終点
かたんことん――
心地よい揺れに、目が覚めた。
頭がぼーっとするけど、徐々に周りがはっきりしてきた。
誰もいない、箱のように揺れ動くモノの中にたった一人の私。
ここはどこだろうか?――そう思った、だけどよく思い出せない。
また、揺れる。でも、驚くほどの揺れではない。
ゆっくりと立って、周りを見渡す。――本当に誰もいない。
外は暗い。夜なのだろうか?
かたんっと奥のドアが開いた。そこには知らない人。
「よく眠れた?あともう少しで着くと思うよ」
黒髪短髪、色付きサングラスをかけている。
全身、真っ黒って感じ。肌は白い、そこだけ。
「どこに着くの?」
「綺麗なところ、ユートピア?」
ふふっと笑って、空いている席に座った。
「なにそれ、わかんない」
私は首を傾げた。――ユートピアってなんだろう?
「わかんないと思うよ、みーんな。僕もそうだったし」
「みんな、わかんない……のね。ところで、あなたはだれ?ここはどこ?」
「僕は案内人のリヴァ。リヴァでいいよ。んで、ここは電車っていう乗り物の中」
両手を大きく広げて言う黒髪短髪の人――リヴァ。
「リヴァ、私は……たしか……ユキ」
「知っているよ、キミのことは」
いつの間にか、私の目の前まで来ていた。驚いて、後ろに数歩、下がる。
少し、しゅんとしたリヴァだが、立ち直るのが早かった。
「あと少しで着くから、ゆっくりしてて」
そう言って、ひらひら手を振ると奥のドアへと歩いていった。
静かになった電車の中。かたんことんとまた揺れる。
ひとりぼっちになった途端、急に不安と悲しい気持ちが込み上がってきた。
なんだろう、この気持ち。記憶が少しずつ蘇ってきた。
――優しい人の声、頭を撫でられると気持ちいい。抱っこされるのが、苦手でよく暴れて引っ掻いた。喧嘩もして、噛んじゃった時もあったけど、最後は優しく撫でてくれる。大好きな、大好きな声と手。毎朝くれる、甘くて美味しいバナナのカケラ。美味しいね、って言って食べた。長い耳を優しくマッサージしてくれた、ついつい甘い声が出てしまう。もっとたくさん甘えたかった。
気がつくとポロポロと涙が出ていた。――思い出した。
「そうだ、私、病気になって、痛くて苦しくて……。飼い主さんはっ‼︎」
一番近くの電車のドアに向かい、外を見る。
キラキラとした光の粒が散らばっていた。見たことのない景色。
ふと、リヴァが出て行った奥のドアを思い出し、そこへ向かう。
ドアを開けると同じ、電車の中。また先にドアがある。
何回開けても、何回開けても、同じ電車の中だった。
どこにもいない、私の大好きな飼い主さん。
「いないよ、どこにも」
ポロポロ泣きながら、床に座り込んだ。
すると、肩を叩かれたので、顔を上げるとリヴァがいた。
「どうしたの、こんなところに座って」
「いないの、大好きな飼い主さん」
「そうだね、いないね」
リヴァも寂しそうな表情をしていた。
「もうすぐ、終点だよ。そこで、待とう。飼い主さん」
「やだやだ、帰りたい、帰りたい‼︎」
「そうだね、帰りたいよね、でもね、もう帰れないんだ」
「なんで帰れないの?この電車に乗って帰れるでしょ?」
なんとなくだけど、わかっていた。帰れないってことが。
この電車の中で目を覚ました時点で、なんとなく。
「帰れるなら僕も大好きな人のところへ帰りたいよ」
リヴァもポロポロ泣いていた。すると、アナウンスが流れる。
――終点、虹の駅。終点、虹の駅。
「さぁ、着いたね。ここでは、自由だよ。ご飯も美味しい、水も美味しい、なんなら病気にならない、元気いっぱい」
ゴシゴシと涙を拭いて、手を差し伸ばされた。
私はその手を取らずに首を振る。
「行きたくない、大好きな飼い主さんがいないもん」
「……そうだね、でも、飼い主さんが迎えにきやすいようにここで待っているんだ、みんな。帰ることはできないけど、ここから、見守ることもできる」
「帰りたい」
「わかる、最初はみんな同じ気持ち。でも、生命ある限り、いずれは訪れるモノがある。だからこそ、この虹の駅で待つんだ。飼い主さんが、迎えにくるのを。もう一度、会うために」
黒い瞳に見つめられると何も言えなくなる。
ここで駄々をこねても何もない。帰りたくても帰れないのはわかっていた。――現世で、生命を全うしたから。
「……わかった、リヴァと飼い主さんを一緒に待つ」
ゆっくり立ち上がり、リヴァの手を握る。
「ありがとう、ユキ。さぁ、行こうか」
電車を降りて、終点駅に。そこは、自然あふれる心地よい場所だった。
青い空、白い雲、優しく私たちを照らす太陽。
隣を見るとリヴァは黒い兎になっていた。私も同じくグレーのうさぎになっていた。もとの姿だ。
「ここで、待っているね、飼い主さん。大丈夫、また会えるの信じているから」
上手くいかなくたっていい
ころんと転がっていく。――また失敗した。
これで何回目だろうか。――ほら、まただ。
何回やっても上手くいかない。――当たり前だ。
初めから、何でもかんでも上手くいくわけがない。
初めから、上手くできたら、苦労なんかしない。
失敗をするから、失敗を重ねるから、苦労をするからこそ、最後には上手くいく。
上手くいかなくたっていい、何よりも誰よりもキミが努力をしているのは知っている。
必ず見ている人は見ていてくれているから。
慌てなくていい、焦らなくていい、キミはキミだから――
蝶よ花よ
大きなクリクリとした黒い瞳はよく私を見ていた。
長い耳で、私の声を聞いて反応して、擦り寄ってくる。
ヒクヒクと動く、鼻とヒゲ。しっかりとした後ろ足。
畳の上を嬉しそうに走り回る、可愛い可愛い愛兎。
わがままな時もあった、気に入らなければすぐ怒る。
何故だか理解できない。今でも不思議である。
だけど、そこも含めて全てが愛おしい。
大事に、大切に育ててきた。そして、どんどん美しく綺麗になっていった。
ずっと一緒だったと思っていたけど、いずれ生命に限りはある。
ある日、私の腕の中で、静かに息を引き取り、空へと昇っていった。
きっと、空の上から私を見守ってくれているはず。ぴょんぴょん飛び跳ねながら。
蝶よ花よと育てた私の可愛い愛娘――
最初から決まってた
「こんにちは、いい天気だね」
若い子に声をかけられた。少し驚いたけど、小さく頷いた私。
生き生きとした感じが、懐かしく思ってしまった。
「ねぇ、大丈夫?元気がないみたいだけど……」
そう言われて、ドキリとする。元気がないのは確かだ。
日に日に、生きる力が薄れていくのがわかる。
「雨、降らないかな?私ね、雨が大好きなの。アナタも雨が好き?雨が降ったら元気が出るよね」
キラキラとした眼差しを向けられた。そのキラキラが眩しい。
私は目を細めながら、頷いた。若い子に圧倒されてしまう。
自分自身、昔はこうだったような気がしなくもない。
きっと、あの時喋った人もそう思っていたんだろうな。
「ねぇねぇ、あまり喋らないの?楽しくない?人生楽しまなきゃっ」
質問攻め。困った表情をしても、若い子には無意味だった。
別に喋りたくないわけでもないが、私にはもう残された時間が少ない。
一人になって、今まで生きたことを振り返りたいのに。
ふと、空を見上げた。青い空、白い雲、太陽の光が目に映る。
色々な世界だった、本当に。
「あのね、あのね、私ね。とっても綺麗な花を咲かせるんだ‼︎」
きゃっきゃっ笑ってそう言う若い子。
そうだ、そうだ。赤や青、黄や紫など色を注がれて、綺麗に着飾る。
そして、美しく咲き誇る。夢のような時間だった。
あっという間に時は過ぎ、気が付けば、もう終わりに近づいている。
それは、この世界に生まれた時点で、最初から決まっていたことだ。
全てのものに生命がある。今となっては、あの時喋った人の言葉が理解できた。
「……ねぇ、聞いてくれる?私の話」
「やっと、口を開いてくれたぁー、なになに?気になる」
「それはね――」
私の歌と引き換えに、新しい息吹を若い子へ。――蝉時雨が響いた。
太陽
静かに窓を開けて、ベランダに素足で出る。
ベランダに置いていた椅子に腰を下ろして、昇る太陽を見つめた。
もうすぐ朝が生まれる――そう思うといつもワクワクする。
ゆっくりと空へ昇っていく。いつ見ても綺麗な光景。あまりの美しさに、息を呑む。
「おはよう、今日も一日、ボクらを照らしてください」
ふふっと笑って、小さく太陽に手を振った。
すると、一匹のスズメが柵に止まる。
「太陽さんに挨拶しているの?」
「うん、そうだよ、スズメさん。今日も照らしてくださいってね」
「あら、とても素敵だわ、いいことあるといいね」
翼をバサッと広げ、遠くへ飛んで行った。
「気をつけてね、スズメさん。キミにもいいことがありますように」
スズメに手を振った。椅子から立ち上がり、空を見つめる。
「さーてと、お仕事行く準備をしますかぁー」
屈伸をして、部屋へと戻った。
太陽のおかげで世界が光に照らされている。だから、ボクらは生きていける。そう思う――