。
分かっている。でも。
この髪のように、どんなに細い糸でもたぐって、また君と巡り会えたら。
10/4/2024, 8:31:19 AM