香水
いい匂いだねと言われて、嬉しかった。
自分の使っている香水を見せると俺より年上のくせに、子供のように目を輝かせて、カッコいいねと言う。さらさらの短い黒髪を揺らしながら。
その姿が愛おしくてたまらない。付けてみたいと言うので、耳の後ろに軽くふってあげた。
すると、ふふっと笑って、まるで俺に包まれているみたいと言う。
胸がぎゅっと締め付けられた。今すぐにでも、抱きしめたいと思ったが、不快に思われても嫌なのでやめた。
ふと自分の部屋に置いてあった卓上カレンダーに目が行く。そう言えば、もうすぐ誕生日だから、お祝いして欲しいと言われていたような気がする。
何が欲しいか一応聞くが、特にないと言われる。物欲があまりないのかと思ってしまった。
そして、バイトの時間が近づいてきたからもう帰ると言ったので、玄関まで見送る。
扉を開けて出て行く姿を見つめた。一人、玄関の前でしばらく立ち尽くす。
「俺の香水、あげるか」
ぽつりと呟いて、部屋に戻り、財布を手に取ると香水を買いに出た。
――――
誕生日当日、俺の部屋で会う約束をしている。
あの人の好きないちごたっぷりのケーキと酎ハイを用意しておいた。
扉をノックする音が部屋に響く。そして、あーけーてーという声が。
普通にインターホンを押せばいいのにと思うが、あの人らしいなと。
玄関の扉を開けると猫のようにするりと入ってきて、お邪魔しまーすと言い、家に上がる。
部屋に用意してあったいちごのケーキを見ると、飛びつきそうになったので、阻止した。
「先に手洗いとうがいっすよ」
「はいはーい、わかってますよー」
鈴の音を転がすように笑う。洗面所に足早に行き、手洗いとうがいを済ませると戻ってきた。
俺は自分のベッドの脇に置いていたプレゼントを手に取るとあの人に渡す。
きょとんとした表情をして、首を傾げる。
「プレゼントっすよ、おめでとーごさいます」
「わぁー、ありがとう」
むふふと笑い、プレゼントを開ける。俺は少し緊張した。
いらないと言われたらどうしようと不安だった。
心臓がバクバクとうるさい。額から冷や汗が出る。
すると、プレゼントした香水と俺の顔を交互にじーっと見つめてきた。
「あぁー……気に入らなかったっすか?」
口から心臓が出そうになる。あの人の反応がなく、沈黙が続く。
「香水をプレゼントする意味している?」
「えっ?」
俺はポケットに入れていたスマホを慌てて取り出し、検索をかけた。――独占欲。
画面から顔を離すと目の前にはあの人がいた。俺は驚いて、後ろのベッドに倒れる。
ボフンと音を立つと、第二の音が聞こえた。また目の前にあの人が、そして俺に覆い被さる。
「独占欲ねぇー、ふーん」
あの人の瞳が俺の心を射る。
舌なめずりをする表情は、雄の顔。自分の方が体格がいいから、負けるはずないと思っていた。
しかし、細身のくせに力が強い。押し返してもびくともしない。
「あっ、えっと、い、意味も知らずにプレゼントをしたの、ごめんなさいっ」
「うん、知っている。そういう事は、知らないだろうなと思っていたから、気にしてない」
クスクス笑うと俺の頭を優しく撫でた。そして、ゆっくり離れるとケーキがある方へ。
机に用意していたフォークを手に持つと、ケーキを切るように掬う。
「でも、嬉しかったよ、ありがとう」
パクッとケーキを食べると幸せそうな表情をしている。
俺は心臓をバクバクとさせながら、本当にこの人には敵わないと思った。
年上のくせに子供っぽいし、天然で鈍臭いところもある。なのに、時に見せる雄の顔は、カッコいい。
今度からプレゼントを送る時は、意味などを調べてから送る事にしようと心に誓った。
言葉はいらない、ただ…
冷たい風が熱っていた体を冷ましていく。二人揃って、ベランダに出て、ぼーっと薄暗い空を見つめた。
長い沈黙。カロンっと音を立てて、棒付きの飴を舐めるキミを横目に見た。遠くを見つめる姿は、思わず見惚れてしまう。
短い黒髪に毛先の部分だけ青に染めていて、耳につけている銀色に光るピアスはよく似合っている。
ふと、目が合った。喉の奥で笑うキミは、僕の頭をまるで犬のようにわしゃわしゃと撫で回す。
「わっぷ、何?」
「間抜けな顔、してんじゃねーよ」
「えっ、してないよ」
思わず顔をペタペタと触る。その仕草を見て、余計に笑うキミ。
僕は恥ずかしくなり、咳払いをした。
「笑いすぎだよ、もう」
「いいじゃん、可愛いんだから」
「可愛いと言われると複雑なんだけど」
「んー、可愛いは可愛い」
またわしゃわしゃと頭を撫でる。やめてと小さく言っても、撫でるのを止めない。
仕方がなく、撫でられるがまま。キミが満足いくまでだ。
顔を見ると優しい表情。僕だけに見せる、この表情が好き。
他の誰にも見せない。いつもどこかつまらそうな、心ここに在らずの表情。
そんなキミに僕は興味を持った。だから、近づいて仲良くなったのだ。
「ここまでの関係になるとは思ってはいなかったけど」
ぼそっと呟くと、キミは耳をこちらに傾ける。
「何か言った?」
「ううん、なんでもない。……あっ、朝焼け」
僕の声に前を向くキミ。空が綺麗な色に染まっていた。
冷たい風が吹いて、身震いをすると腕をグイッと引っ張られて、あっという間に抱きつかれる形に。
「あったけぇー。流石、子供体温」
「ねぇ、バカにしている?」
「褒めてんだよ、バーカ」
喉の奥でまた笑う。そして、飴をガリっと噛んだ音が聞こえた。
「寒くなってきたから、部屋に戻ろうよ」
「んっ、そだな」
キミはふわーっと大きな欠伸をすると、部屋の中へと戻って行った。
その背中を見つめながら、僕は胸に手を当てる。
「言葉はいらない、ただ……僕はキミのそばにいたいんだ。それが叶わない世の中なのは、わかっている。いずれは、終わりが来る。でも、まだ……まだこの時の幸せを感じさせて欲しい」
突然の君の訪問。
ノックされたので、家の扉を開けるとそこには大鎌を持った死神がいた。
ニコニコと笑いながら、私に手を振っている。
私は静かに扉を閉めようとすると、それを阻まれた。
ギリギリと扉が悲鳴を上げる。
「お帰りください」
「いやいや、やっと見つけたんだぜ?帰るわけないだろっ」
お互い力を込める。いい加減、扉が潰れてもおかしくはない。
「セールスはお断りです」
「セールスじゃねぇーよ、バーカ」
とうとう扉が壊れてしまった。壊されたので、請求をせねば。
「扉の修理代、払ってください」
「払わないし、もうこの世から去るからいいじゃん」
私の横をするりと通り抜け、家の中にズカズカと入ってきた。
そして、部屋を見渡し、ベッドの上に座る。
持っていた大鎌を死神自身の隣に立てかけた。
「突然すぎるんですけど」
「よく言われる」
ケラケラと笑う姿は幼い子供みたいだった。
「普通は死に際なのでは?」
「いろいろあるのだよ、キミ」
「何それ、訳わからない」
「わからなくて結構、人間にわかられてたまるかってんだ」
肩をすくめて、やれやれと言う。――ムカつく。
私は、壊れた扉をとりあえずはめてみる。しかし、元に戻るわけがない。
深くため息をついて、そのまま放置した。
そして、死神の前にまで行き、仁王立ち。
「私、まだまだすることが山ほどあるんですけど?」
「あー、そう言うやつ山ほど見てきた」
「だったら――」
「決定事項は変えられない」
大鎌を喉元に突きつけられた。ひんやりと冷たい感触が伝わる。
今にでも、刈り取られそうな感じ。ごくりと唾を飲んだ。
「わがまま言わない、言わない。痛くないし、大丈夫」
にっこりと笑うが、目は笑っていない。私は逃げようとして、背中を向けた。
一瞬だった。走馬灯が巡ってくる。そして、死神の声が聞こえてきた。
「よかったなぁー、クソみたいな世界におさらばできて。何がやることだよ。上司の顔色を伺い、後輩から仕事を押し付けられる、残業の毎日。ヘラヘラ笑って、不満も言わずにただ仕事するのみ。みんなが、お前をただの便利屋だと思っている。別にお前が一人いなくなったところで、誰も困らない。代わりなんていくらでもいる」
ぺらりとページを捲る音と文字を書く音が聞こえる。
「今終わっていいんだよ、お前は。クソみたいな世界でよく頑張ったと思う。見ていて、こっちは胸糞悪い。よく生きてこれたよな、今まで。まぁ、俺が言うのもなんだけど、来世は幸せになっ」
背中をポンっと押された気がした。
すると、体が軽くなった。まるで、鎖から解き放たれたような。
――突然の死神の訪問。それは、誰にでもあり得ることだということ。
雨に佇む
傘もささずに一人佇む黒髪で長髪の少女。雨に打たれ続けている。
周りの人は、その少女を避けるように歩いていた。
迷惑、変な人、不思議、幽霊、少女はそんな風に見られているだろう。
そんな中、雨は容赦なく、降り続けていた。
少女は空を見上げている。暗くて、どんよりとした空を。
何もないはずなのに、ずっと空を見上げている。
何を思い、何を見つめて続けているのだろうか。
ふと、天に祈りを捧げる。目を瞑り、静かに祈り続けた。
そこだけ、生温い空気がひんやりと透き通った空気に、変わったのだ。
どこからか、鈴の音色が聞こえてくる。――チリーン、チリーン。
何かが、起こるのだろうと期待の眼差しを送る人々。
しかし、何も起こらなかった。ため息や舌打ちが聞こえ、ガヤガヤと忙しない音と雨の音に戻った。
静かに瞳を開ける少女。そのまま、人混みへと消えて行った。
しばらくして、雨が止んだ。どんよりとした雲の隙間から差し込む太陽の光。
まるで、天使が降りてきそうな雰囲気。そして、七色の虹がくっきりと現れた。
人々は傘をたたみ、その場に佇み、空を見上げる。今まで下を向いて歩いていたのに、綺麗な虹が出ると上を見て、笑顔が溢れた。
――雨に佇んでいた黒髪で長髪の少女は、人々の心を雨から晴れ模様に変えたのだ。そして、また雨が降っている場所へと赴き、空に祈りを捧げる。
私の日記帳
可愛いうさぎの表紙の日記帳を買った。一目惚れだった。
毎日、書き込むぞという意気込みで、レジに並ぶ。
家に帰ってからも、鼻歌を歌いながら、書くのを楽しみにする。
夜、寝る前に日記帳を開く。今日の出来事を書き込んだ。
次の日、夜が来るのが、楽しみになる。夜がくれば、日記帳に出来事を書き込む。
毎日、まめに書き込んでいたが、ある日、風邪を引いた。
寝込んでいるので、書いている場合ではない。
一日、二日、三日もあくと、日記帳に向かう気が起こらなかった。
なんでも書けば良いのだが、段々めんどくさく思えた。
そして、日記帳を書くこと自体がなくなる。フェードアウト。
私の日記帳、数ページだけ書いて、終わってしまった――